8月12日


残念、というわけでもありませんが、名古屋のCOP10には「地球市民」の種をまく畑が見つかりませんでした。会場がとれず、地球市民会議が開けないことになったのです。でも、3月と7月と2度名古屋へゆく間に、私のなかで、「地球市民」という概念が芽生えて、しっかり根づきました。

地球市民という言葉は20年ほどまえから使っていました。
いまでは地球上のたくさんの人たちが地球市民意識を共有しています。
だけどこれまで、地球市民たちが自己組織化(self organization)してネットワークをつくり、新しい社会の枠組みとして、国家社会を超える機能を発揮するようなことは、まだ実現していません。

ブログでたびたび語ってきたように、戦争や環境危機という国家を超える問題を解決するためには、人類は国家パラダイムを超えて活動する必要があるはずです。地球市民の種はいまやっと実りはじめたところ。それが成熟するころには、種がまかれる場所も、自ずと現れることでしょう。

先週は、10月1, 2, 3日に江華島で開かれる「東アジア市民祭(仮称)」の準備のために、韓国へ行ってきました。江華島(カンファド)はソウルの北西60kmほどのところにある南北国境の島です。
今年の祭りは、そこのサンマウルというオルタナティヴスクールで開かれることが決まりました。去年、韓国を巡礼した韓国と日本の若者たちが中心になって祭りの準備がすすめられています。

地球市民になるためには、まず、争いあっていた隣の国と和解しなければなりません。隣国を飛び越して、地球市民社会などありえません。韓国から北朝鮮へ、そして中国へ、と平和の波紋は広がってゆくでしょう。

日本からもたくさんの若者たちが行きそうです。ミュージシャンたちも大勢参加します。ホームページはまだできていませんが、それまで情報はwalk9のホームページでどうぞ。

私は来週からまた1週間あまり韓国へゆきます。
「韓国併合100年」を記念する平和集会に参加するためです。
韓国料理もおいしいしね。(^^)


更新日: 2010年8月12日 12:53 正木高志




 

7月23日


ハワイの歌「アヒウェラ」を、この一年あまり妻とよく一緒に歌います。熱いラブソングらしいけど、私たちはそれにつぎのような歌詞をつけて、自然のお母さんを想い歌っています。

 ♪深い川渡って あなたのひざに
  虹の橋渡って あなたの胸に
  世界はめぐる あなたの海に
  文明はめぐる あなたの大地に

妻がメインを歌い、私は高くハモリます。最初のころは裏声がでず、首を絞められたニワトリみたいに、顔をしかめてひどい声で歌っていましたが、いまでは裏声でハモル快感を味わえるようになりました。もっとも、聴いている人がどう感じているかはわかりませんが・・・  (^^)

森の手入れをした日曜日のことです。
梅雨明けの青空と白い雲のもと、20名あまりの人たちが、森のなかで笹刈りや枝打ちなどに、心地よい汗を流しました。

夕方、茶畑に面したベランダでミニ・ライブをやりました。
陽は西に傾き、東の阿蘇山から、南の熊本平野の向こうには天草の島々が見え、西の雲仙岳の下には有明海が光っています。
高原の涼風に吹かれて、みんなすっかりくつろいでいました。
まわりの森から、小鳥たちの歌声もにぎやかに響いてきます。

私たちがアヒウェラを歌いはじめたときでした。
阿蘇山の上にうっすらと虹があらわれ、みるみるアーチがのびて、
「♪虹の橋渡って・・・」のところできれいな虹の橋がかかりました。
虹は、つぎの「慈しみ」(オームシャンティ)でライブを終わるまでかかって、それからスーッと消えてゆきました。

みんなで森のために働く日には、こんなことがよく起きるのです。
一昨年もそうでした。その日は朝から雨で、私は「森の仕事をすると、水の神さま、竜神さまがよろこんで、きっといいこと起きるからね」と挨拶をしました。
お天気がちょっと心配でしたが、昼前から雨はやみ、みるみる雲がとれて、夕方にはすっかり青空になっていました。そして、大きな虹がかかったのです。はるばる山にやってきた街の人たちにとって、虹を見るほどいいことはありません。

自然のお母さんは、自分に抱かれている子供(人間)たちが、他のすべての生きもののために木を植えたり、森を育てたりするのを見るのが、ほんとうにうれしいのでしょうね。それでにっこり微笑んで、目くばせをしてくれるのでしょう。

ミニ・ライブのときに虹を見たみんなは、心うばわれ、夢か奇蹟か見てるような雰囲気で、唖然となっていました。
そして大満足で家路につきました。


更新日: 2010年7月23日 10:39 正木高志




 

7月9日

お茶つみと田植えがおわり、夏至をすぎてから、沖縄と京都・名古屋へいってきました。
沖縄では平和記念公園の戦没者慰霊祭に参加。朝鮮半島から強制徴用されて沖縄戦で亡くなった方々を慰霊する「恨の碑」にもお参りして、韓国巡礼の報告をしてきました。
米軍基地移設で揺れる辺野古と、ヘリパッド建設が着工しようとしている高江にもゆきました。

先週は龍谷大学の国際文化学会に招かれ、瀬田キャンパスで、「韓国平和巡礼と憲法9条」と題して講演をしました。
出かける朝のこと。
いつものように大杉みどりさん(窓の外の大きな杉の木)に
「いってきまーす」とあいさつすると、
「どこへ?」と訊かれました。
「琵琶湖のほとりの瀬田というところですよ」と答えると、
「ああ、百済の人たちがやってきたところですね」という。
「えっ!」
あ、そうか、そうなんだ!
新羅に滅ぼされ大挙して日本列島へ逃げ落ちてきた百済人は琵琶湖のほとりに住みつきます。そしてそこで、大友皇子を破った大海人皇子とともに、新羅の追撃に備えて、急いで日本という国を建てるのです。大海人皇子が天武天皇に即位したのもまさにこの瀬田の辺りでした。

熊本空港から大阪へ向かう飛行機のなかで私は不思議を噛みしめていました。なぜならその日、私は、新羅に追われた百済人が恐怖と怒りと絶望とのなかでリベンジの決意をもって日本を建国し、日本書紀という歴史書を編纂したことから始まる、日本と朝鮮半島の戦争の歴史、そして「百済のカルマ」の解消や東アジアの平和について話をしようと考えていたところだったのですから。それをまさに歴史が起きたその現場で語るなんて・・・

夜は京都に泊まりました。驚いたことに、その宿は「耳塚」のすぐ近く、50メートルも離れていないところだったのです。そして耳塚のすぐ先には豊臣秀吉を祀る豊国神社が・・・
耳塚は16世紀末に秀吉が朝鮮を侵略したとき、何人殺したか証明させるため、殺した朝鮮の人の鼻を切り取って塩漬けにして運ばせた壷が供養されているところ。耳塚というけれど、実際にはたくさんの鼻が埋められているそうです。

秀吉の朝鮮出兵から300年後、明治時代にはいるとすぐに日本人は再度朝鮮を侵略して植民地支配し、その勢いで先の不幸な戦争に突入してゆきました。来月の8月28日はその強制併合からちょうど100年目になります。


