残暑お見舞いもうしあげます。
walk9/エネシフ巡礼は
昨日、陰暦8月朔日に
阿蘇山の仙酔峡から出発しました。
眼前にせまる1592mの高岳と
いまも噴火している中岳の間の
丘の上で、
ぬけるような青空
さわやかな秋風
きらめく朝日
大本教の出口春日さんが祭主となって
出発の儀式が厳粛に、うつくしく
とりおこなわれました。
実は数ヶ月前からこのウエッブサイトの動作がぎこちなくなり、
ブログをアップできないこともたびたびでてきたので、
新しいサイトをつくりました。
masakitakashi.jp
でチェックしてください。
そちらにウオークの情報が
リアルタイムに掲載されます。
フェイスブックにも情報をシェアしています。
このホームページも、しばらくはつづけます。
2011年の夏のおわりに
更新日: 2011年8月30日 08:48 
13日、満月の夜の日没に、
阿蘇山の高岳と中岳のはざま、仙酔峡の丘にのぼって、
つぎの新月から歩きはじめるwalk9/えねしふ巡礼の
出発を祈願してきました。
阿蘇最高峰の高岳と、噴火口のある中岳は、男山と女山。
そのはざまの丘の上は、強いエネルギーの渦巻く場です。
西の彼方、長崎県の雲仙に夕陽は沈み、
東の、根子岳の背後から満月がのぼり、
昼と夜の境にある空には、大地の力と宇宙の光が交差して、
言葉にあらわせないほど美しい、神妙な世界でした。
えねしふ巡礼は、
8月29日に阿蘇山を出発。
まず熊本市、そこから南へ八代市、水俣市。
鹿児島県にはいって、出水市、原発のある川内市、
鹿児島市から宮崎県、大分県、福岡県を歩き、
玄海原発のある唐津市から長崎市まで、
原発のない九州を願って、
九州を左回りに2ヶ月間、
約1000km歩きます。
〜 〜 〜
*日程など詳細は出発前におしらせします。
*コンセプトは7月4日のブログにあります。
もうひとつ、
今日フェイスブックに投稿したメッセージも転載しておきます。
ウオークの途上、
10月10日には、福岡県の糸島で開催されるEOLA(いのちの市場)に参加します。
〜 〜 〜
〜 〜 〜
ゲンパツなくすために、私たちが多数になるために、
どうすればよいかを、ずっと考えつづけてきました。
そしてこのごろよく思うのはMARCHEのこと。
マルシェとはフランス語で「市場」のこと。
女たちの世直しには市場がよく似合う・・・
コブシをふり挙げて戦うのではなく・・・
病人の体内の悪玉菌と善玉菌のせめぎあいのように、
善玉菌より悪玉菌が勝ったら、社会は腐敗してゆき、
腐敗菌より発酵菌が勝ったら、いのちがよみがえる。
市場は発酵場。市場が発酵して広がってゆけばいい。
そこで提案です。
**********
虹の市
10月10日はマルシェの日
九州島のあちこちに
マルシェがいっぱい花開く
あなたの家も 友だちのお店も
街角が 森蔭が 近所の広場が
海辺も 川辺も 市場になって
おいしいたべもの もちよって
からだにいいもの もちよって
ぶつぶつこうかん 生命の市場
プクプクプクプク 発酵したら
ぶつぶつぶつぶつ 井戸端会議
エネルギーシフト 語りあおう
沈みゆくタイタニックから
おりてゆく生き方・・・
飛んでゆく生き方・・・
デモやパレードが終わったら
夜はマルシェでキャンドルナイト
しずかに ゆっくり ふかぶかと
10月10日はマルシェの日
10万人の マルシェの日
rainbow marche 虹の市
**************
更新日: 2011年8月14日 11:08 
7月後半に2週間ほど韓国へいってきました。
ソウル近郊のインチョン港から済州島へ行く韓国のピースボートと、半島南端の麗水(ヨス)市で開かれたInternational Youth Festivalと、2つのイベントに招かれて大勢の若者と話をしました。
ヨス市はwalk9で歩いた順天(スンチョン)の近くです。それは韓国巡礼で最もつらかったころで、まだ韓国の人たちと深く話をする機会もなく、なぜ謝罪の巡礼をしているのか理解してもらえずに、キビシイ批判や非難を浴びていました。
あれからまだ2年もたっていないのですが、国際青少年祭のopening ceremonyでは300人をこえる15~20歳の若者たちが「気候変動の時代を共に生きる若者たちの未来」というテーマの話に、熱心に耳を傾けてくれました。
2年前が夢だったのか、今が夢なのか、まるで奇跡を見ているようで、時の変化と速さに驚くばかりです。済州島でも、どうしてみんなこんなによろこんで話を聞いてくれるのだろうと、不思議に思うくらいでした。
済州島は九州と朝鮮半島の間に浮かぶ火山島です。景観はハワイ島に似ており、人々や家は沖縄に似ています。島の南西の海岸にカンジョン村があります。川の少ない島で唯一やや大きな川が流れており、河口は海水と淡水が混ざる生物多様性の宝庫です。溶岩でできた海岸のあちこちから真水が湧いている不思議な場所でもありました。
沖あいに火口島の浮かぶその美しい海辺がいま、韓国政府によって埋め立てられて、巨大な海軍基地がつくられようとしています。表向きは韓国海軍基地とされていますが、実際には日本でも進められている米軍再編の一環で、米軍の艦船の母港になるだろうといわれています。沖縄の辺野古の状況によく似ています。
海岸には反対するために各地から集まった団体や人々のテント村ができており、walk9で会ったなつかしい顔に何人も再会しました。群山でお世話になった教会の髭の牧師さんもお元気でした。
ピースボートが訪れたその日は、海岸につくられたステージで平和集会が開かれました。神父さんの祈り、カンジョン村の区長さんのあいさつ、地元若者たちの伝統音楽などにつづき、私も一緒に招かれた妻と歌を歌い、話をさせていただきました。
そのときすでに不穏な空気があったのですが、数日後、人口1200人の村に1500人もの警察官がやってきて、テント村は強制撤去され、反対する人々が排除されてしまったそうです。
カンジョン村の事件はニューヨークタイムスなど外国のメディアには報じられたそうですが、韓国内ではほとんどのマスメディアは口をつぐんだまま、報道されませんでした。
sign the @Avaaz petition to save beautiful Jeju island, stand with the local people, and stop a new naval base http://t.co/Qk5NTZS
同じころ中国では高速鉄道の事故隠しが話題になりましたね。
そして韓国の市民の間では、中国政府の隠蔽を声高に責める日本のマスコミが物笑いの対象になっていました。なぜなら、中国政府の事故隠しを報じる日本のマスコミが、フクシマでは政府の事故隠しの片棒を担いでいたのですから。。。苦笑
国家とはそういうものなのですね。
都合の悪いときはメディア・コントロールして、大切なことを国民に知らせない。
韓国も、中国も、日本もおなじです。
そして国民の不満が高まると、隣国の悪口を宣伝して国民の敵対感情を煽り、国家への求心力を強めようとする。
問題は隣国にあるのではありません。
問題は国家と市民との間にあります。
地球環境や戦争問題のような超国家的な問題の解決のためには、各国の地球市民による国家パラダイムを超えたnetworkが必要です。それぞれの国の地球市民が手をつないで国家をcontrolしなければなりません。日本や韓国や中国など世界中の市民同士のつながりから、今日の問題を解決することのできる新しい文化は誕生するでしょう。
国家を超えるとは、敵対する隣国との間に立ちはだかっている、壁を壊すことです。壁とは国境です。国境をつくっているのは国家です。それを壊すのは国家ではありません、市民です。だから国家を超える問題の解決には地球市民の誕生が必要なのです。
更新日: 2011年8月 3日 11:51 
玄海原発の運転再開をめぐっては国(経産省)が現地説明会を開催し、玄海町長が運転を容認、海江田大臣の佐賀訪問によって県知事も再会を表明。そこでじつは諦めかけていたところ、ストレステストの実施によって、間一髪(菅一発!笑)、この夏の運転再開がなくなりました。このことに、まずはお礼を言いたいと思います。カンサンミタ!!
このタイミングでのストレステスト発言についてマスメディアは「国の方針がわからない、政府の意図がわからない」というとまどいの意見を多く報じていますが、私は、経産省・電力会社の馴合いによる安易な運転再開を認めない、という首相の強い意図が明確に示されたと思います。それは3.11以後によみがえった菅首相の政治家としての良心のあらわれだと素直に受けとり、拍手を送ります。
「政府内にブレがある。統一見解が示されない」との批判もありますが、これだけの大事件・大変化のとき、揺れやブレがあって当然ではないでしょうか。私は現政府が悪いとは思いません。むしろ、これだけの大きな事故を起こしたのに反省することなく、脱原発の流れをおそれ、電力不足をタテに、運転再開を急ぐ国(官僚)・電力会社・経済界こそ、ほんとうにひどい。
一年前に、菅首相を沖縄の戦没者慰霊祭で見かけましたが、3.11以後、浜岡原発を止め、原発推進のエネルギー政策を白紙に戻し、ストレステストの実施を宣言した菅さんは、あのときとは別人になったように感じます。まるで初めて厚生大臣になってエイズ訴訟問題に取組んだときのよう。もしかしたら市川房枝さんが夢枕に立って「しっかりしなさい」と叱咤激励されたのではないですか? 笑
昨日(7月11日)発表されたNHKの世論調査によれば、脱原発を望む市民は4分の3にのぼります。ところが菅首相を評価する人は16%にダウン。これは調査の方法がおかしい。ストレステスト実施発言直後、マスコミはこぞって菅さんをこき下ろしました。その直後の7月8日に世論調査がおこなわれています。これはマスメディアによる世論操作であり、フェアではありません。
「国の意向がわからない。政府の方針がばらばらだ」というストレステストについての意見がマスメディアで報じられていますが、この報道にはごまかしがあります。国とは官僚たちによる行政府です。そして内閣は国民によって選ばれた政治家の代表です。官僚と国民は同じではありません。官僚と内閣にも大きな隔たりがあります。
今の政府の混乱は、国民の代表である内閣の言うことを、官僚が聞こうとしないところにあります。大多数の国民は脱原発とエネルギー・シフトを願っています。ところが経済界と官僚と電力会社はこれまで培ってきた利権を手放そうとしません。それが玄海原発の説明会であらわになりました。説明をきいたのはなんと国に選ばれた5人の市民だけ。そして電力会社は組織ぐるみでヤラセメールを送信していました。
こんな体制で再会される原発の運転が安全であるわけがありません。安全保安院はどこを見ているのでしょうか?安全神話と札束で原発を建設・運転してきたこれまでといったいどこが変わったというのでしょう。国も電力会社も3.11から何も学んでいないのだと思います。おそらく学ぶ気がないのです。それを支持しているのが経済界と一体のマスメディアです。
一方に、《国家官僚・原発産業・電力会社・経済界・マスメディア》という原発推進のマネー権力システムがあります。そしてもう一方には脱原発を願う菅内閣と大多数の市民国民がいます。その両者が対立・対峙しているというのが今日の政治をめぐる構図だと思います。
原発をめぐるこの戦いは、日本だけの問題ではありません。ここで選択される道は、新しい地球文明のすすむ道になるでしょう。世界史にのこる重大な決定です。脱原発を願う私たち市民は、母なる地球とすべての生きものたちのために、この戦場で戦わなければなりません。といっても戦いとは発酵菌と腐敗菌のせめぎ合いのようなものでしょう。発酵菌が勝れば生命はよみがえります。
菅さんは本気でエネルギーシフトを進めようとしているように感じます。そうでなければ、あんなに唐突に浜岡原発の運転を止め、あるいは玄海原発の再稼動を止めることはしないでしょう。私は、菅さんを応援し、脱原発内閣を支持して、それでも野党が抵抗するなら、衆議院の解散総選挙をやるべきだと思います。
菅さんには、たとえばドイツのように10年で脱原発をはたすというような、エネルギーシフトの道すじを明確に示してもらいたい。猛反発をうけることになるでしょうが、市民は応援しやすくなります。衆議院を解散して脱原発総選挙をやれば、この秋には多数の市民の賛同を得て、第二次エネシフ内閣をつくることができるでしょう。YES WE KAN!
更新日: 2011年7月13日 11:33 
九州では9.11から10.10までの一ヶ月を「さよなら原発運動月間」として,各地で行われるさまざまなジャンルのさまざまなアクションが、情報を共有してつながり、大きな花の環になろうという、『ガーランド九州』がたちあがりました。
walk9もガーランドに結ばれる一輪の花として、8月28日から2ヶ月あまりかけて、九州を一周する巡礼をおこないます。
その思いを書きました。
また韓国巡礼をきっかけに去年からはじまったEOLAマルシェは、10月10日前後に、佐賀県唐津の虹の松原で開かれることになりそうです。
walkとEOLAに関する詳細な情報は追ってお知らせいたします。
《さよなら原発 walk9九州巡礼》
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも 夏の暑さにもまけず
欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米2合と味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを 人間を勘定に入れずに見聞きし
すべての生きものたちに ごめんなさい
ゆるしてください と謝罪し
野原の松の林の蔭や、寺や公民館や海辺に泊まり
東にうなだれている若者がいれば
立ちあがり 自分にできることからはじめようといい
西に集会を開くものがあれば
手をつないで 大きな花の環になろうとよびかけ
南や北に原発があれば つまらないからやめろといい
国や県や自治体には 7世代先の子供たちに
核のゴミを遺してはならないと伝え
生きとし生けるものの幸せをねがう
隣の国の人々と一緒に祈り 歌い 踊り
母なる九州島のひざに 木を植えながら
ほめられもせず 苦にもされず
そういうwalkを今年はやりたい
更新日: 2011年7月 4日 16:49 
静かな森の朝
窓の外の、大杉みどりさんの
やわらかな無数の新しい芽が
一本一本、すべての葉先から
放射能をおびているであろう
雨の滴を、したたらせながら
アリガトウ、アリガトウ
アリガトウ、アリガトウ
といっています
そこで私もこたえました
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ
アイシテイマス、アリガトウ
18、19日に
「さよなら原発・九州グランマー会議」と
「さよなら原発・九州世話人会議」が開かれました。
2日間とも洪水警報すらだされた大雨のなか、
九州各地から、大勢の人が集まってくださり、
会場は、ぎっしり、満員になりました。
原発のない九州へ!
なんと熱い思いが渦巻いたことでしょう!
さまざまなジャンルで活動されてきた人たちが、
それぞれの場で、それぞれの活動を広げながら、
つながって一つになるには、どうしたらいいか、
どうすれば、原発のない世界を願う人たちが、
社会の多数になることができるか?
それが語られたテーマでした。
9.11と10.10のギャザリング、
その間の一ヶ月をバイバイ原発月間とし、
各地で行われるさまざまなアクションを、
facebookのグループ"ガーランド九州"
で共有することになりました。
脱原発を願う人々が社会の多数になるためには、
行政や電力会社に原発廃止を訴えるだけでなく、
むしろ市民にむかって呼びかけることが大切です。
主催者や、実行委員会などをもうけずに、
日時や場所やシンボルカラー(黄)を共有し、
さまざまなジャンルのさまざまなイベントが、
原発のない九州という希望の糸で結ばれて、
大きなガーランド(花の環)になったなら、
それを母なる九州にささげましょう。
それをよろこんで大杉さんは
アリガトウ アリガトウ
とささやいてくれたのでしょう。
放射能をふくむ雨に濡れている
草や虫や鳥やけものたち、
雨水のそそぐ川の魚たち、
海の生きものたちも、
みんなつぶやいているでしょう、
アリガトウ アリガトウ
日付が変わって6月22日の夏至の時刻です。
眠れぬ夜、自分のために子守唄を書きました。
夏至
blue-greenの悲しみは
見えない明日の不安の夜
ふるふる雨のつめたさに
ふるえる胸の底の海
blue-greenの哀しみは
夏至の小さな希望の日
闇の深さにおののいて
ふるえる胸の奥の空
blue-greenの愛しみは
浅いねむりの夢うつつ
大きな蕗の葉のかげで
ふるえる胸の空の虹
更新日: 2011年6月22日 09:55 
草刈りをしていたら、
野ウサギの子どもにであいました。
よちよち逃げて、刈った草のなかにもぐりこんだので、
覗いてみると、まだ小さな赤ちゃんでした。
怖がって、目を見開いています。
草ごと抱いて背中をなでてあげると、
目をつむって、眠ってしまいました。
片手にのるくらい小さくて、
茶色い毛は生えそろっているけれど、
耳はまだ立っていません。
生れて、たぶん一週間くらいかな?