沖縄の人々は普天間基地の県外移設という約束を破った政府への怒りで煮えたぎっていました。
沖縄とまったく同じ構図の米軍基地問題が、群山や済州島など、韓国にもたくさん存在します。

国家とは、戦争によってつくられた、戦争のための装置です。
だから国家によって平和がもたらされることは決してないでしょう。
国が悪いというのではありません。
国のダルマ(義務)は国益をまもることです。
国を守るためには軍隊を持とうとするし、国益のためには環境破壊だってやめません。
それが国の仕事です。

つまり、だから私たちは、国家を超える平和の実現や地球環境問題の解決をいたずらに国に期待して、時を無駄にしてはならないと思います。

名古屋では10月に開かれる生物多様性会議COP10にむけて、たくさんの市民団体がさまざまな取組みをはじめています。そこで私たちは「地球市民会議」を開催することになりました。国家間の利権争いの場となってしまった国連のCOPを超えて、地球のお母さんの悲しみと愛を共有できる地球市民のネットワークが必要です。

私たちは地球市民です。
国家パラダイムを超えて、日本と韓国とアメリカの地球市民が手をつなぎ、平和を築いて、基地そのものがいらない地球市民社会を実現しようではありませんか。

更新日: 2010年7月 9日 13:46 正木高志




 

6月13日


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梅雨になりました。
森の樹々はたっぷり濡れて、、
小鳥たちの歌声もひそやかです。

昨日は田植えをやりました。
雨が降り出す前に終わらせようと、暗くなるまで働きつづけました。

ここで私たちは25年ほど田植えをやってきました。
はじめの頃はずっと手植えでした。20人も30人も手伝いが集まって、にぎやかで楽しい田植えでした。だけど長く続けるうちに時代が変わり、来る人が少なくなり、子供も家を離れて、だんだん手植えが困難になり、10年ほど前から機械で植えるようになりました。

田植機は、年老いて農業をやめる人から古いものを譲りうけたので、はじめから壊れかけていました。それを毎年1回、エンジンがかかるかどうか、作動するかどうかハラハラしながら、だましだまし使ってきたのです。

その機械が、昨日の朝ガソリンをいれてエンジンを始動させようとしたら、いきなり紐がプツンと切れました。
紐を結び直して引張ったら、また別の箇所が切れました。
いやな予感。
なんとかかんとか、やっとエンジンがかかったと思ったら、こんどはフッと止まってしまいます。分解してみたけれど、どうしてもうまくゆきません。錆びて継ぎはぎだらけになった古い機械。お昼近くになってとうとう諦めました。

雨が降りだす前に田植えを済ませたいと思っていたのに、さあどうしよう?と頭を抱えていたら、妻と娘が「それなら手植えでやろう」ときっぱり言いました。
「えっ、ほんとに、やるの?」
私は田植えと草取りが大の苦手です。すぐに腰にきて、ダメになってしまいます。ほんとうに弱いのです。妻と娘は、最近村に越してきた友人夫婦と4人でやるから父さんはもう休んでいいよ、といたわってくれました。
えーっ!古い機械とおなじ・・・??

梅雨入りが宣言された空には幾重にも雲が走り、涼しい風が吹いています。田んぼにはいって植えはじめたら、すぐにみんなニコニコして嬉しそうになりました。泥はとろとろ気持ちよく、機械の音もなく、とても静か。小鳥たちの声が野山にひびきます。

ほんとは私も手植えが好きでした。自分だけでやらなくてはならなくなって、仕方なく機械で植えていたのです。
それまで田植えはお祭りであり、お祝いでもありました。だけど機械で植えるようになってからは祝祭の気分がすっかり失われてしまいました。
忘れていたそのよろこびが、苗をもって田んぼに入って植えはじめるとすぐに懐かしくよみがえってきました。思いがけないうれしい体験でした。

寿命を全うし、もう使われることのない古い機械。
今日はおかげで「懐かしい未来」に帰ることができましたよー。
永い間、ごくろうさま、ありがとう。 


さて、
ミツバチが消えてどこへ行ったかと思っていたら、どうやら南アフリカへサッカーの応援に行ってるようですね。ワールドカップがはじまってから、アフリカからすごい羽音がひびいてくるようになりました。私はスポーツが好きですが、オリンピックもワールドカップでも何が嫌かというと、あの国旗と愛国心です。あれは行き過ぎです。高校野球の郷土愛くらいならわかるけど・・・

民主党の迷走で、世間は参院選をひかえて、与野党ともども「日本をどうするか」という議論でもちきりです。ワールドニュースを見ると、世界中の国々がおなじような状態なのですね。アメリカもイギリスも、ドイツもコイツも。あらゆる国の人びとが、それぞれの国の内側に向き、国民に向かって、ああしよう、こうしようと論じあっています。みんな自分の国のことしか頭にありません。
どうやら地球は「圏外」のようです。

もちろん政治家は選挙に勝たなければならないわけだから、世論調査が気になるでしょうし、国家と国民の利益を優先する必要があることも理解できます。だけど国家単位の政治では超国家的な問題は解決できません。そして世界に蔓延する戦争や環境問題のような、差し迫った地球規模の危機はすべて国家を超えたところに存在しているのです。

これって、江戸末期の日本列島に似ていると思いませんか?
幕藩体制では、江戸幕府に統括されていたとはいえ、各藩はそれぞれ独立国として独自に経営されていました。藩主がいて、藩士がいて、人々はアイデンティティをその小さな藩においていました。江戸時代末期になると各藩の経済は幕府をふくめて疲弊をきわめ、それぞれの藩は自国の経済を立て直そうと自国内で努力をつづけました。しかしそれでも古い社会は破綻の一途をたどりました。

アイデンティティを藩において、藩士として藩主のために、藩の経済を立て直そうとする努力は結局実を結ぶことがありませんでした。坂本竜馬のような脱藩者たちの、日本というより広い世界にアイデンティティをおいたヴィジョンだけが明治維新という道を開くことができたのです。

国家は自国と自国民のためにあります。
だから国家間の戦争の放棄も、地球環境問題の解決も、二の次です。
自国のためになるなら取組みますが、そうでなければやりません。
国家による教育もおなじです。平和よりも環境よりも自国の利益が優先されます。
地球への愛よりも愛国心のほうが優先されます。

そうです、竜馬の時代の幕藩社会とおなじなのです。
あのとき、みんなは藩内の問題ばかり論じていたけれど、ほんとうの問題は藩を超えた「ひとつの日本」にありました。
いま必要なのは次元上昇をともなう帰属意識の飛躍的な拡大です。日本から地球へ、アイデンティティのアセンションといってもよいでしょう。

戦争や環境問題など地球規模の危機を解決するには、竜馬が土佐人から日本人になったように、私たちは日本人から地球市民にならなければなりません。
そして竜馬が日本のヴィジョンをもとめたように、新しい地球社会のヴィジョンをもとめなければならないはず。
地球意識にめざめた地球市民はすでに世界中に数多く存在します。
その地球市民たちが今こそ国家を超えてつながりあい、ネットワークをつくって行動を起こすときではないでしょうか。