豆乳を指につけてなめさせてみましたが、
すっかり眠りこんでいます。
草むらでお昼寝をしていたところに草刈機の音がして、
お母さんは、おどろいて逃げてしまったのでしょうか。
夕方になって、お母さんが迎えにこれるように、
大杉さんの根もとの草むらにそっと放しました。
けれど二三歩動いたあとは身動き一つしません。
キツネに襲われたりしないか心配したのですが、
お風呂からあがって、もう一度見に行ったら、
もう、どこかへ行ってしまっていました。
お母さんがやってきて、一緒に
家に帰ったのでしょうか。
野生のウサギは警戒心が強く、
めったに触れることはできません。
小さな命の、なんと可憐でかわいいことでしょう。
今日は3.11から3ヶ月目。
福岡市で「さよなら原発パレード」に参加する予定でしたが、大雨で国道にでる山道が崩れて、朝から通行止めになってしまいました。
福島原発ではメルトダウンした核燃料を冷却するため、原子炉に水をかけつづけなければなりません。その量が毎日500トン。
水は穴が開いた格納容器から流れでてるので、放射能に汚染された水が増えつづけています。その量が100000トン。
あと一週間ほどで容量をこえた汚染水があふれだすそうです。
そこで、これ以上汚染水をださないように浄化装置をつけ、放射能や油分や塩分を除去して、水を循環させることになりました。たとえばゼオライトという化学物質に放射性物質を付着させて除去するそうですが、そうすると浄化装置そのものから高濃度に放射能汚染された物質がさらにでます。それをどう処理したらよいか、まだ誰もわからないといいます。これから研究をはじめるのだそうです。
何ということでしょう。まるでシジフォスの無間地獄のようです。
ラジオをつけたら国会で社民党の福島党首が管首相に質疑しているところでした。国がIAEAに提出した原発の改善策について、「それにはバクダイなお金がかかる。それだけかけても、ほんとうに原発が使えるかどうかはわからない。バクダイなお金がムダになるかもしれない。それより自然エネルギー開発に予算をかけるべきだ」といった趣旨の発言でした。
それを聞いていて、ふと疑問がわきました。
お金がムダになるかもしれないって、本当だろうか?
「ムダになる」と私も感じます。
でも、それは自分サイドに立った一方的な見方です。
原発を作ってお金を儲ける人たちがいます。その人たちにとってお金は「ムダ」ではなく、きわめて「有効」に使われているのではないでしょうか。だからこそ原発を作りつづけ、けっして止めようとしないのです。原発で発電ができても、できなくても、どうでもいいのです。お金を儲けさえすればいいのですから。お金のためなら、原発もつくるし、戦争だっておこすし、自然エネルギーでも何でもかまわない。それがヘッジファンドのような究極の資本主義の原理です。
そのようなマネーの力は、どんなに危険だとわかっていても、巨大な利権をみずから手放すことはないでしょう。
金を儲けるために、金の力で権力を掌握し、その権力によって国策で原発を推進して、さらに金を儲ける・・・そんなサイクルで運営されているマネーシステムがあります。
権力とは政治的な力です。
権力がマネーに掌握されて、政治の場が金儲けのために利用されています。(それは人々の心がマネーに掌握されているからでしょう)
それが問題のポイントです。
だから、
原発をなくすためには政治の場で多数になる必要があります。
市町村議会で多数になったら、原発を止めることができます。
住民投票で多数になれば、原発誘致を止めることができます。
これまでは、命より金をたいせつにする人たちが議会の多数を占めていました。だから、そこで原発の誘致が決められ、稼動が認められてきました。逆に、金より命をたいせつに思う人たちが多数になったら、原発をなくすことはできるはず。
政治にコミットすることなく、国や企業に「原発を止めてください」と頼んでいるかぎり、原発はなくならないでしょう。
政治の場で多数にならないかぎり、どんなに署名を集めても、デモや集会をやっても、原発はなくならないでしょう。
ドイツでは国家をあげて脱原発をすすめることになりました。
明日はイタリアで原発の是非を問う国民投票が行われます。
更新日: 2011年6月11日 21:06 
梅雨模様の雨がふっています。
お茶摘みの疲れもとれて、
久しぶりに訪れた静かな朝。
森にひびく小鳥たちのさえずりのにぎやかなこと。
激動の季節・・、いろんなことが同時進行しており、
自分のペースを乱さないようにするのが大変です。
これから、お茶の発送、田植えの準備、森の草刈・・
犬小屋を作ったり、屋根の修理や家のペンキ塗り・・
やれやれ・・・、今日は静かにすごしましょう。
霧島や阿蘇山の噴火活動のように、
九州でも脱原発への動きが活発になって、
6.11の翌週末に、以下のような会議を計画しています。
どうぞご参加ください。
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さよなら原発 九州グランマー会議 へのおさそい
と き: 6月18日(土曜日) 午後2時から
ところ: 菊池養生農園 伝承館 (宿泊可)
参加費: 無料(宿泊と食事代は実費3000円、要予約)
(熊本交通センターから熊本電鉄バスで、菊池温泉行き、伝承館前下車)
3.11以降、関東や東北から避難してきた家族や、子供づれのお母さんが、入れ替わり立ち代わりやってくるようになりました。ある日、福島市で有機農業を営んでいたという若い家族がやってきました。両親と一緒に十数年かけてつくりあげたリンゴ園を離れざるをえなくなったそうで、お土産にもってきてくださったおいしいリンゴジュースをいただきながら、なぐさめの言葉も見つからず、いっしょに泣いてしまいました。
有機農業をやっても、木を植えても、どんなによい教育をしていても、ひとたび原発が事故をおこしたら、すべてが失われてしまいます。どこに住んでいてもおなじです。子供たち、これから生まれてくるもの、生きとし生けるものに「ごめんなさい」と謝るとともに、なんとしても、地球上からすべての原発をなくしてしまわなければならないと思います。まずは九州から・・・
そのために、私たちにいま、何ができるでしょうか?
どんな行動を、どんなふうにやればいいのでしょう?
そこでいのちの育み方をいちばんよく知っているおばあちゃんたちに集まっていただき、その成熟した言葉に耳を傾けたいと思います。酵母のようなグランマーたちの愛と知恵が種になって、人々の胸の酵素が発酵し、ぷくぷくと新しい生命が生まれひろがって、いのちの発酵場ができたなら、おいしくて、元気のいい、やさしく、よい香りのする、さよなら原発ムーヴメントが醸しだされるのではないでしょうか。
(呼びかけ: 竹熊千栄子 正木千鶴子)
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さよなら原発 九州世話人会議 へのおさそい
と き: 6月19日 午後1時から
ところ: アンナプルナ農園 (宿泊可 要予約)
参加費: 無料 (食事代実費 要予約)
(地図は農園のホームページでしらべるか、電話でお尋ねください)
九州各地でさまざまな脱原発運動を行っている、さまざまなグループや個人が集まって、これからの活動予定などをシェアし合い、実現可能な共同行動を話し合う場をもちたいと思います。
原発のない世界を願う人たちが社会の多数になるためには、行政や企業に原発廃止を訴えるだけでなく、むしろ一般市民にむかって広範な参加をよびかけることが、大切であるでしょう。
3月11日から半年後の、9月11日から10月10日までの1ヶ月間を、
「さよなら原発月間」として、鹿児島・福岡など各地でイベントや集会を開きませんか。10月10日には10万人の大集会を・・・
主催者や実行委員会などをもうけずに、日時や場所などだけを共有して、さまざまなジャンルの、さまざまなグループの、さまざまなイベントが、
原発のない九州という希望の糸で結ばれた、大きなガーランド(花の環)
になったなら、それを母なる九州アイランドに捧げましょう。
連絡先
アンナプルナ農園
正木高志
熊本県菊池市木護
電話0968-27-0212
fax 0968-27-0206
annapurnafarm.com
更新日: 2011年5月26日 17:14 
浜岡原発が全面停止することになりました。大拍手です。
夏の電力不足が懸念され、強硬な原発推進圧力の中での、管首相の英断だと思います。3.11直後の福島原発の危機が、深いトラウマになっていたかもしれませんね。
また、原子力安全保安院が定期点検中の3号機の運転再開を認める方針であったことを考えると、官僚たちの無責任な行政のあり方に、管さんがとうとうキレたのかもしれません。
ここに至るには、浜岡原発を止めようと長年働いてこられた方々の努力の積み重ねがありました。その世論の後押しがなかったら、このような決断はできなかったことでしょう。ありがとうございました。
このようにして原発推進から脱原発へ、大きく舵をきってゆくことになるでしょう。地震と津波の犠牲を無にしないためにも、原発のない地球へむかって歩きださなくてはなりません。
いまは九州のあちこちで、これからどんなことを、どんなふうにやってゆくか話し合うミーティングを重ねています。そこで語られている大まかなヴィジョンを述べておきます。
国内が災害復興と原発事故の対策に追われている半年間は、喪に服したいという気持ちもあって、大規模な行動がおきるのは秋以降になるのではないか、と予測しています。
(1) 半年後の9.11から10.10までの1ヶ月を「さよなら原発月間」として、各地でのさまざまな行動をともにおこなえたらと思います。
(2) 9.11には川内原発のある鹿児島で集会を、また10.10には玄海原発に向かって福岡あたりで10万人集会(これは単なる語呂合わせです)ができないでしょうか。
(3) それに合わせて、9月から10月にかけて九州を一周する「さよなら原発キャラバン」を計画中です。(walk9も参加)
(4) フリーペーパーのような作りの「さよなら原発ブックレット九州版」を出版することも計画中です。
この集会は、主催者や実行委員会などを設けずに、日時だけを決めて、さまざまな団体のさまざまな行動が、「原発のない九州」という希望の糸に結ばれ、手をつなぐことによって、大きな花の環となり、それを母なる九州島に捧げるというイメージです。
機会を見つけて、いま各地でこんなことを相談中です。
と、ここまで書いてブログアップしたところで、管首相が、「総電力に占める原子力の割合を50パーセントにするという、従来の政府のエネルギー政策を、白紙に戻して見直す必要がある」という衝撃的な発言をしました。
ヤッター! 管さんスゴイ。
どんどんキレて、どんどんやってください。
みんなで応援しますよー。
更新日: 2011年5月10日 14:04 
汚された生命の織物
東日本を襲った地震と津波の犠牲者を哀悼し、被災された方々にお見舞い申しあげ、復興のために働いておられる多くの方々のご苦労に感謝し、またおなじ農業者として、原発の事故によって甚大な被害を受けられた農業や漁業者の方々へのお見舞いを申しあげます。その上で、あえて述べておきたいことですが・・・
ニンゲンは自分たちのことしか考えていない・・・
ニンゲンがゲンパツをつくったのに・・・
こっちの身になって考えることができないんだ・・・
そんな生き物たちのつぶやき声が聞こえてくるようで仕方ないのです。
社会通念からいえば、原発事故で迷惑をこうむった漁業者への補償は当然のことでしょう。でも、獲られる海の魚たちにとってみれば、それもずいぶんひどい話で、やっぱりニンゲンは自然のことなどこれっぽっちも思っていはいない、自分たちのことばかり考えている、そのように思えてなりません。
電力会社は放射能に汚染された大量の水を海に流して、これは海水で薄まるから人体には影響はない、といいます。ここには二重の大きな過ちがあります。一つは、放射能は微量であっても人体に大きな悪影響を与えるという科学的事実に対するウソ。そしてもう一つは、自然と人間が一体であるという真実に関する無知と、自然への暴力的な態度です。
放射能に汚染された水が流されたのはただの海水ではありません。海の中には美しく豊かな生きものたちの広大な世界があります。竜宮城ともよばれるその生命の織物の上に汚染水があびせかけられたのです。そこでは生きものたちがどれほど大きな苦しみと痛みをこうむっていることか。生命の織物とは何でしょうか?それを古来日本人は神と呼んできたのではないですか。放射能は母なる自然の神に浴びせかけられたのです。神を汚し傷つけたのです。
このような視点を持たないかぎり、人は反省しないでしょう。悔い改めないでしょう。悔い改めないかぎり、変わることはできません。そして変わることができなければ、ふたたびおなじ過ちを繰り返すでしょう。自然に対する人間のこのような姿勢こそ、すべての環境問題を生み出している根本の原因です。大きな苦難を経験して、私たちは生まれかわる必要があるはずです。これを学ばず、ここが変わらない復興に、どんな意味があるというのでしょうか。
更新日: 2011年5月 2日 17:42 
政府は福島原発事故の評価をレベル5としてきたが、このほど評価をレベル5から最悪のレベル7へ引き上げた。原発事故を評価する国際評価尺度(INES)はレベルが1あがるごとに規模が10倍になる。つまりこれまでより100倍も厳しい事故の現実を認めたことになる。
これまで政府は、放射能の危険を訴えて避難を勧めるインターネットの情報をデマと決めつけて批判してきた。しかしこれで、危険度を100分の1に過小評価してデマを流しつづけてきたのは政府の方であったことが明らかになった。
九州にも大きな波が押し寄せている。放射能からいのちをまもろうと東北や関東から避難してきた人たちだ。多くがお腹に赤ちゃんがいるお母さんや乳幼児をつれた家族であり、阿蘇周辺にも大勢やってきて新しい生活と場所をもとめている。
アンナプルナ農園にも大勢やってきた。
避難というよりも、これは都市文明のgrounding movementだ。都会から田舎へ、田舎から森へ・・という自然回帰指向はすでにあった。それが半農ではすまされず、全的なグラウンディングへと背中を押されたのだ。
一方このexodus(民族移動)を九州から見ると、関東からの来訪者たちは、これまで九州各地でバラバラに点在していたculture creativeたちをつなぎ結ぶ役割を果たすのではないだろうか。そしてそれによって九州の地球市民たちのローカルな文化が誕生する・・・
* * *
4月10日、アンナプルナ農園で「さよなら原発ミーティング」がおこなわれた。
その日、神奈川県で催された『みつばちの羽音と地球の回転』上映会にゲスト出演することになっていた歌手のUAが、避難先からスカイプで鎌仲ひとみ監督と対談し、ユーストリームでライヴ映像を送ることになった。
それに合わせて、ゲンパツをなくすためにこれからどんな行動を起こしてゆくかみんなで語り合おうということになったのだ。前日に急遽よびかけたにもかかわらず、こんな山奥の農園に、家からあふれるほど人がたくさんやってきた。
不思議なすばらしいミーティングだった。
UAは歌った。
・・・・・
うちに帰るそのバスは
もう明日から
来ないかもしれない
・・・・・
いつだって
泳げなくても
飛びこめるように
「プライベート サーファー」の歌詞はまるで予言のようだ。いまおきているこのbig waveに乗らない手はない。泳げなくても、飛びこむしかない。勇気をだして飛びこんだら・・・悪夢は消えて・・・気がついたら・・・フワフワ空を飛んでたりして・・・
ゲンパツはもうたくさん。
ゲンパツのない地球を・・
ゲンパツのない九州を・・
さよなら原発。
そんな思いが、やわらかであたたかい雰囲気の中で発酵し、香ばしいパン種のようにプクプクとふくれて広がり、みんなの顔がかがやき、暗かった会場が喜びの市場に変わった。3.11の衝撃と絶望が、その深く強いエネルギーはそのままに、前向きの深く強い意志に生まれかわっていった。
それは、ゲンパツのない地球をめざすculture creativeの誕生を祝うよろこびであったと思う。原発をつくる文明の終章は原発をつくらせない文化の序章だ。これから九州では都会と田舎の若者文化が渾然一体となって、新しいgrounding文化が生れようとしている。
* * *
さて、このようにして、『藤の浜ストーリー』は思っても見なかった形でエンディングを迎えた。4月10日は元旦から数えてちょうど100日目。宮崎県の串間市で原発誘致の是非を問う市民投票がおこなわれることになっていた日だ。
串間市の原発誘致がストップしただけでなく、九州から原発をなくし、ひいては原発のない地球を実現しようというbig waveが、こんなふうにして生まれるなんて・・。それは大津波の犠牲になった多くの魂の願いに応えることになるだろう。
おわりに、いま九州ではじまろうとしている、大集会の準備のためのミーティングのよびかけ文を、転載しておくことにしよう。
* * *
九州のゲンパツをとめよう
いま私たちが目の当たりにしているものは文明の大転換です。
原発をつくる文明が滅び、原発をつくらせない文化が生れる。
原発のない地球へ、文明は自然回帰するでしょう。
ツナミにおそわれた跡には、ヒトが築きあげたものが、粉々に打ち砕かれ、押し流されていました。文明の繁栄しているところでは、自然はきっとあのように、無惨に切り刻まれてバラバラにされているのでしょう。
フクシマでは、核燃料を大量の水で冷却しながら放射能漏れを防ぐという、終りのない過酷な作業が課せられています。まるで大神ゼウスに憎まれた狡猾なコリント王シジフォスが受けた罰のような・・・
大地にふりかかることは大地の子らにふりかかる。(チーフ・シアトル)
災いは突然起きたのではありません。これまで播いて育てた災いの種が、こんな苦い実をつけてしまったのです。
M9クラスの超巨大地震と大津波の発生は多くの学者が予測していたことでした。いまも直下で超巨大地震の発生が懸念される浜岡原発を止めるよう市民が働きかけていますが、それでも電力会社は聞く耳を持ちません。
清らかな水と豊かな生命がこの星の宝ものです。綾なす生態系の織物を放射能で傷めてはなりません。いまこそ原発を止めましょう。国や企業に原発をつくらせない力を醸しだしましょう。
そのために何をしたらいいか、自分に何ができるか?
どの時期に、どこで、どんなアクションを起こすか?
まず、集まって話し合うことから、はじめたいと思います。
更新日: 2011年4月16日 11:35 
空っぽの空に
いま私たちが見ているものは
転換する文明の「死と再生」。
チェルノブイリでソ連が崩壊したように、
フクシマで日本経済は破綻するだろう。
最初のドミノが倒れ、
世界恐慌のはじまり。
同時に、原発のない地球へ、
文明は自然回帰するだろう。
起きているのは文明史の大事件。
私たちは今まさにその渦中にいる・・・
騒々しい沈黙の春、たいへんな3月だったけれど、
私は阿蘇にいて、ただ木を植えていただけだった。
遠く離れた九州でも、ツナミはいろんなものを流し去った。
九州の最南端にある宮崎県串間市議会は、4月10日に予定していた、原発誘致を問う市民投票の中止を決めた。
誘致反対運動を展開していた市民団体も自然解散。
藤の浜をまもろうとした若者たちのアースデイも自然消滅。
1月から書いていた『藤の浜ストーリー』も雲散霧消。
・・・・・
まるで魔法の煙のなかに消えていったかのように・・・
なんて春なんだろう・・・
いったい何が起きたのか?
われわれはどこから来たか?
われわれはどこへ行くのか?
地震、津波、ゲンパツ。
揺れる、恐怖、放射能。
ここには二つの次元の異なるエネルギーが働いている。
あたかも二頭の竜のように、二つの渦がもつれあって。
生れくるものと、
死んでゆくもの。
ツナミでは、人は被害者だけれど、
ゲンパツの被害者は自然であり、人は加害者だ。
ツナミにおそわれた跡には、人間が築きあげてきたものが、粉々に打ち砕かれて、押し流されていた。
文明の繁栄しているところでは、自然はあのように無惨に切り刻まれ、バラバラに破壊されているのだろうか。
大地にふりかかることはすべて大地の子らにふりかかる。
(チーフ・シアトル)
地震と津波は日本の問題だが、
ゲンパツは文明の問題である。
ツナミの傷跡は、時とともにいやされてゆくが、
放射能の影響は、ゆっくり表われ、永遠に続く。
いまフクシマでは、放射能漏れを防ぎながら核燃料を水で冷却するという、終りのない作業が強いられている。まさにゼウスに憎まれた狡猾なコリント王シジフォスが受けた罰のように・・・。
大勢の人々が、九州へ、阿蘇へ、そして農園にもやってきた。
若者たちの大移動がはじまったようだ。
都会から田舎へ。
移動してきた人たちは、精妙な波動で生きているサトイックな人たちが多い。避難というより、時代の変化を鋭敏に察知して、土に根を生やした生活をはじめようとしている。
そんな人たちもたくさん植林にやってきて、
木を植えることでいやされ、希望を見つけた。
阿蘇の森はヤブが刈払われて、シイ、タブ、カシの苗木が300本植えられた。
この一年あまり思いつづけていたことが、不思議に実現した。
また3月の終りには、大分県国東半島の聖地・両子山(ふたごやま)で、シイ、タブ、カシはじめ2000本の苗木たちを植える植樹祭が催された。
主催者である両子寺の寺田さんは、はじめ50?100人の参加者を予想していたが、実際には想定をはるかに超えて、二日間の参加者はのべ350人にのぼったという。宿泊者も多く、お世話が大変だったことだろう。
なかには放射能を避けて関東から避難してきた妊婦や、乳幼児をつれた母親もいた。寒いながらもみんなヨロコビにみちて、うれしくたのしい春風に吹かれ、それぞれ木を植えながら、これからどこでどうやって生きてゆこうかと、思いを巡らしていたことだろう。
木を植えることは自然の神さまへの何よりの捧げもの。
そうしてここに森の赤ちゃんが誕生した・・・
わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのか?
文明の都市から来て、森へ帰る。
文明は自然回帰する。
*******************
昨日、阿蘇山の火口近くまで登って、お山にお参りした。
高岳は男神、火口は女神、その間に立って、お祈りした。
猛々しいエネルギーが激しい勢いで湧きだしている。
火の鳥の息吹と、生命のかがやき。
おお、なんという春が訪れたことでしょうか。
寒い冬がまだつづき、いきなり夏になるのでしょうか。
自然の神々の願いは、この世から原発をなくすこと。
人類が、もうこれ以上、自然を破壊しないこと。
現代物質科学文明の頂点に立つゲンパツが崩壊した。
これは現代文明の終焉。
ゲンパツを造った文明が、自ら滅びて、
ゲンパツを造らせない文明が生まれる。
生命と水がこの星の宝もの。
綾なす生態系の織物を放射能で傷めてはならない。
原発を止めよ、廃棄せよ。
原発は造ってはならない。
原子力は母なる神の力である。それをみだりに、
まして、戦争や商売のために使ってはならない。
火の鳥は、そんなふうにつぶやいていた・・・
・・・ように思われた。
更新日: 2011年4月 1日 13:31 
この冬はずっと原発問題に関わっていました。
宮崎県の串間市では「原発設置の是非を問う市民投票」が実施されることになっていたのです。
1月1日から市民投票が行われる4月10日までちょうど100日間。
私も自分にできることを精一杯やろうと、原発や放射能の危険性について学びながら、ブログに『藤の浜ストーリー』を書いていました。マグニチュード9クラスの超巨大地震が発生する可能性についての論文もつい最近読んだばかりでした。
じつは春分の日の今日から、原発建設工事がはじまっている山口県の上関へゆき、大分県の国東半島へ船で渡って、そこから串間市まで歩く「いのちの巡礼」をはじめることになっていたのでした。そんなところに福島第一原発の事故が起こったのです。
串間市は即座に原発誘致を取り下げ、市民投票は行なわれないことになりました。
国と電力会社が強力に推し進める原発を、私たちはまさに全身全霊の力をこめて必死に止めようとしていたところだったので、まるでつっかい棒が突然取り払われたように、宙に浮いた力を胸に抱いたまま、テレビのニュースとインターネットの情報に釘付けになっていました。
串間市の藤の浜の目の前に、イモを洗う「百番目のサル」で有名な幸島があります。百番目のサルのように串間の原発を止めることができたらすべての原発を止めることができる。私たちはそう信じて誘致反対運動をはじめたのですが、確かにこれで原発はなくなる方向へむかうでしょう。しかしそのために、私たちはこれほど苦しい経験をしなければなりませんでした。
ツナミの被害の大きかった東北地方の太平洋岸は、2007年に出雲の島根原発から青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場まで、原発のない社会を祈って巡礼したときに歩いたところです。福島県の双葉町、南相馬市、宮城県の仙台、石巻、女川、気仙沼市、岩手県の陸前高田、釜石、宮古市・・・とニュースで名前を聞くたびに、歩いた道や泊めていただいた家、出逢った人々の顔を思い出します。
地震・津波と原発事故は分けて考えなければなりません。
地震と津波は昔からあるローカルな自然災害です。人は被害者であり、その復旧には日本人が総力を挙げて取組まなくてはならないでしょう。
一方、原発事故は人災です。私たちはみな自然に対する加害者であり、日本だけでなく世界が取組むべき現代文明のグローバルな問題です。
国や電力会社はツナミが想定外だったといって弁解しています。それは嘘であり、想定しなかったこと自体が問題なのです。マグニチュード9クラスの超巨大地震発生の可能性については多くの学者がこれまでも指摘し、危険性を訴えてきました。それでも国策として原発を推進する国と電力会社はけっして耳を貸そうとしませんでした。想定したら原発をつくることなどできないからです。
串間市ではつい先日まで、原発誘致を推進する市長たちが、自治体の財政逼迫を訴えて住民をおどし、原発交付金の甘い汁を飲むようそそのかし、原発がどんなに安全であるかという「安全神話」を実際に語りつづけていたのですよ。そして、誘致に反対する人たちの論拠はまさにこの「超巨大地震発生の危険性」でした。
ニューヨークの9.11と同じように、フクシマの3.11は歴史の流れが変わってしまうほどの大事件です。歴史のシーンが変わり、もう元へはもどらないでしょう。それほどの経験をしても、原発をつくろうとする力はなくならないでしょう。
原発をつくらせない社会をつくらなくてはなりません。そんな新しい文化をcreateしなければなりません。これ以上の原発建設を止め、運転中の原発を見直し、核のゴミを厳重に管理する必要があります。それをどうやって実現するか? それが私たちの課題です。
原発を押し流したツナミは、串間市の市民投票も、「藤の浜ストーリー」も、「いのちの巡礼」も流し去りました。
やってきた多くのことがリセットされました。
私たちはどこから来てどこへ行くのでしょう?
そんなことをいま考えています。
更新日: 2011年3月21日 17:25 
10 森蔭のコノハナサクヤヒメ
啓蟄をすぎて、シイとタブとカシを補植する準備作業が終わった。
樹上につるが生い茂る、草ぼうぼうのヤブの、つるを切り、草を刈り、小さな木々を切って、整地をする、かなりタフな山仕事だった。
プロにも手伝ってもらったが、多くの作業を5、6人の仲間たちでやった。韓国からもドヒョンとオハイオが参加した。韓国巡礼を一緒に歩いた仲間だ。北海道の「森の子どもの村」で育ち、いまは森林組合で働いている若き林業者も手伝いにやってきた。
アンナプルナ農園で合宿し、毎朝おむすびを握ってから出発。
高原の農園から、さらに阿蘇の外輪山を登りつめると、そこは巨大なカルデラの火口壁をとりまくなだらかな大草原である。
南に宮崎の高千穂からつづく祖母連山、東には大分の九重連峰、北にはピラミッドのような英彦山はじめ福岡の山々、西には長崎の雲仙岳・・を360度ぐるりと見渡せる絶景ポイントだ。
カルデラの中には、阿蘇の五岳がまるで横になられたお釈迦さまのようにおごそかに、朝陽を浴びてぽっかり空に浮かんでいる。そのカルデラの内側の火口原までいったん下りて、ふたたび火口壁をすこし登ったあたりに、その森はある。
準備作業をしながら私は、シイとタブとカシをどこにどんなふうに植えるかデザインしながら、ずっと森蔭について考えていた。
生命は生気から生じる。
生気は発酵によってかもされる。
発酵は生命のむすび、生成である。
土中の発酵場は生命の母胎なのだ。
発酵の条件は土中の適当な温度と湿度だ。
それがなるべく一定に保たれること・・・。
その条件をつくり、まもるのは、森蔭だ。
森蔭こそ発酵場であり、生命が産まれる母胎である。
自然の森にはいると、地面がふかふかにやわらかい。
ふわふわと、雲の上を歩いているような感じがする。
気が引けるのは、足下に無数の微生物がいるからだ。
深い森の、落ち葉が降り積もった土は、掘っても掘ってもまだやわらかい。そしてそこには途方もなく広大な微生物の王国が広がっている。
人の目は森をなす草木に引かれ、その森蔭にあって人目を引かない土は、無意識の領域とおなじように、存在が意識されにくい。だけど森のすべての生き物たちはみんな土に抱かれている。水分や養分を吸収する肝心の木の根っこは、みんな土の中にある。土が、森の生命力にとってすべてなのだ。
森蔭に広がる土。ほかほかの表土。そこは膨大な生命誕生の場。
その生命力が、神話ではコノハナサクヤヒメと表現されている。
コノハナサクヤヒメとは森蔭に潜み、生命を産んでいるお母さんであり、そこから発する森の生気=マナだ。
この生命場すなはちコノハナサクヤヒメは直射日光にひどく弱い。
地面が直射日光にさらされると、気温の変動が激しくなって、乾燥し、あるいは雨に打たれて、精妙な生命体は生きてゆけなくなる。
コノハナサクヤヒメにとって大切なのは、森よりむしろ森蔭だ。
微生物や菌類が繁殖する森蔭の空間が、生命の母胎なのである。
そして森蔭が発酵場=生命場であるとすれば、それは免疫力の宝庫でもある。森を失うことは動物たちの免疫力が失われるということでもある。森を失ったことで人間の免疫力は低下した。
さらに深く見れば、土は落ち葉や朽ち木や動物の死骸からなっている。生物の死骸が長い年月かけ、積り積って土になる。つまり土は地上の全生命の尊い先祖である。
森が失われると、森蔭が失われる。
森蔭が失われると、生命が失われ、
生命が失われると、土は砂漠化する・・・
いま、生命のよみがえりをはかるには、森蔭をつくることが重要なのだ。
どこに、どんなふうに常緑樹を植えて森蔭をつくるか・・・
森蔭のつくり方を工夫するのは楽しかった。
森の伐採とともにコノハナサクヤヒメをもっともひどく傷つけるものは、放射能だ。
深い森蔭の土の中の、生命が湧出する発酵宇宙には、微細で精妙な生命体が生まれている。放射能は、たとえどんなに微量であっても、森蔭の微妙な生命体にとっては、大きな打撃になる。
たとえば風邪薬を、おとなが2錠飲むとするならば、子供は1錠、幼児なら半錠、と体重によって効果が変わる。さらに胎児にはその半分・・と、薬が毒に変わる量を考えるなら、微細な受精した卵子の細胞にとってみれば、どんなに微量であっても、大きな打撃になる可能性がある。
放射能はたとえ微量であっても、胎児や乳幼児に大きな障害を引きおこす可能性があるのだ。
!!!