更新日: 2010年6月14日 10:56 正木高志




 

5月24日

春のトークライブ・ツアーを終えて農園へ帰ってから3週間ほどたちました。
今日は梅雨のはしりの雨が降り、ここは雲のなか。草木がたっぷりと水を吸って、まるで水底の海藻の森にいるようです。帰ったころはまだ芽吹いたばかりで初々しかった樹々の緑も、今はもうすっかり濃く深くなりました。寒かった春の影響でお茶の生育が遅れて、お茶摘みはまだです。

・・・というわけで、今日は時間と空間がつくってくれた居心地のよい穴の中にすっぽりはまったような、静かな安息日になりました。

3月の終りに尾張名古屋でトークライブをやりました。秋に名古屋で開催される国連の生物多様性会議COP10に合わせて多彩なイベントを企画している民間団体の人たちが大勢聴きにきてくれました。4月のアースデイには明治神宮の森で、『世界を救う13人のおばあちゃん』のひとりであるクララさんと出会いました。グランマーたちも10月に名古屋で集会をやることになっています。またCOP10関連イベントに関わる人たちから相談を受けたこともあって、図らずも名古屋とのご縁がしだいに深くなってゆきました。

そこで私は名古屋の友人たちに次のような提案をしました。


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《地球市民会議について》

世界戦争と環境危機という巨大な問題に押しつぶされて、いま国家社会は崩壊しつつあります。かわりに、問題を解決するために国家を超えて思惟・行動する地球市民が誕生しようとしています。

危機は国家社会によって生みだされたものであり、解決は超国家的な枠組みにおいて図られなければなりません。だけど国家は自国の利益を最優先するために超国家的な思惟・行動ができません。

国家がグローバルに思惟・行動できる唯一の可能性は一国が地球を独占支配したときでしよう。しかしそれを実行しようとすれば必ず戦争が生じますから、現実には実現不可能です。


1972年にローマクラブが発表した『成長の限界』には、すでに今日の環境問題が予測されていました。「個人・国家・世界の目標や価値観を根本的に変えること」の必要が危機感をもって語られていました。

それから40年間、私たちは大きなあやまちをおかしてきました。それはこの超国家的な問題の解決を国家と国家の連合体に期待してゆだねて、貴重な時間を無駄にしてしまったことです。

国家とは企業や政治家たちの目先の利益と権力を約束するものでしかありません。7世代後の子孫のために行動しようとするなら、私たちは国家への期待と依存を捨てなければなりません。


地球市民とはガイア意識に目覚め、国家を超えて思惟・行動する新しい人々です。地球市民は国家よりも地球社会に帰属して、市民として自律的に地球社会への責任を果たします。

地球社会のために国家はエゴを捨て「国譲り」をしなければなりません。それはself(小さな自己)をSelf(大きな自己)に明け渡す非暴力的な覚醒であり、地球大のスピリチュアルな世直し運動です。

国家に帰属する国民をイモ虫にたとえるなら、地球市民とは蝶のような存在です。戦争と環境問題という危機を経験することで、人は国民から地球市民へ次元上昇をとげるでしょう。


COP10に合わせて地球市民会議を開催し、地球市民宣言をしましょう。
COP10のテーマに沿って会議を行い、地球市民条約を採択しましょう。
それを実行する地球規模の、地球市民ネットワークを立ち上げましょう。

地球市民会議は当面、両COPに合わせて開催し、COPのテーマに沿った市民条約を締結して実行しますが、将来地球市民会議は国連に代わる地球社会の意思決定機関になるでしょう。

地球市民条約を批准した地球市民はそれをじぶん条約として実行しますが、同時に地球市民ネットワークを通じて、選挙権と購買力によって、世界中の国家や企業に影響力を行使します。

***************

話は変わりますが、4月15日のブログに「リッコーホ」について書きました。(よかったら、ちょっと覗いてみてください)

つい最近のことなのですが、この「リッコーホ」の母体と「地球市民」が一体であることに、ふと気づいたのです。
そうなんです、「リッコーホをおこなうのは地球市民」なのです。あるいは「地球市民がリッコーホをやる」。

ということで、この二つのプロジェクトが実はひとつのムーヴメントであることがわかってきました。つまり「地球市民とそのネットワーク」こそ「リッコーホ」の母体であるということです。
そうであれば、地球市民条約はリッコーホのコンセプトにもなり得るわけ。そして地球市民条約はリッコーホによって実行されるともいえるでしょう。

いま誕生しようとしているものがすこしずつ見えてきました。茶摘みと田植えが終わったら、たぶんもっと詳細に語ることができるようになるでしょう。


更新日: 2010年5月24日 10:56 正木高志




 

4月26日


富士山にっこり。
寒い日がつづき新雪で真っ白、とてもきれいです。
東京滞在もあと一週間になりました。今回のトークライブのテーマは
韓国巡礼の報告と、オリエンタルなディープ・エコロジーでした。


お隣の韓国について2年前まで、私は行ったこともなく、関心も興味ももたず、ほとんど何も知りませんでした。
それが行ってみてびっくり。美しい自然、おいしい食べ物、そしてすてきな人々がいっぱいいる、すばらしい国でした。
遠いむかし喧嘩別れしてしまった兄弟姉妹のいる、なつかしいふる里にやっと帰ったようなうれしさもありました。

行かなければわからないことがあります。

100年前に日本は朝鮮半島を侵略して、強制的に日本に併合してしまいました。それいらい人々はひどい苦難を強いられました。ことに戦時中に受けた傷の痛みは測り知れないほど広く深く、怒りと恨みはいまもいやされずに人々の心に渦巻いています。私もそうでしたが、そのことを今日の日本人はほとんど知りません。戦争は遠いむかしに終わってしまったと考えています。その認識の違いが、日本と韓国(や北朝鮮)の間にぎくしゃくしたトゲトゲしい関係を生みだしています。

朝鮮半島の人々の怒りと恨みは、行ってみればすぐにわかります。そしてその原因である歴史について学ぶこともできます。歴史を知れば、私たちは日本人として、謝罪しないではおれません。謝罪すれば韓国の人々は赦します。赦すと怒りが溶けて和解します。和解すれば平和になります。平和になれば戦争をしません。戦争しなければ軍隊はいりません。軍隊がいらなければ憲法九条を改正する理由はなくなります。
日本人が平和憲法を守る、あるいは国民投票で選びなおすためには、隣の国の市民と交流することが一番です。交流しさえすれば平和は生まれます。


2010年、10月1(金)、2(土)3(日)の三日間
ソウルから60?ほど北にある江華島(カンファド)という南北国境の島で
「東アジア生命平和祭」(仮称)が開かれることになりました。

みなさん、どうぞスケジュールを空けておいてください。
ぜひ一緒に韓国へ行きましょう。


更新日: 2010年4月26日 11:49 正木高志




 