と11日に、ここまで書いたところで、超巨大地震が起きた。
地震は阿蘇山でも、震度1くらいに感じた。
最初、霧島の爆発の風振かなと思った。
ラジオを点けたら、東北の地震と、
大津波警報のニュースだった。
事態はどんどん悪化した。
原発事故は致命的だ。
いまはまだ何も言葉がない。
みんなの安全をただ祈るだけである。
更新日: 2011年3月12日 17:27 
9 それでも春は来た
逃げる2月は今日で終り。
温かく、やわらかな雨が降りはじめた。
ヤマバトやキジが巣作りの準備をはじめ、ウグイスの鳴き声はまだ聞こえないが、枯れ木の枝を小鳥たちがしきりに飛び交っている。
天変地異が世界中でおこり、地上の生命は受難の苦しみのなかで沈黙を強いられている。それでも春はやって来た。
森づくりの作業がはじまった。
12年前、阿蘇山のカルデラの内壁に植林した広葉樹の森だ。
そのころは自然に返すための森づくりがはじまったばかりで、どんな木を、どんな植え方をすればいいのか、どんな手入れをすればよいか、まだほとんど誰にもわかっていなかった。
森づくりの状況はこの10年で大きく変化した。
森林ボランティアや若い林業者がふえ、CO2削減のための政府による造林助成も追い風になって、植林や間伐のような森づくりは、帰農ムーヴとおなじように、いまではすっかり新しい若者文化に定着している。
噴煙を上げる阿蘇中岳から見て真北へ向かい、カルデラの壁をすこし登ったところにその森はある。広さは4ヘクタール。内牧温泉街を見下ろし、その背後に東から西へ連なる阿蘇の五岳の眺望がすばらしい。
土地の人々は、そのゆったりとおおらかな山の姿を仏さまにたとえて、寝仏(ネボトケ。ネトボケではない)とか寝観音と呼んでいる。ぎざぎざの根子岳が顔、高岳は胸のふくらみ、噴煙を上げている中岳はまさにヘソであり、草千里の大草原は長い脚、そのつま先が杵島岳だ。
お釈迦さまの涅槃像は一般に横向きに寝て、腕で頭を支えておられるけれど、ここでは上向きに寝て、ヘソで茶沸かしながら、空を見ておられる。
森には水が湧き、中央を小川が流れている。
小さいけれど水は絶えたことがなく、サンショウウオが棲んでいるそうだ。
サラサラさらさら音をたてて流れ、小鳥たちの声とともにみごとな二重奏をかなでている。
植林したのはヤマザクラ、ヤマグリ、キハダ、ヤシャブシにクヌギとコナラくらい。いまでは5メートルを越える木が多く、枝と枝が密集し重なり合ってかなり窮屈だ。しかも広葉樹とはいえ多様性に欠けているので、森の豊かさはあまり感じられない。
植林して10年くらいたつと、木を植える問題点がいろいろ見えてくる。
なにしろ自然に返すための森づくりは、文明はじまって以来人間が行う大事業だ。これまで何千年も、人は森を壊して村や町や都市をつくってきた。そして自然を破壊しつくしたいま、自然に返すための森づくりをはじめたばかりである。試行錯誤しながら、謙虚に、よりよい方法を模索してゆかなければならない。
木を植えようという心はいいけれど、錯誤も多い。
自然にとってみれば、かなりありがた迷惑だろう。
だけど人の心のその変化は大切だ。なぜなら、
その心が、自然をここまで破壊したのだから。
人は自分の母親である自然を切り刻んではならない。
尊び敬い、生き物たちを大切にしなければならない。
そのような心をもう一度取り戻さなければならない。
その自然への回心がgrounding(自然回帰)だ。
ここが変わるべきポイントである。
人の心が変わらなければ、いくら技術が発達しても、破壊はやまず、自然は恢復しない。
フィンドホーン財団の創立者のひとりドロシー・マクレーンは、樹木や植物の精霊や神々のメッセージを受けることのできた人であり、植物界からの助言にしたがって、木を植え、花を育て、畑をつくり、まるで奇跡のように、スコットランドの不毛の地を自然の楽園に変えた。
『樹木たちはこう語る』(日本教文社)に、つぎのような樹木からのメッセージがたくさん伝えられている。
「私たちも一つの生命の一部であること、そして私たちに何一つ与えずに、ただただ私たちから奪い続けることはできないということを、人間は認識しなければなりません。もっと大きな見地から考えなければいけないのです。人間は何も与えずに収奪するのを止めて、地球全体のことを考える必要があります。」
回心してはじめて理解できることは、もちろん多い。
それはたぶん、蝶になってはじめて芋虫のことがわかるのと同じだろう。
いま、ここの森の問題は、落葉広葉樹ばかり植えてしまったことにある。
ことに冬は、すべての木の葉が落ちてしまっているので、全体がパサついた感じで、森らしい深みや潤いに欠けている。
『となりのトトロ』のメイのお母さんみたいに、やさしさも愛情もいっぱいあるけど、病んで、弱々しく寂しそうだ。
それでいて夏になると、クズなどのつる性植物が生い茂って、木々を覆ってしまう。
常緑樹がないために、地面に日が当たることが問題だ。
直射日光は地面のナイーヴな生命を破壊する。そこで、笹やアワダチソウやクズなどの荒っぽい生命が急いで地面を覆ってしまおうとする。
このまま放置すると、森にならずに竹林になってしまうおそれがある。そうなってしまった林が近所にあるのだ。
自然の森には、クスのような高木からツバキのような低木まで、たくさんの常緑広葉樹が生えて地面に直射日光が当たるのを防ぎ、地面の生態系をまもっている。
去年の冬、この森に座っていて感じたのは、潤いと活気のなさだった。
どこかおかしい、何かが足りないと感じた。陰が必要であることはわかった。だけど、どうやって陰をつくったらよいかわからなかった。スギやヒノキのような針葉樹をいくらか植えてみたが、何かまだもの足りなかった。
このままではせっかく植林した森がダメになってしまう。
どうしたらいいのだろう?
答えは東京の明治神宮の森にあった。
明治神宮の森は百年あまり前に植林された人工の森だ。人工だけれど、うっそうとしたみごとな森に育っている。常緑広葉樹が多く植えられて、幾層にも葉を繁らせ、地上には木漏れ日がちらちらと射すくらいである。
地表を苔が覆い、シダ類が繁茂して、しっとり潤っている、妖精も精霊も神々もやすらげるような森だ。
そこで去年4月に催されたアースデイで、ステージに上った植林の先達宮脇昭先生は、開口一番「シイ、タブ、カシ!」と叫ばれた。
「ハイ、みなさんも大声で、シイ、タブ、カシ! この3つの名前を憶えてください。いいですか、ハイ、シイ、タブ、カシ!」
照葉樹林帯の代表的な常緑広葉樹だ。
「シイ、タブ、カシ」と叫びながら私は、そうだそうだ、これが阿蘇の森にかけていたものだ、と心のなかで大きく頷いていた。
見ると、神宮の森にもシイ、タブ、カシはたくさん植えられている。
シイ、タブ、カシ・・・
シイ、タブ、カシ・・・
そんなふうにして、3月1日から2週間、ヤブを払い、つるを切り、間伐をして、シイとタブとカシを植えることになった。
更新日: 2011年3月 1日 11:03 
南の魔女が立ちあがった。
月の夜に藤の浜の上空を笹にのって飛んでいた・・・
なんて噂がたってもおかしくない、
彼女の名前はラッキー。
彼女が、「人はみんな魔法使いよ」って語っているのを耳にしてから、ラッキーは、私の物語の中の、魔女になった。魔法使いとは、自然の美と神秘に心を開いた人という意味だろう。
串間市の田舎にすてきな古民家を借りて住んでいる。引っ越してからちょうど1年という。
あまり確かではない私の目から見てということではあるが、ラッキーはほんものの芸術家だ。NHKの詩のボクシングで優勝したという話も聞いた。何度か挨拶をしたことはあったが、近寄りがたい威厳のようなものを感じて、話をしたことはまだなかった。
藤の浜ストーリーではこれまで海に惹かれてやってきた若者たちを何人か紹介してきたが、数日前にそろそろ彼女の出番ではないかと思い、「ラッキーはいったい何をしにきたのだろう?...」と考えてみた。
移住者たちは藤の浜の自然をまもるために呼び寄せられてきたと私は信じている。それなら彼女はどんな役目を与えられているのだろう?と考えたのだ。歌い、踊り、詩を書き、朗読して・・・あれだけインパクトのある人だから、何らかの役割を演じるはず。
するとこだまのように答えが返ってきた。
ラッキーは県議選に立候補するのではないか?!
市民投票は「原発設置の賛否を問う」とされている。
だから原発が建つかどうかに重大な影響をあたえる。
ところが県議選と同日になされることになったので、
1地域の市民投票などマスコミの話題にのぼらず、
この大問題が埋没させられてしまうおそれがある。
原発の危険を市民に訴えるには、誰かが県議選で、
原発問題と市民投票を争点に持ち出す必要がある。
しかし県議選にでるのは生半可なことではない。
言葉の力もパフォーマンス能力もなくてはならない。
ラッキーならできるのではないか・・・。
そう考えて、メールを書くことにした。
だけど彼女のことをなにも知らないので、何人かに相談してみた。
その人たちの賛同をえて、メールを書き、さてラッキーのメルアドを誰に尋ねようかな、と思ったところに電話のベルが鳴った。
なんと、ラッキーからだ!
そして彼女は、なんと、
県議選に立候補したいと考えたのですが、どう思いますか、といった。
この数日間、ずいぶん深く考え、人にも相談したという。
原発について知れば知るほど、どんなに地球と自然とすべての命にとって危険であるかわかった。
安全神話の色眼鏡をはずして見たら、そのとんでもない恐ろしさがよく見えるようになった。もう黙ってはいられない、という。
いまメールを送ろうとしていたことを伝えると、彼女も絶句した。
聞いてみると、私が彼女のことを考えた日と、彼女が立候補を決意した日が同じだった。こんなことってあるんだ・・・。やっぱり、ほんとうに海がみんなを働かせているのだろうな。
メールを送った。
〜〜〜
ラッキーへ
市木のみんなに出会ったとき、あなたはとくに印象の強い人でした。
市民投票の話を聞いたとき、みんな藤の浜をまもるために呼ばれて来たのだと思いました。
名護先生が沖縄から来られたのも、このムーヴメントが「赤椀の世直し」であることを伝えるためでしょう。
「赤椀の世直し」とは"女たちのrevolution"です。
九州の南端の串間から「懐かしい未来」へ、女たちの世直しの波が起きるのでしょう。
女性が立ち上がること、それが「赤椀の世直し」です。
原発が誘致されるかどうかは女性のめざめにかかっていると思います。
先日、串間のことを考えていたとき、・・・鳥が空からながめるように、
阿蘇の山から、はるかに遠い海を思い浮かべるのですけれど・・・、ふと
ラッキーは何をするためにきたのだろう?と思ったのです。
きっと何か役割をもってきているはずだと・・・、そのとき
あ!県議選に出るの・・・?
と閃いたのでした。
県議選は住民投票と同日選挙だから原発をアピールするチャンスです。
安心して堂々と、新聞でもテレビでも、しっかり原発の話ができます。
串間中の人々と、歌って、踊って、できるだけ大勢の人と、手をつないでまわってください。、手を通して自然のやさしさが串間の人々に伝わりますように。
〜〜〜
串間市では市議選と県議選と市民投票が4月におこなわれることになっている。
本来なら市民投票は市議選と一緒にやって民意を問うべきなのだが、県議選と市民投票が10日に、市議選はその2週間後におこなわれることになった。
だから原発問題を市議選の争点にすることはできない。
県議選の陰に隠れて埋没しがちな原発問題を、市民と県民に広く知らせるためには、ハードルは高いが誰かが県議選で訴えるしかない。
だけど県議選に立候補するのは簡単なことではない。
いくつかの条件をクリアしなければならないだろう。
まず、藤の浜に集まった仲間たちの賛同をえることが必須条件だ。
また18年前に串間の自然をまもった地元の古強者たちの協力も必要だ。
それができたら、夢見る熱意は実現するだろう。
できなければ、逆に混乱を招くことになる。
本気になれば、この難題、解決できないことはない。
若者たちも地元の老人たちも共に串間の自然をまもりたいと心から願っている。
若者たちは老人に敬意を払って学び、老人は若者を育てることを学んだらいい。
そして一緒に市民投票に向かって行動ができたら、7世代先に手渡す「懐かしい未来」をよみがえらせることができるだろう。
できないことではない。
どうすればできるのか?
それが問題だ。
きっと心の問題なのだと思う。
今夜は満月。
もしかして藤の浜の上空を、
南の魔女が笹に乗って飛んではいないだろうか?
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これで第一幕・藤の浜ストーリーを終わります。
第二幕は阿蘇の山で森の声に耳を傾けます。
更新日: 2011年2月19日 11:46 
串間市は全戸に、一冊の本を配布した。
添えられた市役所からの手紙には、以下のような文章が書かれていた。
さて、「串間市における原子力発電所設置についての賛否を問う市民投票」の投票日を平成23年4月10日(日)とすることとなりました。
そこで、行政としましては中立的な立場に立って、「原子力・エネルギー」の情報を提供するにはどのような方法がより良いか検討した結果、文部科学省と経済産業省が作成しております中学生用の副読本「チャレンジ!原子力ワールド」(別冊)を各世帯に1冊をお届けすることとしました。
この冊子は、原子力政策を進める国が出した、いわば大本営発表のような情報だ。知らない若者のために説明しておくと、大本営発表というのは、太平洋戦争時に軍が国民に伝えていた情報で、国民の士気の低下を恐れる軍は敗戦の情報を隠し、勝利を誇張して伝え、結果的にヒロシマ・ナガサキ、そしていまにつづくオキナワの悲劇をもたらした。「原子力ワールド」はそんな国の政策のプロパガンダだ。中立的だなんて、とんでもない。
冷戦時代、合衆国は国策として推し進める核兵器開発を保護するため、核関連施設の事故や、危険を示すデータを隠蔽しつづけてきた。国は嘘をつくものだ。最近ではブッシュの周りをかためたネオコンが、イラク侵攻を正当化するためにウソの情報を流しつづけていたことが明らかになった。しかしそれでもラムズフェルドは「戦争中はウソもつかなければならなかった」とうそぶいている。
国家のつく嘘がどんなものであるか、ちょっと『原子力ワールド』をのぞいてみよう。まず、表紙を開けて、目次のある見開きのページ、とてもカラフルだ。これは最初に書かれているクイズだ。
ここでクイズです。
Q1. 原子力発電所の周囲では他の所と比べて放射能のレベルが高いので、人体に影響がある?
Q2. ヨーロッパでは原子力発電を廃止する国々が増えている?
Q3. すべての放射線は鉛や厚い鉄の板でないと止めることはできない?