4月15日

春の芽吹きとともにリッコーホ・プロジェクトが動きだしました。
ただいまホームページ作成中です。

「リッコーホ」は「みどりの1000人リッコーホ」の略称です。

2011年春に統一地方議会選挙がおこなわれます。全国の市町村議会の議員選挙です。
リッコーホは、1000人のみどりのハートをもつ若者たちに立候補してもらい、「みどりのお母さん」を募って全国的に大応援しようというプロジェクトです。


ある日、妻と阿蘇の深い山奥の細道を通りがかったときのことでした。
道の両側からぼうぼうとススキの生い茂るなかを、ゆっくりと車を走らせていたら、一匹のキツネが目の前を横切ってゆきました。
あっ、キツネ!
そっと車をとめて通り過ぎた方を見ると、キツネはススキの茂みのなかで振り返ってこちらを見ています。
あれ、何してるんだろう?
何か、言ってるみたいね。
目がとても悲しそうでした。
何かを訴えるように、じっとこっちを見ています。
目を合わせたまま、私たちはしばらく向き合っていました。
どうしたんだろう。
ねえ、もしかしたら道路ができるんじゃないかしら、ほら、あの途中までできていた道路が・・と妻がいいました。
それから間もなく、ほんとうに道路工事がはじまりました。そこは阿蘇山の山奥の奥に残されていた自然の王国で、私たちが大好きな場所だったのです。
大切な場所が奪われた悲しい出来事でした。


メディアのニュースにもならないそんな小さな自然破壊が全国の津々浦々で進んでいます。森が壊され、小川に蓋がかぶせられ、沼が埋め立てられ、護岸工事され・・鳥も虫も、魚もカエルもみんな住処を追われています。生まれ故郷の砂浜に戻ってきた海亀たちはいったいどこに卵を産めばよいのでしょう。そんな海亀の母さんや遊び場を追われたキツネの子どもたちの悲しみや嘆きが響きわたっています。それを感じていっしょに涙をながし、生き物たちのために何かしたいと思っている多くの人たちの願いと、声なき声を結びつなげて、これ以上の環境破壊を止めたい、自然をよみがえらせたいとリッコーホ・プロジェクトを立ち上げました。
行政に頼んだって、業者に抗議したって、だれも破壊を止めてはくれない。それならすべての生きものたちの嘆きと私たちの小さな涙をいっぱい集めて、みどりのネットワークをつくり、自分たちでほんとうに破壊をやめさせることのできる文化と仕組みをつくろうではありませんか。

2007年の春から夏にかけて、私は島根県の出雲から青森県の六ヶ所村まで、海の平和を祈って原発のならぶ海辺を巡礼しました。驚いたことに、その3ヶ月間に出くわしたヘビがたったの2匹だったのです。信じられますか?自然界で何かたいへんな異変が起きているのです。海は護岸工事とテトラポットだらけになり、自然のままの砂浜はもうほとんどありませんでした。
それはちょうど前回の統一地方議会選挙のときのことで、そのときに政治を無視できないことに気づいたのです。なぜって、自然破壊工事のほとんどが国や県や市町村の議会を通じてなされているのですから。それを止めるには、止めたいと願う人たちが、計画案が議会で可決されるまえに止めなければなりません。そうしなければ止まらないし、そうすればきっと止まるはずです。


「リッコーホ」は「みどりの党」とどこが違うのかって、よく訊かれます。

私はリッコーホを政治運動と考えていません。
政治性をそなえたみどりのカルチャー・クリエイティヴ(文化運動)です。
7世代先の子供たちのことを考える文化は、政治から顔をそむけるわけにはいきません。

私たちは政党ではありません。
イデオロギーの旗を山に立ててそこに意識の高い人たちが集まって政党がつくられるのであるとするならば、私たちが考えているのは、平地や盆地に暮らすフツーの人たちが、ただ「みどり」の思いと願いだけで結ばれてつながる、政治的ネットワークです。前者を男性的な政治とすれば、後者は女性的な井戸端会議です。女性として、男性型の「みどりの党」とは、互いに助け合い補い合う関係が築けたらステキだなと思っています。

立候補する人も、投票する人も、意識が低くったっていいのです。
意識の高い専門家の政治じゃなくて、むしろ意識の低い人たちのする政治こそ大切だと思います。なぜなら、意識の低い人の方が、高い人たちよりダンゼン多いから、うんとたくさんの眠っていた票を掘り起こすことができるはずです。
当選したら、議会に提案される議題をチェックして、問題ありそうな計画があれば専門家でつくるチームにメールで相談してくれればいい。そこで話し合って環境破壊の危険があるとわかったら、全国ネットで署名を集め、議会を通過する前にストップをかけるのです。だからほんとうにだれでも議員になれます。
私自身、政治オンチで、意識は低い方だと思います。正直に言うとこれまでは、投票したって状況はあまり変わらないと思っていました。票が活かされる可能性が感じられなかったのです。だから思うのです、私たちの投票がほんとうに活かされるシクミが大切だって。それが地方議会であり、1000人リッコーホなのです。

はじめ私はこれを、「意識の低い政治」ってよぼうかなと考えていたのですよ(笑)。だけどそれではあんまりだから、今は「アンビエントな政治」と語っています。
ほら、60年代のボブ・ディランや70年代のボブ・マーリーみたいなメッセージ性の強い音楽にたいして、80年代にアンビエント・ミュージックとよばれるジャンルが生まれたでしょう。水のせせらぎや、雨の音や、風の吹くような、あるのかないのか目立たないけれど、心をやさしくつつんでくれる空間音楽、あるいは環境音楽。
そんな、参加するとみどりの意識につつまれて、やすらぎ、あたたかく、安心できて楽しくなる心地よい政治、って可能ではないでしょうか。
だれでも気楽に、ホームウエアやスリッパで参加できる当たり前の政治です。投票にゆき、あるいはリッコーホするだけで自然破壊をとめることができるなら、こんな体にも心にもやさしい政治はありません。


大切なのは投票にゆくみどりのココロ。
その気持ちを活用できる選挙のシクミ。
結びつながるみどりのネットワーク、
アンビエント・ポリティックス

選挙運動では全国一斉に植林をしましょう!
口べたでも、引っこみ思案でもかまいません。
それならゴミ拾いや海岸の清掃をしましょう。

森を追われ、川を追われ、海が埋められて泣きじゃくっている生きものたちの、緑色の涙をいっぱいあつめて、これ以上の自然破壊を止めましょう。
素朴で素直な気持ちで気楽に気軽にリッコーホしよう。投票しよう。
大勢でリッコーホして、大勢で投票すれば、きっと大勢のみどりの議員が生まれるよ。

ええじゃないか ええじゃないか リッコーホ!