どうでしょうか? 答えはすべて"No"です。
どうでしょうか? 答えはすべて"Yes"である。
のっけから、こういうひどい嘘をついている。
1月16日のブログ(藤の浜ストーリー no.2)に新聞記事を引用して詳しく書いたが、放射線の健康に与える影響を調査している米研究機関は、原子炉の閉鎖によって、周辺に住む乳児の死亡率が激減したとの調査結果を発表している。つまり原子炉が運転されていた間は乳児がたくさん死んでいたのである。
もうひとつだけウソの例をあげておこう。31ページの原子力施設の事故と防災対策の項目で、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故について、こんなふうに書いてある。
放射性物質は空気の流れに乗って広がり、国境をこえヨーロッパの国々にも影響をもたらしました。この事故により、31人の死者が発生し、また、放射線による病気で多くの人々が苦しみました。
ここではわずか31人とされているが、チェルノブイリの被災者について、greenpeace の鈴木真奈美さんは以下のように書いている。
チェルノブイリ原発事故は、北半球全体を汚染しました。被災者は700万人を越えると考えられています。事故に起因するがん死については、研究者によってその評価に開きがあります。2005年、IAEAや世界保健機構などで構成されるチェルノブイリ・フォーラムは「これまで確認された死者と予測されるがん死を合わせて最終的に4000人ときわめて低い見積もりを発表しましたが、これは対象集団の範囲を著しく狭めた結果です。一方、たとえばグリーンピースは9万3000人と予測しています。
前に紹介した『死にいたる虚構―国家による低線量放射線の隠蔽』という本は、次のようなブレーメン大学のシェール医師のコメントを載せている。
生後1週間のうちに死亡する赤ん坊が、特に目立っていた。詳しく調べると、1986年夏に生れた乳幼児と同様に、チェルノブイリ事故の1週間にちょうど妊娠していた乳幼児の死亡率も目立って増加している。
(ポーランドでは)1986年度の新生児出産数は1985年よりも10%低下していることがわかった。もし1986年のチェルノブイリ事故以前の最初の4ヶ月にほとんど変化がなかったとしたら、チェルノブイリの放射能の到着後、約14%も低下したことになり、夏だけについて見れば、おおよそ、20%も低下したことになる。(『死にいたる虚構』10ページ)
グールドとゴルドマンは統計学の手法を駆使した調査によって、チェルノブイリの惨事により、アメリカではその夏の間に4万人もの人が過剰に亡くなったと予測している。ウクライナから1万5千キロも離れたアメリカでさえ、である。だから彼らは、もっとも感受性のある人々に対する低線量被曝の影響は千分の1に過小評価されている、というのだ。グリーンピースの9万3000人というのはけっして過大評価ではない。
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すべての波がひとつの海から立ち現れるように、すべての生命はひとつの地球生態系・ガイアから立ち現れている。
死者何人という数字にだまされやすいけれど、死者以外はだいじょうぶかというと、そうではない。
そんなに多くの死者がでるくらい、生命全体が汚染され、病んだのだ。
あなたも、わたしも、誰もがダメージを受けたのだ。それが免疫不全を引きおこしている。エイズやインフルエンザの流行も、低レベル放射能の被曝による免疫不全が原因ではないかと疑われている。
チェルノブイリ事故で放出された放射能は、核爆弾の投下や核実験や原発の事故などで人類がこれまでに大気圏内に放出した放射能の約10分の1にあたるという。つまり、地球生命圏はすでにあの10倍もの放射能を被曝しているのだ。そして原発は現在も、これからも未来永劫に放射能を出しつづける。
この傷つき病んだ地球生命圏こそ、すべての生命の基盤であり、先祖代々神と呼んで敬ってきた、もっとも尊い宝である。
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先月串間へ行ったとき、菊池洋一さん宅に寄ると、ちょうど外で薪を割っておられるところだった。といっても、黙々と斧を振るっていたのは若者で、菊池さんが薪割りしているのを見かねて、手伝いを買って出てくれたという。
暖かい、よいお天気で、そのまま外で立ち話をしていたら、軽トラがとまって、ひとりのおじいさんが降りてきた。菊池さんと仲よしらしい。
それが大崎さんだった。18年前、市議会議長をつとめ住民投票法案を成立させて原発誘致を止めた立役者のひとりだ。ゆっくりと歩いてきた大崎さんは菊池さんに、開口一番、
「一緒に共同代表をやってもらえませんか?」とおっしゃった。
菊池さんは「はい、わかりました」と答えられた、「では明日事務所を掃除して、あさって事務所開きをやりましょう」。
そんなふうにして地元の古強者たちによる反原発市民投票対策本部(仮)が立ちあがった。この二人の古強者は頼もしいかぎりである。
菊池さんは原発技術者としてのキャリアだけでなく、アーティストとしての才能にも恵まれた方だが、それ以上に若い時代から宗教に興味をもっていたとおっしゃる精神性の人である。
大崎さんも、それに輪をかけてスピリテュアルな方のようだった。宮崎県には武者小路実篤の「新しい村」の精神をくむ、志操の高い人たちが多いのかもしれない。
それでいて、お茶を喫みながら「原発は建てるのに10年はかかる。絶対に建てさせん!」と、じつに勇ましい。いやはや見あげた魂魄だ。
18年前の反原発誘致のネットワークはまだ健在である。
ただし、精神は健在だけれど、身体の動きはいささか悪そうだ。
18年前、菊池さんは50代前半、大崎さんも60を過ぎたばかりだった。
いまも50%の反対票を組織する実力はあるが、足腰には衰えもみえる。
住民投票に負けても、それからが戦いだ、という弱気も見え隠れしている。
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弱気は、若者たちもいっしょだ。
あれだけ盛り上がったところに市長からの横槍がはいってシュンとなっている、もちろん対策を講じてはいるだろうけれど。
大崎さんと菊池さんの会談の場に居合わせたことはとても幸運だった。
前回戦ったキャリアをお持ちの地元の方々のゆるぎない自信を見ることができたからだ。よいしょと立ち上がるのに少し時間がかかったけれど、知恵はますます冴えわたり、心は透明で壮大だ。50%の票を勝ち取る力は十分にある。
そうであれば、若者たちは5%の票を生みだすだけでいい。
それを、経済より自然を選ぶ地元の人々の、50%にプラスすれば、
秤は原発反対に傾き、住民投票で原発を止めることができる。
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更新日: 2011年2月15日 10:44 
串間からのメールによると、ゲンちゃんを中心に計画が進められてきた「アースデイ串間」の開催が、ピンチに立たされている。
4月3日に会場として借りることになっていた公園が、市長の横槍で、突然、貸せないといってきたのだ。
加藤登紀子さんのアースデイ出演が決定し、フライヤーも印刷寸前というところだった。
ゲンちゃんたちは市長に面会に行ったが、まったく話し合いにならなかったらしい。
契約書まで交わしているんだから裁判したら勝てる、という意見もあった。
だけどそんなことしたら何のためにやっているのかわからなくなってしまう。
こんなに露骨な妨害をするくらいだから、他の公共施設を当たっても、かなり難しいだろう。たとえ民有地でやれたとしても、地元の参加は邪魔されるかもしれない。
ゲンちゃんは、市木に住みはじめてからまだ半年くらいしかたっていない、もっとも新しい住民のひとりだ。それまでは、20代なかばの若さで、コンピューター会社の営業部長をつとめていた。東京生れ。中学卒業後アメリカへ渡って高校から大学へ。南米やオーストラリアなど世界を旅して2007年に帰国。就職して宮崎営業所へやってきた。
そのころ天空カフェ・ジールで働いていたリナちゃんに出逢い、恋に落ちて、子供ができた。そこで藤の浜のある市木で子育てしようと引っ越してきた矢先に、原発誘致の話が降って湧いたのだった。
ゲンちゃんはずば抜けた計画力と行動力の持ち主だ。12月の最初のミーティングのときからアースデイをやりたいといっていたが、他の活動計画がまったりと進むなか(あるいは進まないなか)、持ち前の行動力を発揮して、まるで四輪駆動車のようにグングン計画を進めていった。
ちょうどのタイミングで、あの再処理工場のある青森県の六ヶ所村で、4年前に「アースデイ六ヶ所」を立ち上げたワンダー君が、旅の途中で串間に立ち寄って、住民投票までここにいることになった。強力な助っ人がきた。その勢いがよくて、あんまり面白そうなものだから、自分がまだ十分に定まらないまま、まわりのみんなも引きよせられるようにして、アースデイ・プロジェクトはますます盛り上がっていった。
会場契約を済ませ、地元の市会議員や農協の職員とも対話を重ねて、若者たちが地元の市民と一緒にやるアースデイのヴィジョンの輪郭が、おぼろげながら姿をあらわそうとしていた。ミーティングでは、自転車発電で舞台の電力をまかなうことや、子供たちの自然フォト・コンテストや、ギネスブックに挑戦するスイートポテトづくりなど、イベントのさまざまな内容や、担当者の分担や、タイムスケジュールなどが話し合われた。
串間市はサツマイモの名産地であり、そのブランドを守るために、前回の原発誘致騒動のときも、地元農協は反対運動の中心になっていた。そのサツマイモを使って世界一のスイートポテトをつくろうという案に、農協の方はとても喜ばれ、顔を紅潮させて一緒にがんばりましょう、と期待を表明された。
その燃え上がろうとした炎に、市長が冷や水を浴びせた・・・
私は、みんながたぶん、水をかけられた焚き火みたいにジューッとなっているだろうなと思って、メーリングリストにつぎのようなメールを送った。
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みなさん マイサです
阿蘇から、陰暦お正月の挨拶をおくります。
この2日間、風邪をひいて寝こんでいました。
さっき起き上がって3日に書いていたブログをアップしたところです。
アースデイの会場がダメになったこと知りました。
市長の横槍、契約無視という横暴な態度。
ほんとうにひどい話ですねえ。
この調子だと、このような露骨な妨害は、もっとひどくなるでしょう。
さまざまな妨害を想定して、それに耐えうる計画をたててください。
たとえ民有地で開催できても、邪魔されて、もし地元住民の参加が少なければ、よそ者だけが騒いでいるという逆プロパガンダに利用されるかもしれません。
他にも鳥インフルエンザの問題とか、アースデイが中止になる可能性だってあるはずだから、アクションが一本化されてしまうのは、あまりよくないと思います。
いくつものアクションがあって、それぞれが調和して、ひとつになる。十一面観音さまのように(^^)・・・。串間のこの100日間全体もロングラン・アースデイだと思います。
計画にはネガティヴ・チェックが必要です。長所ばかりを考えて盛り上がると、落とし穴にはまります。もっとも、悪くなることばかり考えていても、いいことはないでしょうが・・・。計画の短所をチェックすることは自分を知ることです。敵を深く知ることにもなるでしょう。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と孫子がいっているように。
みなさんは、藤の浜の生きものたちの未来を汚したくない、壊したくないと思って、海のお母さんのために働いているのでしょう。
むしろ私は、藤の浜がじぶんを護らせるために、みんなを呼び寄せたように感じます。だからこの時期にみんなやってきた、と。
藤の浜へゆき、海のお母さんに、しずかに耳をかたむけてください。
海が、道をひらく知恵や力を、与えてくれるはずです。
なぜなら、みんなを働かせるために、海が呼んだのですから。
真心はかならず、天地の神々にも、人々の心にも伝わります。
串間はとても重要です。
ここが止まればみな止まる、百番目のサルみたいに・・・。
このムーヴは、原発のない世界を創りだすculture creativeのモデルになるでしょう。
それは種になって空を飛び、散らばって、世界中どこでも止めることができるようになるでしょう。
すべて刻一刻変化します。
私たちはこのような試練に取組むことで成長します。
産道をとおる苦しみのようなものかもしれません。
その成長によって問題が解決されるようになります。
どうぞ、ここでさらに一歩、前進してください。
そうやって、新しい文化が誕生するでしょう。
道が途絶えたとき 空はひらかれ
歩けなくなったとき 羽は生える
・・・・・
今朝、
200メートルほど離れている母屋までゆく途中に、
ステキな発見がありました。
1月に降った雪はもうずいぶん溶けてしまったのですが、小屋のある森の中や、茶畑の間の道の日陰などにはまだすこし残っています。その、昨日今日溶けた雪の下に、とてもみずみずしい緑がかがやいていたのです。新しい春の緑が、雪がいつまでも溶けなかった、もっとも厳しい場所から萌えだしているのです。
雪の溶けたところの草は枯れ草色なんですよ。むしろ雪のあるところは、霜や冷たい風からまもられて、きっと地面が暖かいのでしょう。中は雪解け水で潤って、すごく鮮やかな新しい緑が芽吹きはじめている。
さむいさむいといっていたけど、ああこの冬は雪にまもられていたんだなって思いました。
なんだかNHKラジオみたいなしめくくりになりましたが・・・
更新日: 2011年2月 9日 12:25 
フシギなことがつづいている。
2月1日の午後、二組の来客があった。
ひと組は、木を植えながら世界中を歩くアース・ウオーカー中渓君のグループで、東京からラジオ番組の取材にやってきた。
山口からやってきたヒロシとアコちゃん兄弟は、祝島で反原発運動にかかわっている心やさしいアクティヴィストだ。
かれらはここではじめて出会ったのだが、前夜はともに宮崎県の高千穂町に泊まっており、しかもなんと、二組ともそれぞれ秋元神社におまいりしたあと、ここへ来たという。
秋元神社は、高千穂神社から深い峡谷に架かる橋をわたって狭い山道をえんえんと辿ってゆかねばならない辺鄙な所にある、マニアかオタクかよほど熱心な者じゃないと知らない小さな神社だ。
こんな寒い季節に、そんなところへお参りした人たちが、同時刻にここへやって来るなんて、あり得ない!
神社近くの山中に巨大な洞窟があって、息吹戸主(イブキドノヌシ)という神さまが祀られているという。息吹戸主は神社などで日々唱えられる大祓詞(おおはらいのことば)にでてくる神さまだ。
・・・息吹戸(イブキド)にます 息吹戸主という神 根の国 底の国に 息吹放ちてむ かく息吹き放ちては 根の国 底の国にます 速佐須良比賣(ハヤサスラヒメ)という神 もち佐須良(サスラ)い失いてむ かく佐須良い失いては 罪という罪はあらじと 祓い給い清め給うことを・・・
大祓詞を私は「大浄化の予言」と受けとめている。形容詞をはぶいて文脈をわかりやすくたどると、つぎのようになるだろう。
(浄化の時がくると)
天の神と国の神は、罪という罪がなくなるまで祓い清める。するとそれをセオリツヒメという川の神さまが大海原へ押し流す。するとそれをハヤアキツヒメという海の神が呑みほしてしまう。するとイブキドノヌシという風の神が、根の国、底の国に向かって息吹き放つ。すると根の国、底の国にいるハヤサスラヒメという神はさすらい去ってしまう。このようにして罪という罪がなくなるまで、大浄化がおこなわれる。
息吹戸主という神は、そのように罪を祓(はら)い清め、浄化する風の神だ。イブキとは、フイゴで風を送るように、勢いよくフーッと吹くこと。台風や火山の爆発などもその神の働きとされる。
彼らは大浄化がはじまったことを伝えるために秋元神社からきたのだろうか?
霧島の噴火はイブキドノヌシの息吹であり、祓い清められるべき罪とは現代文明の罪の象徴である原発だ。大浄化とは原発やもろもろの自然破壊をなくすことではないか。
天の神も地の神も動きはじめた・・・
山口県の上関では原発建設のために山を崩す造成工事がすでにはじまっている。反対する漁師やサポーターたちは漁船やカヤックにのって、身体を張って海岸の埋め立てを防いでいる。カヤックで作業船に抗議した若者が逮捕されたという。また山口県庁前では10代の若者数人がハンストに入っており、すでに2週間以上過ぎた。みんな何とかして原発を止めたいと願っている。しかし原発を推進する力は強大だ。
いったい、どうやって原発を止めることができるのか?
原発を止めることができれば、もろもろの自然破壊も止めることができるようになるだろう。
しかしたとえ他の環境破壊を止め得たとしても、原発を止めることができなかったら、地球の生命の未来は地獄と化すだろう。
ヒロシとアコのふたりに、どうすればホントウに原発を止めることができると思うか、考えを聞いてみた。
お金が問題だと思います、とヒロシは答えた。
一般の人々はお金に縛られて身動きがとれない状態です。多くはお金に困っており、恐怖にとらわれて生きている人たちには、ものを考える余裕がありません。自殺もウツもマネーの犠牲にされた社会の姿であり、その象徴が原発だといえます・・・・・
アコは、原発は600%間違っていると思います、といった。
50%くらいの間違いなら是非を考えますが、まったく間違ったことだから反対するしかないのです。ぼくは、無関心だったり、問題に関わりたくないと思っている人たちが事実を知ってくれれば、状況は変わると思っています。それでわかりやすく楽しい紙芝居で原発の話をしながら各地を回っています。多数決でものを決める社会だから、多数の人に知識が伝われば、独自の選択が可能になると思います・・・・・
現代文明社会は戦争と環境危機の二つの問題を抱えて破綻しようとしている。核兵器に使用するプルトニウムと膨大な自然破壊をもたらす原発は、その問題のかなめだ。
国は国策として原発を推進している。そのために危険な情報は隠蔽されてきた。それはアメリカもロシアも中国も韓国もおなじだ。
国家の役割は国益をまもることにある。
国家は国家の無事と繁栄を最優先する。
それは国家の義務であり、正しいことだと思う。
問題は、国家には国家を超える問題を解決する働きができない、ということにある。
国家にとっては国家が至高の存在だから、地球環境危機のような国家を超える問題の優先順位は、国家の問題より低いのは当然だ。
国旗に敬礼して国家への忠誠を誓うものはたくさんいるが、彼らは地球に敬礼して地球への忠誠を誓ったりはしない。
重ねていうけれど、それは国が悪いというわけではない。
国家にとっても、国民にとっても、国を大切にするのは当然であり、りっぱなことでもあると思う。
だけど、それだけでは地球環境問題は解決しない。世界平和もけっして実現しない。なぜならすべての国々が自国の利益のために競い合うからだ。それが国連の安全保障理事会にあらわれているし、気象変動に関する国連枠組条約締結国会議(COP)にあらわれている。
国家の集合である国連には国家を超える問題を解決することはできない。これまでもできなかったし、これからもできないだろう。
国家間の戦争をなくし、国家を超える環境危機を解消するためには、国家を超えたなんらかの新しいシステムが必要だ。しかしそれはまだ誕生していない。
もし自分を日本の国民であると考えるなら、憲法九条を変えて軍隊を持つほうが安全と考えるかもしれない。国家の利益のために国策にしたがって原発に賛成するかもしれない。
しかし私たちは、日本人でもあるけれど、それ以上に地球市民である。
地球市民としての私は、地球社会から戦争がなくなるように、日本の憲法九条が世界の憲法になればいいと願っているし、地球市民として、この星のすべての生命の幸福が持続可能であるように、目先の利益のために原発をつくってはならないと思う。
ジョン・レノンのイマジンを愛する人は世界中にたくさんいる。その開かれたハートは国家を超えている。
地球市民意識は非国民の意識ではない。それは国家の生みだした戦争と環境問題を解決する超国民の意識だ。
開かれた人々が、原発を止めるためには、何をしたらよいのだろうか?
「さっき、多数決で決める社会だからっていったよね。それって、何の多数なの、どこで多数決なの?」とアコに尋ねてみた。
「あ、そうですねえ・・・」
「議会での多数、ってことじゃない?」
「ええ、そうです、議会だと思います。」
「そうだよね、地方議会から国会まで、さまざまな議会で原発の誘致や建設が決められている。ダムをつくるのも、護岸工事も、渚にテトラポッドをいれるのも、みんな議会の賛成多数で決定されたもの。だからそれを止めるには、議会で多数決にならなきゃならないはずだ。」
「はい、串間の住民投票でも多数にならなければなりません。」
「で、ぼくが不可解に思うのは、それなのに、オルタナティヴな生き方をする若者たちが選挙に関心を持たないことなんだよ。無関心な人は若者にも年寄りにもいる。でも、原発を止めて生命をまもるためには何でもするという若者たちでさえ、なぜか政治にだけはそっぽ向いてるんだ。」
「あ、ほんとです! 何でもやるっていいながら、選挙に出るものはあまりいません。」
二人の顔つきが変ってきた・・・
結界とは、広辞苑によると「修行や修法のために一定区域を限ること。また、その区域に修行の障害となるものの入ることをゆるさないこと」である。むかし映像で見たことがあるけれど、たぶんアフリカか中東での話だったと思う、広場にいたひとりの男の周囲に呪術師が棒で土俵くらいの大きさの円を描くと、その男が円の外へ出られなくなってしまうのだ。催眠術のようなものかもしれない。
中世以来の、政治とはお上がするものであり、一般人の近づくものではない、という結界のようなものがいまでもこの社会には働いているのではないだろうか。お上のいうなりに従っていればまちがいないという意識や、投票はしてもよいが立候補は(女子供)のするものではない、というような呪縛に、みんなまだ縛られたままでいるのではないだろうか。
「投票にゆく者はふえたけど、投票する相手がいませんよね。」
「だからリッコーホすればいいんだ。そうすればみんなよろこんで投票にゆける。」
これまでのオルタナティヴは選挙にあまり目を向けてこなかった。
正直いって、かくいう私もそうだった。
これまでは多数になるなんて論外だったからだ。
オルタナティヴはドロップアウトからはじまった。
体制的な社会を離れて、ひとりで新しいライフスタイルを探してきた。
だから少数が当たり前で、これまではサバイバルするだけで目いっぱいだった。
だけど、いまではオルタナティヴな人々が増え、多数になる可能性がでてきた。
それに地球環境の悪化も極限まできている。
もう、これ以上の環境破壊はゆるされない。
国家を超える地球市民が多数になるときがきたのだと思う。
多数になってはじめて原発を止めることができるようになる
どうやって多数になるか?
それは立候補することだ。
原発の建設も誘致もすべて政治によって決められている。
政治から逃げてはならない。政治に背を向けてはならない。
すべての若者が一生に一度はリッコーホするような文化が生れたらいいな。
若者たちが一生に一度は徴兵される文化より、どんなにいいかわからない。
それくらい誰もが政治に参加するようになれば、破壊をとめることができる。
天上にまつりあげられてきた政治を、井戸端会議に引きおろせばいいのだ。
それは、新しい党派をつくるというのではない。
むしろ党派に属さない、政治に詳しいわけでもない、一般の市民ができるだけたくさん議会に参加することが、ボスに牛耳られてきた政治を健全にするだろう。
みんながリッコーホするambient politics ・・・
それは地球市民の政治文化になるだろう。
そして、地球市民がネットワークするとき、
オルタナティヴは国家や企業を動かすことができるようになる。
国に「原発を作ってはダメ」ということだって、できるようになる。
更新日: 2011年2月 6日 10:41 
ジールは宮崎市の南、こどもの国や青島神社のある海岸から山手に入った高台にある、大きな温室を改造したマクロビレストランだ。先日、開店7周年を記念するお祭りがあった。
このお店がはじまって間もない頃、私は植林のために何度かここを訪れたことがあった。開発工事でザックリとえぐりとられた裏山の、むき出しの岩肌が痛々しかった。
いつかここが森になり、この建物が樹々にかこまれて見えなくなってしまったらいいねと、そのとき話したことを思い出すが、いまでは建物の半分ほどが樹陰に隠れるまでになっている。
広い敷地にチャイやカレー、有機農産物、手工芸品、ヘンプの小物、マッサージなどたくさんの出店がところ狭しと、にぎやかにならんでいた。
環境、平和、教育、出産、自然農、代替エネルギーなど、オルタナティヴなライフスタイルに興味をもつ人々や、サーファー、帰農途上の若者たちなど、来場者はのべ300人くらいいたと思う。
私はトークをし、唄を歌ったが、招待されていた小嶋さちほさんや増戸育江さんたちとも久しぶりにゆっくり話ができたし、沖縄からは『赤椀の世直し』の著者名護先生も来ておられた。
そのあと私は串間へゆき2泊した。
その話は後日にまわすことにして、
きのう串間へ送ったメールを掲載しよう。
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今日で1月は終り。
住民投票まで、あと70日ですね。
先日はお世話になりました。みんなに会えてうれしかったです。
アースデイのミーティングも、藤の浜を見下ろすミカン園の集まりも、若者たちの活気にあふれていて、私のほうがゲンキをいっぱいもらいましたよ。みんなステキです。
それに、18年前の原発誘致を食い止めた古強者たちも、ご老体の重い腰をよいしょと上げて、住民投票対策本部事務所を開いたそうで、勇ましいかぎりです。いよいよこれから運動が本格化しそうですね。みなさん頼もしい。
ところで、串間から熊本へ帰った日のこと・・・
宮崎から高速に乗ってしばらく走っていると、霧島が猛然と煙をあげているのが見えました。
アレ!噴火じゃない?
来たときには、煙は見なかった。
噴火の話は、宮崎でだれもしていなかったから、
いまバクハツしたところかもしれないなあ・・・
なんて話しながらサービスエリアに車をとめました。
真っ黒い噴煙が、新燃岳からもくもくと立ちのぼり、南の空を一面に覆って、大量の火山灰を降らせながら、西へ流れていました。
何度も霧島を訪れていますが、こんなすごい噴火を見るのは初めてです。
ただごとではない、怒りにも似た、大自然のエネルギー。
串間から霧島まで約50km。その50km先には159万キロワットの巨大原発増設が決まった川内原発が。
両手に原発なんて・・・、そりゃあ霧島の神さま怒るでしょう。
金のために自然を破壊しつくそうとしている人間への警告でしょうか。
これは大自然の神の川内原発への怒りであり、串間原発を止めよとの激励でもあるでしょう。
火山灰ならまだしも、もしこれが死の灰のフォールアウトだったなら・・・
なんて思いましたよ。
とはいえ宮崎は、口蹄疫に鳥インフルに火山灰と、ほんとうに農家のかたがた大変ですねえ。
みかんは大丈夫ですか?
鹿児島湾も志布志湾も吹上浜も巨大な噴火口でしょう。
串間の原発建設予定地はその火口壁の上にあります。
いつかまた再び噴火が起こったりしないでしょうか。
原発を受けいれたが最後、原発が生みだす危険な高レベル放射性廃棄物を、何千年も何万年も管理しつづけられなければならないのですから。
そんなところに核関連施設を作って、ほんとうに大丈夫なのでしょうか。
そんなことを私たちの子孫に押しつけて、ほんとうにいいのでしょうか。
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子供だってわかる。
子供の方がわかる。
アメリカインディアンは、このように重大なことを会議で決めるときには、7世代先のことまで考えるそうです。
私たちも7世代先のことを考えて決断しなければなりません。
7世代 先のことまで 考えて
投票は 7代先を 考えて・・・
こんなコピー考えてみました。
実は、一緒に行った韓国人のオハイオが、帰りの車の中で私に、原発誘致に反対する運動のイメージを、一言で表わせる言葉があるといいですね、っていったのです。
7世代先のことを考えて投票しよう、というコンセプトならニュートラルだし。
言葉は、しっくりくるように、みんなでもっと工夫した方がいいと思うけれど。
熊本の農園に帰った翌朝のことです...
家がゆれ窓がガタガタと鳴ったので、地震かなと思ってストーブの火を消しました。
昼のニュースで知ったのですが、あれは空振といって、霧島の噴火の爆風なのだそうです。それがここまで届くなんて、すごい力ですね。自然の膨大なエネルギー。
その日の午後は、すっかり晴れわたりました。
青空に竜雲が、いく筋か、スーッとたなびいていました。
そのうち頭上に流れてきた竜雲は、青空いっぱい両翼をひろげて、まるで鳳凰のようです。
そして、その長―い尻っぽのさきに輝く太陽のまわりには、彩雲が・・・
まるで手塚治虫の描く火の鳥そっくりです。
火の鳥は雲仙から阿蘇山へ飛んでゆきました。
そのときふたたび霧島から空振が・・・
いったい何が起きているのでしょう ?・・・
新しい神話のはじまりでしょうか。
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更新日: 2011年2月 1日 11:45 
11,1,22
『藤の浜ストーリー』 No.3
寒い話がつづく。
じつは、もっとひどいことになってしまった。
数日前、氷点下10度ちかくまで気温が下がった朝に、水源からの水道管が氷結してしまったのだ。
水源へ行ってみると水は流れていたが、家までの2キロほどのパイプがあちこち凍っている。水源の森の中はすっかり氷雪の世界である。
顔見知りの森林管理局の職員さんに、困りましたとぼやいたら、「いやあ、この寒さだから、春までは溶けないだろうね」といわれてしまった。
おいおい、そんなこといわないでよ・・・このまま春まで洗濯できず、風呂にも入れないなんて・・・毎日バケツで水を運ばなきゃならないなんて・・・。
温かい雨が何日か降れば溶けるかもしれないけれど、天気予報によれば、少なくとも2月中旬まで、この寒さがつづくという。
だけどオモシロイことに、ここまで状況がひどくなると、叩き起こされ、開き直って、むしろ眠っていたゲンキが目覚めさせられるようでもあるのだ。
ときどき森の作業に行く阿蘇の森には小屋とティピしかなくて、トイレもなく、水は川から汲んでいる。それに比べればここはトイレがあるだけでも便利だ。
近くの曹洞宗のお寺ではいま、世界中からお坊さんたちが集まって、3ヶ月間の修行をしておられるが、ここよりもっと寒い山寺で、はだしでくらし、毎朝4時に起きて座禅している。
また、先日テレビで見たアフリカの少女は、往復6時間かけて水汲みに行くといっていた。
それに、walk9のことを思えば、家の生活は楽なものだ・・・
さらには、ヒマラヤの冬の厳しさに比べたら・・・なんて、
ばかげたことに、何十年も昔のことを引き合いに出したりして・・・、
「水がでないくらい何でもないよ、愉しい不便だよ」って、いまでは思えるようになっているから、心というものはフシギなものだ。
ありがたいと思うべきなのかもしれない。
こうして温かいチャイを飲めるのだから。
アメリカ・インディアンのある部族は、何年か何十年間か、一ヶ所に定住して生活が安楽になってくると、居住地を変えるという、精神や肉体が弱体化しないように。
たしかに私たちは、ときどき厳しい状況の経験をしないと、甘さに流れ、弱くなってしまう。
厳しい状況におちいってはじめて、困難を乗り越えるために人は立ちあがり、精進工夫によって次元上昇が起き、眠っていた私たちの潜在能力が開かれて、問題は解決される。
串間市にグラウンディングした若者たちも同じだと思う。
だから、仲間たちのそんな変化――自然生活の田舎暮しから社会文化的な田舎暮しへ――を見て、それが原発問題に直面したからと、「原発ありがとうって思うようになりました」という若者もいた。
誤解して受け取られるといけないから、そこまでいわない方がいいかもしれないけれど・・・もちろんその気持ちは、わかる。
そうなのだ。これをきっかけに、グラウンディング途上の若者たちが目覚めるのだ、社会性に。
逆にいえば、若者たちのオルタナティヴ文化が社会性をもつようになるということでもある。
それがいま、串間で起きつつあることだ。
そしてそれは、辺野古でも祝島でも、どこでも同じことだと思う。
ホットスポットだけじゃなく、いまでは環境問題のない所など、どこにもない。
身近な環境問題から地球大の気象変動まで、私たちがいま取組んでいるのは、自分自身の変化だ。
それは社会問題として、外から現れるが、それに耐えて乗り越えることにより、じぶんたち自身が変化する。
それは意識の面、すなわち内面的変化でもあるし、
社会的な面、すなわち文化的変化でもあるだろう。
いつか、人はみな変化するだろう。
なぜなら、変化しなければ、環境問題を解決することができないからだ。
そして、解決しなければ、人はこの星の上で生きてゆくことはできない。
だからなんとしても、私たちは、この困難を乗り越えなくてはならない。
それはイモ虫が蝶に羽化するような変化だ。
飛ばなければ、乗り越えることはできない。
だから、みんな飛べるようになる。
飛ぶことによって、これらの問題は解決される。
戦争と環境の問題に直面することによって、飛ぶこと、
すなわち意識と文化の次元上昇が、自分の内に起きる。
そのような変化をとげた人々が、社会の多数になったとき、
民主主義によって、みんながリッコーホすることによって、
私たちは破壊を止めさせることができるようになるだろう。
サーファーや、流れついた旅人たちは、原発誘致問題に取組まざるを得なくなった。しかし取組むことによって、歴史の最先端に湧きでる文化の誕生に参加することができる。
ただ立ち会うというだけではない。彼女らこそ主人公なのだ、いまここで歴史を産みだしている。
・・・
串間市が原発を誘致しようとしている予定地は、薩摩半島に面した志布志湾にある。野生馬のいる都井岬周辺は日南海岸国定公園に指定されているが、建設予定地のある地域だけが、いつの間にかすっぽり指定から外れていたという。
原発予定地から、太平洋に面した藤の浜まで、直線距離で10kmくらいだ。その藤の浜のある市木地区に、この2年あまりの間に、20組ほどの若者たちが移住した。
そのうち半分はサーファーで、あとの半分は流れ着いた旅人だろうか?