更新日: 2010年4月15日 15:32 正木高志




 

3月24日

大杉みどりさんと、またお別れです。
明日から関西へ、それから東京へ。

冬至から春分までの3ヶ月間、
農園で、静かに過ごしました。

春分の日には2000年に植樹した花鳥山の笹刈りと蔓切りをしました。
10年前の春分の日に植えた森です。ちょうど10歳になりました。
なかには10mを超える木もあって、たのもしい森に成長しました。

その日、「今日は春分だし何かいいことあるかなあ」なんて虫のいいこと考えてたら、とんでもないことがおこりました。
家の汲み取り式の便所があふれそうになったので、仕方なく、忙しい中に肥え汲みをしようとしたのです。
肥え汲みは、2つの桶に肥えをいれて、それを2mほどの天秤棒の両端に吊るし、肩でかついで運ぶのです。
どこまで、って?  桜の木の根元まで。そこに穴があって、流します。だからうちの桜は匂うようにきれいなのです。笑

天秤棒に吊るす桶の紐が古くなっていてアブナイことはわかっていたのです、もう限界だなって。だけど、わかっていてもなかなかやめない悪いクセ。せっぱつまって今日、「あと一回だけ」ってやってみたら、
よいしょと担いだそのときに、切れたのですよ!
アッ!やったー、 ヒエーッ!
もう、ほんとうにひどいことになりました。
やれやれ。

学びましたよ。
肥桶の緒は切れる前に変えろ、ってね。
肥後狂句というものがあります。熊本弁の川柳のようなものです。それにこんなものがあります。

  そののちの肥桶ん緒ん丈夫んさ    (そののちの肥桶の緒の丈夫さよ)

うん、よくわかります。

この紐、じつは25年ぶりに切れたのです。
私の家ができたのが25年前だから・・・
それ以来ずっと使ってきたものでした。

この春。
ひとつの時代が終わったのだなって、
で、新しい時代が始まるのだなって、
そう思いました。


翌22日は阿蘇山のカルデラの内側にある森の手入れをおこないました。
カルデラの壁にむかってすこし上ったあたりの、南向きのゆるい斜面で、正面に噴煙を上げている中岳を中心に、阿蘇の五岳がよく見えます。
4haほどのタテ長の土地の中央には、サンショウウオがすんでいるきれいな小川が流れており、11年前に植えた落葉広葉樹が育っています。

この日はとても良いことがおこりました。
笛を吹きながら、みんなで歩いていたときに、ふと気づいたのですが、川のそばに磐座があったのです。藪に覆われていて、はじめよくわからなかったのですが、大きな岩がならんでいました。みんなもその気になって、午後は全員でそこの藪をはらって、木を切り、きれいにしました。

お天気よくて、ちょうど阿蘇の野焼きの日で、数十キロにおよぶカルデラの内と外側の草原に一斉に火がつけられ、あちこちに火が燃え広がって、煙で山が見えなくなるくらい。

岩のまわりだけでなく、小川のほとりの藪も切り払って、風通しがよくなり、すっかり気持ちのよい場所が開きました。この辺りは縄文時代の人が住んでいた場所でもあるし、どうやらほんとうに磐座(いわくら=縄文時代の祭祀場)の跡ようです。積み重ねられた岩もありました。ほら貝をふいて古代の魂に挨拶し、たっぷり歌を聴いてもらいました。

肥桶の緒が25年ぶりに切れ、
阿蘇の土地の磐座が開いて、
この春、変化の予感がします。


更新日: 2010年3月24日 08:47 正木高志




 

3月13日


38度のインドから福岡空港に帰ると外には雪が舞っていました。
農園はまっ白。あまりの温度差にアタマもまっ白になりました。
でもやっぱり春の雪ですね、もうすっかり溶けてしまいました。

インドでは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが建てた、コルカタ郊外のガンジス河畔にあるラーマクリシュナ・ミッションの僧院に十日あまり滞在させていただきました。

十数年ぶりのインドは噂どおりに変化していました。まず人口が増えた。十億人を超えたそうです。どこもかしこも人だらけ。それと車が増えたこと。コルカタの路上には車と人が押しあいへしあいしていました。
経済発展したとはいえ、中上層階級が豊かになっただけで、貧富の差はさらにひろがり、大多数の人々はますます苦しく惨めな生活を強いられているように思われました。

僧院も賑やかになって参拝者や観光客であふれ、日曜日などまるでシブヤの繁華街のような混雑ぶり(これはちょっと言いすぎかも?笑)。聖堂でお祈りしようとしてもちっとも落ちつきません。困ったなと思っていたら、耳もとで神さまが、「○○の家で待っています」とおっしゃったような気がしました。
それで、僧院の離れた敷地内にあるその家にいったのです。門を入ると、広い静かな庭にひとりの年老いた僧がいて、森の茂みに向かって何か呼びかけていました。誰かいるのかなと思って近づくと、人はいません。
お坊さんは木にむかって、
What a beautiful trees!
What a beautiful trees!
なんて素晴しい木だろう! 
なんて美しい木々だろう!
と話しかけていたのです。

ある日、コルカタから100kmほどの田舎の村へ出かけました。驚いたことに、あちこちの貯水池にも堀にも水がなく、途中の大きな川でさえ、底がカラカラに干からびているありさまでした。雨らしい雨が何ヶ月も降っていないとはいえ、こんなことははじめてです。
農村地帯は以前にくらべ木々が少なくなっており、森が消えて、どこまでも畑がつづいています。こんなに木を切ってしまったらますます暑くなり、ますます雨が降らなくなり、ますます水が涸れてしまうでしょう。
井戸を持っている豊かな地主たちは自分の畑にどんどん水をくみ上げます。それで川や貯水池を利用するしかない人たちの畑には水がきません。拡大する矛盾、増大する貧しさ、失われゆく自然・・・

ガンジス河畔の森も、ほんとうは貧しくなってしまったのです。だけどお坊さんは、
「失なわれた、ダメになった」と嘆くのでなく、自然の神秘に感動して、
「ああ、あなたはなんと美しいのでしょう!」と讃美し、褒め称えていました。

いまではインドの河も大地も神々もこぞって
「木を大切に、森を大切に」と訴えられているようです。
それほど自然が枯渇していました。

危機感は持たざるを得ない、けれど・・
それを嘆くのではなしに、あるいは悲観して否定的になることなく、
自然に感動し、自然を愛でながら、自然のために自然に働く・・・

そんな大切なことを老僧から教えていただいたように思います。

更新日: 2010年3月14日 09:11 正木高志




 

2月23日


おはよー

暖かい朝。
梅の花がほころんで小鳥たちも賑やかになりました。
日差しが強くなって、春になりましたね。

韓国巡礼から帰って2ヶ月たちました。
ずっと、農園で静かに暮していました。
牛のように、巡礼を反芻していました。

消化して、ほぼ空っぽの状態になりましたが、
間もなく、まいた種が芽を出すことでしょう。
それに備えて、心を調えなくてはなりません。

明日からインドへいってきます。
カルカッタの僧院へ、二週間ほど。
久しぶりのインドです。

帰ったらすぐに農作業がはじまります。
阿蘇の森の手入れもやります。
森林ボランティア「森の声」十周年!