それほど人を強く引きつける串間は、自然が活き活きしている聖地なのだろう。
たしかに宮崎は、とくに関西から西のサーファーたちにとって、あこがれの地であり、日向から日南海岸にかけて移住者も多い。
半農半サーフィンみたいなライフスタイルを模索しているサーファーたちもいる。
自分さがしの旅をつづけたすえに日南の自然に出会い、住みついて農業をはじめようとしている旅人もいる。気候の温暖な宮崎は彼女たちにとってよいたまり場らしい。
貝の話に夢中になり、夕飯までごちそうになって、すっかり暗くなってから菊池さん宅を辞したあと、その夜にひらかれた、移住者たちが原発住民投票への対応を話し合う、はじめてのミーティングに参加した。
原発誘致を問う住民投票を4月10日に行なう、という記事が新聞に載ったのは、11月の終わりだった。
それまでのうわさ話が、現実になった。
はじめみんな、ポカンとなったらしい。
え、なにそれ?みたいな・・
それから重さに気づいた。
どうしよう? どうすればいいの?
パニックになった。
それから・・
現実的に考えはじめた。
なにをすればいいのか?
なにからはじめようか?
ちょうどそんなときだった。
12月はじめの新月の夜のことだ・・
みんなで30人くらいいたかなあ、集まったのが。
何から、どんなふうに話をはじめてよいかさえ、わからない。
そんな手さぐりのなか、もぞもぞと話は続いた。
静かだけれど、熱気をおびていた。
深い覚悟が伝わってきた。
とてもいい感じだ。
部屋の隅に、横になっている女性がいた。
前日結婚したマユちゃんは、お腹が大きくて、ずいぶん疲れたのだろう。それでも話を聞きながらうなずいている。
昨日は、お昼に青島神社で結婚式をすませ、
夜にジールで、手作りのステキなパーティーがあった。
ずいぶん遅くまで盛り上がっていたようだ。
マユは旅の途上にジールを訪れ、すっかり気に入って、店で働くようになった。それからヒロと出会い、子供ができた。そこで店をやめて結婚し、藤の浜のある市木に住むことにした。
そこに、原発問題が持ち上がったのだ。
お腹のなかの赤ちゃんをこの美しい浜で育てたい。
原発なんて、とんでもない。
こうしてヒロとマユは、結婚式の次の日に、
原発住民投票のミーティングに出ることになった、
もうすぐ産まれる子供のために。
ミーティングで、最初に耳にしたのは、
反対だけど、反対運動ではないことやりたい、
という意見だった。
それがみんなに共通している意識であるように思えた。
活動を、ただ反対するのではなくて、田舎の人や文化につながり、ローカルな社会に参加してゆく、グラウンディング・カルチャー・クリエイティヴとしてやりたい、という。
そうだそうだ、もっともっと農業をやろう。土地の老人たちの手伝いもやろう。みんなでいっしょに農場をつくるなら、じぶんが農園係を担当してもいい、と名乗り出るものもいた。
誘致に反対する意見を載せたフリーペーパーを作って、原発なんかいらない社会のヴィジョンを描いて、全戸に配ってまわろう、というプランも話し合われた。
私が、藤の浜をはじめて目にしたとき思ったのは、この美しい自然の浜にだかれて暮したいとのぞむなら、まずこの海を破壊から護らなければならない、というまぎれもない現実だった。
移住者たちは先にペイしなければならないのだ。
100日間、全力をつくしてできるかぎり努力する。
そうすれば、少なくとも10年間は原発の手から、この海を護ることができる。
そうすれば、少なくとも10年間は、この美しい自然の海にだかれて、子育てをすることができる。
そんな時代になったのだ。
自然をまもれ、そうすれば、自然があなたをまもるだろう。
先に働いて、美しい自然にだかれて生きる切符を手に入れるのだ。
それが、ここまで破壊されつくした地球とこれからの人間社会が交わすべき、新しいルールではないだろうか。
ただなにもしないで当たり前にしていたのでは、自然は失われてしまうわけで、自然をまもり、甦らせなければ、自然な暮らしができない時代になってしまったのだ。
人が破壊行為をやめなければ、自然は失われてしまう。
自然にだかれて暮したいなら、まず自分が破壊をやめなければならない。
そして、戦争や原発などの社会的な破壊を、やめさせなければならない。
???
???
私たちは木である。
先祖代々つづく一本の木だ。
そして私とは、春に芽吹き、夏に繁り、
秋に枯れて、散る、その一年の葉にすぎない。
原発が運転されたら、
まず放射能の被害を受けるのは、子供たちだ。
さらに、原発の解体にかかる費用は膨大になるだろう。
それに高レベルの放射性廃棄物を何万年にもわたって
安全に管理しつづけなければならない。
そんなリスクを一体誰が背負えるというのだろう。
未来に託す負の遺産としては、大きすぎる。
原発を誘致して、この逼迫した地方自治体の経済を、当面補助金でしのげれば、あとのことは知らないという考え方は、ほんとうに無知で、ひどい自己中だと思う。
そんな風に考えるのは、一枚の葉が、自分は秋には死んでしまうのだから、自分のなすことが未来の世代にどんな結果をおよぼそうと知ったことではない、というのに似ている。
その結果は木にのこるのだ。
そして葉の魂も、木に帰る。
それは自分に還ってくる。
そしてその木から、春にふたたび葉が現れる。
そこにふたたび自分はもどる。
葉のなすことは木にのこり、
それはまた葉になってもどり、
それをくりかえす。
つまり
放射能廃棄物の管理は永遠に自分がやらなければならないのだ。
課題は自分に手にもどってくる。それがカルマの法則だ。
社会の破壊的なエネルギーを、
どうやって浄化し、どうやって制御するか、
その知恵と力を、私たちは持たなければならない。
波の本質が海であるように、
葉の本質は木である。
ここが、世界のあらゆるものとつながっているように、
いまは、過去と未来のあらゆる時につながっている。
葉が木を傷めるようなことをしてはならない。
放射能廃棄物を後世に遺してはならない。
そんな考え方が社会の多数になったら、
環境問題は解決するだろう。
???
今日はこれから宮崎へでかける。
明日ジールで話をし、歌を歌う。
更新日: 2011年1月22日 17:17 
寒い寒いといいながら、毎日すごしている。
いえばもっと寒くなるから、いわなきゃいいのに、
それでも、やっぱり、さあむ―い!
大杉(みどり)さんの横の丸太小屋で、
石油ストーヴと、火鉢には炭火を焚き、
こたつにもぐりこんで、このところ
本を読んだり書いたりしている。
いまも外は真っ白。
雪が舞っている。
きれいだけれど, 寒い。 去年の夏のことを考えると、
ちょっと酷すぎるんじゃないかと思う。
あれは酷暑ってなものじゃなかった・・・
酷熱地獄とよんでもいいのではないか。
そしていまは、極寒地獄だ!
地球の自律神経が、狂ってしまったのか、
それとも崩れたバランスを取り戻そうと、
地球が自ら調整しているのだろうか?
鳥の声も、けものたちの気配すらない。
これが地獄なら、静かなものだ。
ちょいと、寒いけど・・・
〜〜〜〜
地獄に落ちたのは、
たぶん人間の自己中と強欲のせいだ、
とくに企業と国家の・・・ そしてそれに従う国民の無知・・・
ブッダたちに無明とよばれているこの世の、
迷妄にあざむかれて暴走するエネルギー。
競争や恐怖心、どん欲や暴力などなど・・・ たとえば原発をつくる力のような・・・
核の危険を知りながら、どうして原発をつくるのか?
それは巨大な利権があるからだ・・・
国は核兵器をつくる能力を持ちたい。
だから、プルトニウムを確保したい。
むろん、電気も必要なわけだから、
原発は国にとって一石二鳥なのだ。
平和利用は核武装の隠れ蓑にもなる。
企業にとってみれば、核開発は国策だから、
その利権は国家と共に存続し、安定している。
さらにアメリカが後押ししている、強大な力で。
その利権を、企業は手放そうとしない。
金と暴力こそ、今日の世界を牽引している現実の力だ。
そして原発は現代文明の象徴。
・・・
しんしんと雪ふる夕暮れ・・・
空気は澄んで、凛とひきしまり、
今日はまたなんと静かなよい日であることだろう。
さて、12月に串間へ行った話のつづきをしよう。
〜〜〜
串間では、はじめに藤の浜で海のお母さんにご挨拶し、それから菊池洋一さんを訪ねた。
菊池さんは藤の浜に奥様とふたりで暮しておられるが、元は米国の原発関連会社GEの原子力事業部企画工程管理のスペシャリストとして、東海原発2号機、福島第一原発6号機などの建設に関わった方だ。仕事をするなかで、あまりの危険の大きさと、計画や工事のずさんさ、そして被爆しては使い捨てにされている原発労働者の実態を見て、生命より経済を優先する非人道的なやり方に疑問をもち、退社。それ以来、全国を回って、原発の危険と不条理を訴えておられる。
宮崎にこられたのも、18年前にこの串間市で起きた原発誘致運動に反対するためで、そのときに藤の浜の向いにある幸島で、サルの調査を手伝っておられた今の奥様と出逢われ、それからこの浜に住みはじめられたという。
私は18年前の話と、今回の住民投票に向けて、運動のあり方についてお話をうかがおうと思っていたのだけれど、菊池さんは貝の話ばかりされた。
潮風を防ぐ庭木に囲まれた、こぢんまりした海辺のお宅にはいると、6畳くらいの部屋があって、なんとその部屋が、すっかりうつくしい貝だらけなのである。
巨大なものはなくて、むしろ小さくて繊細な貝が多く、いろんな貝を集めてつくったカラフルなオブジェや、観音さまなどのアートが、ところ狭しとならんでいる。引き出しのなかも貝がびっしりだ。桜貝が何千枚も入っていたりして。珍しい巻貝もいろいろ。そしてそれぞれの色とかがやき。
小さな二枚貝のあざやかな黄色におどろいたら、浜で拾ったときはそんな色じゃなくて、汚れが染みついていたのを、小さなやすりで丹念に削り落としたのだそうだ。ひとつひとつ、一すじ一すじ。
そんな気が遠くなるような時間と愛情をこめた貝殻でつくられた万華鏡があった。その世界がどんなにステキだったことか・・・まるで竜宮城をのぞいてるみたいな・・・。それはもう、藤の浜竜宮博物館とよんでよいほどのコレクションだった。
そのほとんどの貝を藤の浜で拾ったという。
この海のなかには、
こんなに、いろんな貝や生きものたちの、豊かで幸福なパラダイスがあるのだ。
そこでは貝や、魚や、海藻や、サンゴや、目に見えない微生物たち、
亀やイルカのような生きものが、さまざま生活をいとなんでいる。
そのすべてが、みんなつながっており、
ひとつの大いなる生命体をなしており、
その美のなかで、あらゆるものがそれぞれの役割をはたしており、
それを人はむかし、神とよんで、敬い、拝んだ。
そして私たちは、そのなかに生かされている、一員であり・・・ 〜〜〜
結局、長居して夕飯までいただいたが、うかがったのは、貝の話ばかりだった。
代わりに本を数冊いただいた。なかでも一冊の本を指して、これを是非読んでください、といわれた。 『死にいたる虚構―国家による低線量放射線の隠蔽』。
・・・
それは実に興味深い本だった。
本が伝えようとしているのは「低線量放射能被曝の危険性」である。
これまでは、自然界にも存在する微量の放射能は人体には害をおよぼさない、といわれてきた。
ところがそうではない。
放射能は微量でも、人体や生態系に、大きな影響を与えるし、 これまでも甚大な被害をおよぼしてきた。
ところがその被害の多くが、国家によって隠蔽されてきた、というのだ。
核開発・核武装という国益をまもるために。
「低線量の放射能なら安全」ではなく、「低線量でも危険」というなら、あてにならない基準値以下の、たとえどんなに微量であっても、放射能の排出は許されてはならないことになる。100万キロワット級の原発が1年間に出す放射能を1日で出すという六ヶ所村の再処理工場などもってのほかだ。もってのほかだからこそ、世界中が再処理から手を引いているのではないか。
これまでは低線量なら安全とされてきた。だから広島・長崎で核爆発が起きた後に市内に入って被曝した人たちを、国はこれまでけっして原爆症と認定しなかった。それに対して起こされたのが2003年4月にはじまった原爆症認定集団訴訟だった。2008年5月、大阪高等裁判所は、入市被爆者を低線量内部被曝による被爆者である、と認める判決をだした。これに対して国・厚生労働省は上告を断念、判決が確定した。
この画期的判決の、証拠として採用されたのがこの『死にいたる虚構―国家による低線量放射線の隠蔽』だった。
裁判所は判決文に、以下のようにこの本から引用している。その一部を紹介しよう。
{?医学界と科学界では長い間フォールアウト(放射性降下物)や原子力施設の放射能漏れによる低線量の危険は、高線量域での直線関係を機械的に当てはめた考え方から、無視することができるほど小さいと信じられてきた。チェルノブイリの経験から言えば、最も感受性のある人々に対する低線量被曝の影響を1000分の1に過小評価していることを示している。?低線量持続的内部被曝は、影響が小さくなるわけではなく、むしろ、高線量瞬間被曝と比べて、(線量がゼロに近づく)境界付近でかえって影響が強く、自然のバックグラウンドの線量のような少量線量でも、安全なしきい値はない}
(「原発について考えるためのリアルなヒント集vol.2」から引用)
もっとも感受性がある人々とは、乳幼児や胎児である。その被害は膨大な数にのぼるが、低線量内部被爆者の疾病や死亡は、これまで放射能被爆が原因と認められず、被害者数から除外されてきた。。
本の著者はアメリカのジェイM・グールドとベンジャミンA・ゴルドマン。
合衆国政府の「放射線と公衆衛生に関する研究計画」の責任者と副責任者であった二人は、大型コンピューターンを駆使した統計学的手法によって、たとえば原発事故によるフォールアウトで汚染されたミルクにふくまれた放射能と乳幼児の出生率の相関関係を、膨大なデータベースをもとに綿密に調査して、低レベル放射能の内部被曝による被害の大きさを実証し、政府によるデータの隠蔽や改ざんを指摘した。
低線量の被曝なら安全ということはない。安全値は平均的体重の成人をもとに定められている。小児はもっと影響をうけやすいし、もっとも影響をうけるのは胎児だ。
フォールアウトで汚染された草を食べる牛のミルクに含まれる微量の放射能を幼児が飲むと、幼児の体内で細胞に付着した放射性物質が細胞に放射能をあびせつづける。それはどんなに微量であっても、至近距離から発せられるために細胞膜が損傷をうけ、奇形の細胞が生まれて増殖をはじめる。
母親が飲んだ牛乳に含まれる放射能から被曝した胎児の場合は深刻だ。原初の細胞が損傷を受けるため、奇形になり、あるいは死産や流産をまねくことになる。人間だけではない。生態系のあらゆるレベルで、生命誕生の最初の、もっとも繊細な細胞が傷つくと、それはしだいに大きな傷になってしまう。
『死にいたる虚構』より引用しよう。
「チェルノブイリ事故から9日目の1986年5月5日、ウクライナから9千マイル離れたワシントン州のモニタリング地点で放射性ヨウ素131が雨水の中から検出され、州内の各検査地では5月12日と19日の間に最高値を記録した。
「リッチモンドとオリンピアでの最初の測定で雨水中のヨウ素131の濃度はほぼ170ピコキューリーを記録した。太平洋北西部ではスポケーンで最高値が記録され、5月12日には6、600ピコキューリーもあった。
チェルノブイリ雨が降った州にある約50ケ所の環境保護局ミルクモニタリング地点では、5月16日までに低線量の放射能が記録された。
「統計では、1986年5月の合衆国死亡率は前年同月よりもなんと5,3%も増加している。これは1000分の1以下の危険率で統計的に有意性があり、そればかりでなく5月度死亡で見る年度増加率は実際に、合衆国の過去50年間のうちで最高であった。それに続く3カ月間の死亡率増加も高率であった。
「図2-1はエネルギー省環境測量研究所の1986年5月の記録であり、ニューヨーク、ニュージャージー州都市部ミルク工場で測定した新鮮ミルク含有放射能ヨウ素レベルの変化である。半減期がわずか8日であるヨウ素131の放射性活性は急速に低下するのでピークは5月半ばになった。
「図2-2は太平洋岸南部諸州の1986年6月の乳幼児死亡率が1985年6月と比べ28%も一気に増加したことを示している。合衆国全体の6月度死亡率は前年比で12,8%もはね上がった。乳幼児死亡率は1,000人の新生児出生数のうち最初の1年に死亡した乳幼児数で定義されるが、公衆衛生状況を示すもっとも鋭敏な指標の一つである。

「わが国(*正木註:アメリカ)の核政策の形成は、生命と死への配慮よりも経済への配慮の方が常に上位におかれてきたが、費用は今や国民には耐えがたいものになっている。核分裂物質の大量流出のたびに多数の人間が死亡しているが、このことは水素爆弾は取り扱うべきではないという真実を強く訴えている。
「これに加えてはるかに大きな問題は、国中の民間原子炉それぞれのプールに保管されている放射性廃棄物の処理である。
「次の世紀にすべての核施設を処分するためには、少なくとも、それらを建設するのと同じくらいの巨額な費用が必要となる。
菊池さんからいただいた本から、このようなさまざまな大切なことを、あらためてたくさん学ばせていただいた。 知れば知るほど、原発は現代文明の象徴のように思えてくる。 私たちはこの問題を乗り越えなくてはならないのだ。
『死にいたる虚構』に興味ある方は下記にご連絡ください。
PKO法「雑則」を広める会
0422-51-7602
担当:佐藤さん
最後に、この本の裏表紙に載せてある新聞の切抜きを紹介しておこう。
2000年4月27日の東京新聞で、見出しは「原子炉閉鎖で乳児死亡率激減」。(ワシントン発)
・・・
放射線の健康に与える影響を調査している米研究機関は二十六日、原子炉の閉鎖により周辺に住む乳児の死亡率が激減したとの調査結果を発表した。
調査は免疫学や環境問題などを専門とする医師、大学教授などで組織する「レイディエイション・パブリック・ヘルス・プロジェクト」(RPHP)が、1987年から97年までに原子炉を閉鎖した全米7ヶ所の原子力発電所を対象に、半径80キロ以内の居住の生後1歳までの乳児死亡率を調べた。
調査は、原子炉閉鎖前の死亡率と、閉鎖2年後の死亡率を比較しているが、それによると、87年に閉鎖したワイオミング州のラクロッセ発電所では、15,3%の死亡率減少だった。もっとも減少率の大きかったのが、97年に閉鎖したミシガン州ビッグロック・ポイント発電所周辺で、54,1%の減少だった。減少は、がん、白血病、異常出産など、放射線被害とみられる原因が取り除かれたことによるものとしている。
BPHPによると、85年から96年までの全米幼児の死亡率は、平均で6,4%減にとどまっており、原子炉の影響が実証された、としている。
(以下略)
このような事実は、「原発ができたら周辺で乳幼児の死亡率が高くなる可能性がある」ということを物語っている。
経済発展なんていっている場合ではない。
原発ができたら、ほんとうに子や孫や、その子供たちの健やかな笑顔を奪い取ってしまうおそれがあるのだ。
原発は安全かどうかというレベルの話ではない。
放射能は微量であっても、生命に大きな傷をつけてしまう。
すでに、この星の大気圏内に、これまでヒロシマ型原子爆弾4万発分の放射能がまき散らされている。
これ以上原発をつくって、大気圏に放射能をまき散らし、さらに膨大な量の高レベル放射性廃棄物を、いったい誰が安全に管理するというのだろう。何十万年も、何百万年も毒を吐き続ける放射性物質
〜〜〜
〜〜〜
今週末は宮崎のジールへトークに行く。
そのとき、また藤の浜に会える。
宮崎市から南へつづく日南海岸は、日向神話街道のメーンストリートのひとつだ。
わだつみの神や、ヤマサチヒコと結ばれたトヨタマヒメ、ウガヤフキアエズと結ばれたタマヨリヒメの故郷はこの辺りで、青島神社や鵜戸神宮など、弥生時代の海洋民の聖地がならんでいる。 弥生時代のおわり、朝鮮半島から渡来したニニギノミコトは、先住民の弥生人コノハナサクヤヒメと、このあたりで出会った。
ジールはその青島神社のすぐ山手にある素敵なマクロビレストラン。
木花神社がすぐ近くにある。
マイ
更新日: 2011年1月17日 17:38 
明けましておめでとうございま〜す。
今年もどうぞよろしくお願いします。
(〜 〜)
寒いお正月ですね。
農園は雪にとざされ、
阿蘇の森の仕事もお休みです。
さて、新年早々ですが、
九州の最南端、野生馬で有名な都井岬のすぐ近く、
宮崎県の串間市で、原発誘致の火の手があがって、
4月10日に住民投票が行われることになりました。
去年7月の選挙で当選した串間市長は、
18年前に市長になったときも、原発誘致にチャレンジした人で、
今回も、市長になるとすぐに動きはじめました。
おもしろいのは、串間市に、
藤の浜・・という美しい海岸があるのですが、
原発推進派の市長が準備をはじめた、この1~2年間に、
都会から、その海岸に魅かれた、大勢の若者たちが、
串間へ移住してきたのです。
その半分くらいサーファー、、
海を護るために集まってきた、虹の戦士たちでです。
1月1日から4月10日まで100日間。
それがじぶんたちを抱いてくれる海を、
原発から護るために許された時間です。
その100日間、
私も阿蘇山で,じぶんの「藤の浜ストーリー」を
ブログに書き綴ってゆこうと思っています。
先月、その串間に行ってきました。
まずは、前口上から・・・
〜 〜 〜 〜
〜 〜 〜 〜
『藤の浜ストーリー』
〜 〜 〜 〜
〜 〜 〜 〜
真砂秀朗とウォン ウィン ツァンのETERNAL TRUTHを聴きながら、
串間への道を走った。
南国の道は、曲がりくねった海岸線を、
縫うようにゆく。
トンネルを抜けると、笛とピアノのモチーフが変わるように、
新しい情景が開けた。
串間へ30km、
というサインに身がひきしまる。
私をいやす、この自然が、こ、わ、さ、れ、る。
港に繋留されている漁船。
この人たちの生活はどうなるのだろう。
豊かさを買うために自然を売ってしまうのか。
串間まで22km。
じぶんをいやす、自然をまもる。
空の半分は黒い雲におおわれ、
半分には、明るい光をおびた青空が広がって、
境目の雲の端が、黄金にかがやいている。
「あの空、原発賛成と反対みたいだね」というと、
運転していた波ちゃんが、
「賛成も反対も、おなじ一つの空だね」っていった。
なんてきれい!
としかいいようがない、海岸がつづく。
串間市の、市木に着いた。
防潮林の緑のトンネルを抜けると、
目の前に藤の浜が広がった。
夢を見ているようだった。
どこまでもつづく広い砂浜
寄せる、おだやかな波〜〜〜
だれもいない、ごみひとつもない、
遠くに「百番目のサル」で有名なサルの島、幸島が見える。
なんて懐かしい浜だろう。
この浜に、むかし藤の花が咲いていたのだろうか。
藤の花は、いまも咲くのだろうか。
おごそかな静けさにみちた、
この浜に藤の花が咲いたら、
花の衣をまとった観音さまのようだろう。
「懐かしい未来百景」なんて募集したら、
きっと、ベスト10に入るにちがいない。
海の中には、竜宮城があるにちがいない。
この浜に引かれて、若者たちがやってきた。
この2年間に、20家族も。
きっと、この浜をまもるために。
どうやってこの浜をまもるか?
それが夜の集会のテーマだった。
〜 〜 〜 〜
〜 〜 〜 〜
〜 〜 〜 〜
長くなるので、続きは次にしよう。
最後に、串間の友だちに今日送ったメールを転載しておきます。
これからこのようにして、私の目から見た串間の100日を、
リアルタイムにシェアしてゆくつもりです。
* * *
宮崎のみなさん
市木のみなさん
こんにちは
今日は1月11日。
100日間の、はや10分の1がすぎました。
あっという間。
速いですねぇ。
めまぐるしい。
私も、巡礼を歩くように、
この100日間を、みんなと一緒に歩こうと、
目標と、計画と、日程と、日課をさだめて、
努力しはじめたところです。それにしても、
時の過ぎるのが急だから、よほど心して、
確かな行動をしなければ、と思います。
市木のみなさんも、100日間の活動のヴィジョン、
計画、日程、予定などを定めて、事務局、担当者、
メーリングリスト、ホームページ、
フリーペーパーの作成、配布、
4月のまつりの企画、
そしてリッコーホと、
できることから、
ひとつひとつ、
空回りしないよう、
確かに歩いてください。
一日一日が、大切です。
他にも、必要なこと、みんなにできること、
やりたいことが、たくさん出てくるでしょう。
*
いまの私には、この100日間が、
立ちはだかる山のように、巨大に見えるけれど、
これも、桜の花の散るころには、過ぎてしまう、
ひと季節の光陰にすぎません。
その先に、夏があり、冬があり、未来がある・・
その遥かなヴィジョンを持つことができたら、
活動の渦で、道を見失うことがないでしょう。
市木の移住者たちや、串間原発問題に集った人たちに、私は
11月と12月の2度会いました。そこで異口同音に聞いたのが、
「反対運動はしたくない」、という言葉でした。
それがみんなに共通している意識だと、私には思えました。
もちろんそれは、「何もしない」、というのではありません。
何かしなければ、何かしたい、という強い思いがあるのです。
賛否を争う住民投票はしばしば地域のコミュニティを分断します。
反対運動という言葉は、不毛な泥仕合を続けたあげく、消耗して、
生命力を失ってしまう...といったマイナスのイメージがあります。
反対し、自分の地域から追い出したら、それでよいのか。
反対運動には地域エゴが入りこみやすいものです。
それではculture creativeになりません。
どんなに原発をたらい回ししても、
韓国にも北朝鮮にも、中国にも、すでにたくさんの原発があります。
地球が火事になったら、逃げるところなんて、どこにもありません。
だから反対運動じゃなく、
原発のない世界、原発を作らせない社会、
原発をなくしてゆく文化を、創造する必要があります。
反対運動ではない、カルチャー・クリエイティヴ。
原発問題に向き合うことから、新しい文化が産まれます・・・
原発にありがとう。
*
誕生する文化が、発酵して、ふくらんで、
ぷくぷく、ぷくぷく、広がってゆく・・
そんな100日間になりますように。
壊れた文明の跡に誕生するもの。
オルタナティヴが、多数になるとき、
世界は変わるでしょう。
新しい時代にも、いつの時代も、破壊する人はいます。
問われているのは、破壊を止める力を、市民が持つかどうか。
新しい文化とは、自然破壊をとめ、自然を恢復させる文化です。
これまで、オルタナティヴは政治にそっぽを向いてきました。
ところが環境破壊のほとんどは政治を通してなされています。
自然破壊を許さない文化は、政治への参加が不可欠なのです。
これまでのオルタナティヴはそこに欠点がありました。
その穴を塞がなければなりません。生命を守るために、
選挙権という誰もが持っている力を、行使するのです。
誰もが一生に一度はリッコーホするような、そんな文化が生れたら、
破壊をさせないだけでなく、自然の修復も可能になるでしょう。
政治に、背を向けないで、目を向けよう。
投票に参加するだけでは不十分です。投票したい人がいないから。
それならリッコーホすればいい、草の根の地方議会から。
そして自分たちの目で、議会や行政を見張るのです。
*
これが鍵
扉を開く鍵
第九の門の扉が開く
女性の発言は、とても重要だと思います。
投票やリッコーホは、女たちにできます。
議会を、普段着の、井戸端会議場にしてしまえばいい。
政治の専門家になるのではありません。
農家でも漁師でも、ニートも主婦も、みんなが政治に係わること。
そうすれば政治が健全になります。
生れてくる赤ちゃんのための、女たちの世直し。
リッコーホするだけで、世直しができる。
赤ちゃんの世直し!
リッコーホは、自然破壊の予防に役立つし、阻止にも役立ちます。
でも、自分から出るという人はなかなかいないだろうから、
リッコーホは、みんなで「かつぎだす」習慣にすればいい。
担がれた人は、それをすなおに受けるという、伝統を創ったらどうでしょう。
リッコーホすれば、勝っても負けても、リッコーホ文化が産まれます。
それこそが大切なこと。
リッコーホして、正面から、社会に向き合い、
生命のたいせつさを語りかけましょう。
私たちが、多数になるために・・
1月23日に青島へ行きます。
その前後に串間でゆっくり話をしたいと思います。
そのころまでに態勢をととのえばいいですね。
ありがとう
100日間の11日目に
舞茶(マイサ)
更新日: 2011年1月12日 13:14 
先週、日本ヴェーダーンタ協会の会長・メダサーナンダ師が、熊本で講演をされた帰りに、農園に2日間泊まっていかれました。
神奈川県逗子市にある日本ヴェーダーンタ協会は、インドのラーマクリシュナ・ミッションの支部であり、今年創立50周年を迎えました。
スワミ・メダサーナンダはラーマクリシュナ僧団のお坊さんで、日本に派遣されてから17年、日本語も達者です。
師の講演のテーマは「私は誰か?」でした。人の本性は「神」であるというインド思想の根幹について話をされ、わが家でも、そのようなスピリテュアルな会話が続きました。
師が帰られた翌々日、農園から車で30分ほどの山中にある曹洞宗の聖護寺で、私は環境倫理について講義をしました。このお寺では11月から1月までの3ヶ月間、国際的な宗立専門僧堂が開かれて、外国から選ばれた15人の僧と日本人僧約10名が、厳しい修行と学習に励まれています。カナダのシンガー・ソングライターで、禅の修行者としても知られるレナード・コーエンは「心をより深く究めることから、人はふたたびcommon-wealth(共有の幸福)を取り戻すだろう」と歌っていますが、まさに日々深く心を凝視しつづけている世界の修行僧たちとともに、内奥の真理から環境倫理をみちびきだす試みはとてもスリリングで楽しいチャレンジでした。
講義が終わってからひとりのアメリカ人のお坊さんが、「これは自分の先生が書いた本です、ぜひ読んでもらいたい」と、英語の本をプレゼントしてくれました。
"Realizing Genjokoan"(「現成公案の悟り」)。
ぱらぱらと本をめくるうち、久しぶりに私の内面で、スピリテュアルな探究心に火がつくのを感じました。
阿蘇の森に帰って、林住期の生活に入ろうとしている矢先に、このようなお坊さん方と接する機会に恵まれたことを、とてもありがたく思いました。
道元禅師の「現成公案」を、自分にわかりやすい言葉で翻訳しはじめましたので、それをみなさまにシェアしたいと思います。ここに載せたのは『現成公案』の3分の1くらいです。
『現成公案』 道元著
1 仏法に依れば、悟りと迷い、生と死、修行、覚者と衆生がある。
2 一切が空であるときには、悟迷も、生死も、覚者も衆生もない。
3 悟りへの道は、豊かさや貧しさのような二元性を超えているからこそ、生と滅、悟と迷、覚者と衆生があるのだ。
4 とはいえ、花は惜しまれて散り、草は嫌われながらはびこるもの。
5 その自己を持ちこんで、自分が修行して真理を悟ろうとするのが迷いであり、真理が、自分を通して修行し、真理を現すのが悟りだ。
6 迷妄を真に悟るのが覚者であり、悟りに迷妄するのが衆生だ。さらに悟りの上に悟るものがあり、迷いの中に迷うものがいる。
7 覚者がほんとうに覚者であるとき、覚者という自覚はない。しかも仏が現れ、仏を現してゆく。
8 身と心でものを見、身と心で音を聴いて、どんなによく会得しても、知覚は鏡に姿を映すようにならず、水に月が宿るようにはならない。一方が明るければ、他方は暗い。
9 仏道を習うとは自己を習うことであり、自己を習うとは自己を忘れることである。自己を忘れるとは、あらゆるものに証(あか)されることであり、あらゆるものに証されるとは、自他の身心をともに脱落せしめることである。
10 悟りへの道の途絶えるところがある。その途絶えた先(の空)を遥かに遠く(飛んで)ゆくのだ。
更新日: 2010年12月 2日 12:09 
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