そういえば、久しぶりに歌ができました。
最近よく歌っています。
載せておきますね。


@@@@@

竜神さまのフラダンス


都会から田舎へ
砂漠からみどりへ
争いから和解へ
竜神さまのフラダンス

苦しみから許しへ
悲しみから喜びへ
終りから始まりへ
乙姫さまのフラダンス

絶望から希望へ
戦争から平和へ
暗闇から光明へ
観音さまのフラダンス

芋虫から蝶々へ
私からあなたへ
とらわれから自由へ
オム サラスヴァティ エイスワハ

@@@@@

と、かなりポジティヴな歌です。
踊れますよ。

ではインドへ行ってきまーーーす。


更新日: 2010年2月23日 18:56 正木高志




 

2月14日

おめでとうございます

寒さの中に春の兆しが見え隠れ
今日はムーンカレンダーの正月元旦ですね。

春一番。
陰暦の新年にむけていきなり韓国から強い風が吹いてきました。

ナマケモノクラブのバスツアーで韓国から大勢のお客さまが来られました。
walk9のソウル報告会でお会いした延世大学の趙(チョウ・ヘジョン)先生。
会ってびっくり、ほんとうに驚いたのですが、弘益大学の安尚秀(アン・サンスウ)先生も。

ホテルが近くの菊池温泉なので時間はたっぷり。農園や、私の丸太小屋や、植林した山を案内して、歌もたくさん聴いてもらいました。
また、みなさん食材を持参して韓国料理をたくさんつくってくださいました。おいしい料理をお皿に山盛り取ってテーブルについたとき、隣の女性から、こんなふうに英語で話しかけられました。

あなたはいま、お食事を、制御しておられますか?
えっ! うーん、いまですか?
バランスを崩しておられませんか?
えっ! う?ん
どうですか?
そう、失ってるかなあ、バランスを。今日はいつもよりたくさん食べているものねえ。
えっ、そうですかー。

なんとなく会話がチグハグになりました。
実は、それまで私はアンさんに、『ブッダのことば』の意味を説明していたところだったのです。先生がこの歌を気にいって、翻訳して韓国語で歌いたい、とおっしゃったからです。

♪ 足ることを知り、質素で、雑務すくなく、簡素にくらし
   清らかで、聡明で、高ぶらず、貪らず

と、そんなことを話していたところに、さきほどの言葉がかけられたものだから、ずいぶん突っこみの鋭い、スピリチュアルな会話だなと思いつつ、真剣に、
「ここには、欲に惹かれているジブンを冷静に見ているジブンもいます」と答えたのでした。

だけどそれは私の深読みでした。笑

じつは彼女はお医者さんで、ご馳走をほおばってる私に軽い冗談をこめて挨拶されたのでしょう、
「えっ(そのお歳で)、そんなに召し上がって平気ですか?」って。
  

ところでいささか早すぎる気もしますが、今日は元旦なので、おめでたいことを発表しましょう。
昨日、趙先生と安先生に、今年江華島で「平和祭」をやりませんか、と提案したところ、二人とも二つ返事で「はい、やりましょう」ということになったのです。

名称: 江華島平和祭(仮)
場所: 韓国の江華島
時期: 10月

詳細はまだこれからですが、なんだかすごく楽しみです。
アクティヴで、パワフルで、心の開かれたすばらしい人たちと、どんなお祭りができるのだろう? 

ミュージシャンたち、スケジュールを空けておいてね。
日本から大勢で押しかけましょう。
walkもやりますよ。

生命のための
平和のための
東アジアの祭りです。

更新日: 2010年2月15日 16:58 正木高志




 

2月8日

鳴き声はまだ聴きませんが、阿蘇の森のなかでウグイスを見かけました。
立春すぎて、、、もうすぐ春ですね。

静かな冬を過ごしていたのですが、2月になってなぜか突然活動的になり、私の住処である丸太小屋の大整理をはじめました。やりだしたら止まらなくなって、この家を建てて以来溜まっていたもろもろのモノをすっかり捨ててしまいました。

四半世紀ぶりの大掃除。
おかげで家の中がスッキリ。なんだか散髪をしたあとのよう。すこし寒々しいくらいです。
そうだなあ、ほんと、この長い髪も短く切ってしまおうかなあ。(笑)

本棚や机の中の書類や手紙なども整理したのですが、15年くらい前にインドから妻に宛てて出した手紙がでてきました。ウンウンとうなずける内容なので、一部を載せてみますね。このときはシンガポール経由でカルカッタの或る僧院へ行ったのですが、航空機のトラブルで予定していた飛行機に乗り換えができず、別の航空会社の便で行ったら、日本で預けたスーツケースがどこかへいってしまったのでした。


・・・・・
昨日、一週間遅れで荷物が着いたので、エアポートへ取りにゆきました。干し柿にカビがはえていた以外は、何も問題ありませんでした。
ところで、荷物がなかった一週間に、いろいろ大切なことを学びました。実はね、荷物がなくても何も困らなかったのです。
着替えがすこしあって、ノートとペンがあって・・・質素で簡素な生活を久しぶりに味わったのだけれど、その軽さがとてもいいのだね。
むしろ昨日スーツケースが着いてから、この部屋にモノがあふれて、食べることにも忙しくなって(註:日本食をもっていきました)、お土産も配らなければならないし・・・すっかり家住者の重荷にとらわれたといったふうなのです。
荷物はなくてもかまわない、というだけでなしに、便利さや贅沢に慣れ親しむと、しだいにモノに依存して、心もからだも弱くなり、それでまた安楽に・・・という悪循環を引き起こすようです。そうやって人は病んでゆくのだね。
このスーツケースの品物の山はまさに私の物質生活の「癌」であるように思われます。(註:癌という字は品物の山の病気と書きます)そのことを神さまが気づかせてくださったのでしょう。
そのうえ、荷物がなかった間のシンプルな生活が、とたんに煩雑になって、そのために昨日までのように心が落ち着かなくなってしまいました。
今日はまさにモノがいかに人の主にとなるかを、よくよく観察することができました。
・・・・・


さて、今月の24日から二週間、久しぶりにインドへゆきます。そう、そのおなじ僧院へです。
それでこの冬の内面的な静かな生活は終わりになるでしょう。
帰ったらすぐにお茶の剪定をやって、森の手入れ(つる切りや間伐作業)をし、3月末に東京へゆきます。

この冬、私はモノと心の大掃除をしているようです。
同時に、阿蘇の森に小さな小さな小屋をたてました。
何か、大きな変化の途上にいるような気がしています。
今は、ヒマラヤの行者のような、何も持たない小さな生活にあこがれます。
もしかしたら、この大杉さんの丸太小屋を離れて、阿蘇の小さな小屋で暮すようになるのかもしれません。

更新日: 2010年2月 8日 13:16 正木高志




 

1月31日


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walk9韓国巡礼が終わって日本へ帰ったのは冬至でした。
そのときは、ひと休みして1月になったらすぐに東京へ行き、リッコーホの活動をはじめるのかな、と思っていたのです。ところが意外にもすっかり農園にハマってしまいました。農園といっても真冬は農作業があるわけではなくて、農園の静かで内面的な生活に潜ってしまったのでした。


もうひとつ小さな動きが生じました。
アンナプルナ農園は阿蘇の外輪山の外側にありますが、カルデラの内側にも広葉樹を2万本ほど植樹した広い山林があります。その森はこれまであまり手を入れてこなかったのでかなり荒れており、とても気になっていました。そこに森を管理するための小さな作業小屋を建てました。


そこで、この2月もあまり動かずに、じっくり阿蘇に落ち着いて森の手入れをしながら、春からはじまる活動のヴィジョンをもとめ、計画をあたためようと考えています。2月の終りには2週間ほどインドへ行くので、3月にしばらく農作業をした後、東京へ行くのは春分過ぎてからになると思います。


阿蘇の森の小屋のすぐ横には、さらさらさらさら小川が流れています。近くに温泉もたくさんあるし、しばらくそこに独りで住んで、木々や水と語らい、山の言葉を待とうと思っています。その言葉を春になってから、あちこちで語ることになるでしょう。walkの100日間ずっと大勢の人たちと一緒に過ごしてきたから、この静かな孤独の生活はきっとごほうびなのでしょう。


東京には4月いっぱいいると思います。トークライヴをやれる場所や機会を提供してくださるかたがおられたら、どうぞお知らせください。話したいことがいろいろいっぱいあります。韓国巡礼と東アジアのこと、阿蘇塾のこと、インドの精神世界と自然神秘、帰農について、森づくり、蝶文明、そしてリッコーホなどなど。


リッコーホとは来年春の統一地方議会選挙にみどりの若者たち1000人が一斉に立候補しようというプロジェクトです。環境破壊の多くは議会政治を通してなされます。環境保護活動の大半はこれまで破壊的な計画が議会を通過した後になされてきました。でもそれでは本当に破壊を止めることはできません。そこでみどりの若者たちが議会にはいり、計画が議会を通過する前にストップをかけることができるようにしようというものです。


こうして、この冬は、冬至から春分まで、阿蘇の森の中でひっそりと暮らすことになりました。

暖かいとはいえ、机の前の大杉さん(窓の外の大きな杉の木)もまだまだうつらうつら冬眠中です。

急ぐことはないよね。
ゆっくりで、いいよね。
そうして、春になってから、
野や山のめざめとともに立ち上がって、心をこめて働くことにしよう。

更新日: 2010年1月31日 14:37 正木高志




 

1月14日

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大雪です。
外は真っ白。
大杉さんも雪化粧してうれしそう。

ウオーク中も時は飛ぶように過ぎたけれど、
ゴロゴロしていても時は過ぎるものですね。
1月も半ばになってしまいました。

思っていたより静かなお正月でした。
韓国から帰ったらすぐ東京かな、と思っていたけど、
東京へ行くのは、春になってからにしました。

春になったら、リッコーホ・プロジェクトが動き出します。
今は、韓国巡礼とリッコーホの間の、冬休みなのでしょう。
ウオークのつかれとやつれはすっかり消えてしまいました。


韓国を歩いて自分が変わったのは、日本という視点に立った狭い視野で物事を見ない、考えないようになったことでした。国家を超えた東アジアから世界を見て、考えるようになりました。

同様に環境問題は、いくら人間の視点から見ても考えても、問題の解決は見えてこないでしょう。
自然から離れ、自然の視野を忘れてしまったことから、人間はこんなに自然を破壊してしまったのですから。


ところで、海亀の目には、
今日の環境と戦争の問題はどんなふうに映っているのでしょうねえ?

ひどいひどいひどい状態・・・でしょう。
環境問題は息苦しいくらいせっぱ詰まった危機であるしょう。
卵を産みに上陸する浜も、ほとんどなくなってしまいました。
原発から漏れる放射能・・・、事故の恐れ・・・

人間の環境問題への視点や取り組みが、どんなに自己中であることか、海亀はあきれ果てていることでしょう。
人間中心のその妄想が環境破壊を生んだというのに・・・
その妄想から醒めて、自然中心の世界観に目覚めなければならないというのに・・・

人は自分で自分の首を絞めているだけではありません。
問題なのは、自然を道づれに、自滅の道をたどっていることです。
たとえば原発が事故を起こしたら、山や海がどれほど痛むことか。
戦争が起きたら、どんなに多くの生きものたちが苦しむことか。

人間はそこまで愚かであってはなりません。
戦争をしない、より成長した社会を実現しなくてはなりません。
自然を破壊しない、より成熟した文化を創造しなくてはなりません。
肉体から知性へ、知性から霊性へ成長・成熟しなければなりません。

幸福とは、花や鳥が豊かなことです。
平和とは、花や鳥が豊かなことです。

人間は生命という存在レベルにおいて、たとえば海に住んでいる私たちとも、ほんとうに一体であることを、深く理解すべきです。
そして、私たちの目から見るように、
環境問題を見なければなりません。
・・・・・・


そんな海亀の声が聞こえてきませんか?

更新日: 2010年1月14日 12:04 正木高志




 

2010年1月1日

あけまして おめでとう ございます

どんなお正月を 迎えられましたか?

わたしは 静かで、おだやかで、やすらかで
阿蘇の森のなか、家族にも、自然家族にも
恵まれた、ほんとうにめでたいお正月です。

Walk9韓国巡礼は100日目の12月17日、
予定通り、イムジン川に到着しました。
おかげさまで、ほんとうによい巡礼ができました。
事故も怪我も病気もなく子供たちも大勢参加して
未来への光あふれるウオークになりました。


福岡港に帰り着いたのは冬至の12月22日。
それから10日間、ひたすら休息しました。
自分のベッドで、大杉さんに見守られて
夜の9時から朝の9時まで、ぐーっすり。
阿蘇や菊池の温泉にもはいりましたよ。

そして、よく食べました。おいしいもの、たくさん。
おかげさまで、体力も気力もすっかり回復して、
さわやかに元旦を迎えることができました。

それで、今年のことを考えてみたのです。
どんな年になるか、どんな方針で暮らすか・・など。
そしたら、ポジティヴな言葉しか浮かんでこない。

好転、展開、飛翔、成長・・・・

壊れてゆく世界はそのまま崩れつづける。
その一方、東方に新しい生命平和文明が誕生する。
今年は、きっと、そんな良い年になるでしょう。
まるで岩戸が開かれて、長い夜が明けるような・・・

******

新しい時代は平和でなければなりません。
そのためには、まず自分が平和であることです。

平和の母親は「捨離」と「忍耐」。

平和を望むなら私たちは
捨てることと、忍ぶことを
学ばなければなりません。

更新日: 2010年1月 1日 16:40 正木高志




 

10月22日

ひさしぶりに更新します。
walk9韓国巡礼の途中、韓国への入国日を更新するために、釜山から一時帰国しました。
明日はふたたび釜山へ向かいます。巡礼後半のはじまりです。

この記事はwalk9のホームページのブログです。
それをここに転載しておきます。
これからしばらくはそちらに毎日記事を書いていますので、のぞいてみてください。

walk9.com

masaki

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10月18日

新月の静かな夜の海を、釜山から下関へ・・・

100日巡礼はビザなし滞在期間を超えるので、入国日を更新するために一時帰国する船のデッキから、遠ざかる釜山港の灯を眺めながら韓国巡礼の前半を振り返っています。

この静かな海とは大違いの、波乱万丈のウオークでした。
韓国の人々の日本人に対する怒りや恨みの深さと激しさを知るというよりも、浴びせかけられるような厳しい経験の連続でした。
それと同時に、謝罪の巡礼を歓迎してくださる人々の熱い思いに、これも知るというより、抱かれて包まれるような温かい経験がつづきました。
その温かさと厳しさの大きな振幅に、揺れに揺れた巡礼でした。

厳しい旅になるだろうことは最初から予測していました。そして予測どおりの厳しい現実。
和解への道が平坦なら、平和はとっくの昔、実現していたことでしょう。それが困難だからこそ、私たちはいま歩いているのです。
現実を経験し、見つめ、乗り越える覚悟をし、努力をし、一歩一歩前進して一つ一つ峠を越えてゆく、そのような巡礼ができることのありがたさを、いま深く感じています。

♪なんにも悩むことなんかないよ
すべて、きっと、うまくゆくよ

三羽の小鳥が窓辺にきて、朝陽を浴びながら、そう歌っていました。

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10月19日

誤解を恐れずに言えば、一般的に、韓国人は日本人ことを嫌いなのだと思います。

韓国人のせいではありません。
日本人のせいでもありません。
悪いのは日本という国家です。

侵略し、強制支配して、あれほどひどいことをしていながら、いまだに謝罪も償いもしようとしないのですから。そしてその歴史を隠して、若者たちに教えようとしないのですから。

一般に人は、好きな人の言うことなら聞くけれど、嫌いな人の言うことには耳をかたむけようとしません。
まして言葉がうまく通じない場合、嫌いな人の言うことには心が先ずネガティヴな反応をしてしまうので、どうしても誤解が広がってゆく傾向が生じます。
一時的で表面的な付きあいならそこまでいかないでしょうが、ウオークのように毎日毎日一日中、真剣に行動と生活を共にする場合は、表面の薄皮はすぐに剥がれて、深層心理が顔を覗かせるようになります。
すると韓国人の潜在意識には、日本人への怒りや恨みの記憶が、まだ生々しく生きていて、そのインナーチャイルドが駄々をこねて、波乱を起こします。

日本人と韓国人が一緒に歩くwalk9は、そのような現実からスタートしました。
それは、良いとか悪いとかいうことではなくて、あるがままの現実です。和解しない前の現実です。
この対立する立場から、私たちは100日間かけて、和解へ向かって歩いているのです。
もし最初からうまくゆくのなら、交流する必要などないのではないでしょうか。

誤解から理解へ、対立から和解へ、それこそ韓国巡礼がたどる本来の道程であると思います。

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10月20日

walk9の特徴は歩くことにあります。

歩くというのはとてもフシギな行為です。

さまざまな波乱が生じながらも、ここまでみんなが問題を乗り越えてくることができたのは、歩くことのあかげだったと思います。

歩くと、一歩一歩に、新しい「今」が生じます。そして古い「今」は消えてゆきます。
それは水が流れるようなことでしょう。
流れつづけることで、濁った水は、清らかになります。
歩きつづけることで、問題を起こす自分自身が、浄化されてゆくのです。

歩くというのは素晴らしい行為です。


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10月21日

何の疑いももたずに世間を愉しんでいる人たちは幸福だ。悟りをひらいて世間を超越してしまった聖者たちも幸福だ。でも、その中間にいる者は死ぬ目にあう。

これはインドの僧院の修行僧たちの間で語られているジョークだそうです。

ヨンさまを追っかけ、ショッピングを楽しむ韓国旅行者たちは幸福でしょう。また、平和を求め、自己の内に平和を確立した人たちも幸福でしょう。しかし、東アジアの現実を憂え、平和を求めて歩きはじめた私たちは、多くの障害に直面してとまどいます。

あるとき泊めていただいたお寺に「忍耐」という書が掲げられていました。耐という字の寸のタテ線が長く伸ばして書かれていました。修行には、ちょっとの忍耐ではなく、長い忍耐が必要だという意味でしょう。
その書から、この巡礼の期間を通して、忍耐が必要であることを教えられました。


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10月22日

私は、ソウルから釜山までの巡礼前半の最大の節目は、文武王の海中陵であったと感じています。

7世紀半ば、新羅の文武王は高句麗と百済を滅ぼして、朝鮮半島を統一しました。そのときに南の列島へ逃れた百済人が、大和朝廷とともに、日本という国家を建てたのです。文武王は、その日本から国を護るため、死後海中に身を沈めて竜神になったと言われています。その意味で文武王こそ千数百年におよぶ日本の仇敵でした。

陵墓を蔵した岩礁を望む浜辺で謝罪と平和の祈りを奉げたとき、私の内にある思いが湧き起こりました。それは、竜神になって新羅を護ってこられた文武王こそ、私を韓国巡礼に導いてくださった観音さまではなかったか、という気づきでした。

私は、観音菩薩とは仏性を悟った竜神(自然神)である、と考えています。

文武王はむかし竜神となって新羅を護り、今は仏を悟って観音菩薩となられて、武力ではなく平和によって国を護ろうとしておられるのではないのだろうか・・・・ そして朝鮮半島の南北和解と統一のためには、東アジア全体の平和が必要であり、そのために日本の憲法九条が大切であることを深く理解して、walk9を韓国へ招き、導いてくださっているのではないだろうか・・・・ そんな気がします。

国の平和を護るのは武力でも戦争でもありません。
平和とは軍隊をもたないことであり、戦争をしないことであり、花や鳥が豊かなことです。

憲法九条が東アジアの理想となりますように。

更新日: 2009年10月22日 14:07 正木高志




 

9月2日

9月になりました。
阿蘇の高原に秋風が吹いてます。
大杉さんが、かすかに揺れています。

夏は過ぎました。
終りと始まりが入り混じった、カオス渦巻く夏でした。
洪水と地震と異常気象の続く、激しいミソギの夏でした。

今、肌寒いほどの風に吹かれていると、春の花の季節は遠い夢のようです。
あれほど一所懸命に生きた物語も、過去のとばりに消えてゆきます。
まるで砂浜の足跡が、波に洗われて消え去るように・・・

でも、今歩いている足下にも、新しい足跡が刻まれているのですね。
それさえも、季節とともに、消え去ってゆくものでしょう・・・
そうやって、ただ、今だけが、つづいてゆく・・・

まもなく私は韓国巡礼に出発します。
祈りの詞を書きました。
ここに載せておきます。

**********

謝罪と平和の祈り

韓国では長い苦しみの歴史が続いてきました。日本による植民地支配、独立後の朝鮮戦争、南北分断の悲劇。その痛みは私には本当にわからないかもしれませんが、日本の侵略から始まった韓国の人々の苦難の歴史に深く謝罪し、心からお詫びいたします。

世界は戦争と環境問題という現代文明の負の遺産に暗く覆われています。この問題を解決しなければ、生きとし生けるものがみな永劫の苦しみを受けることになってしまいます。世界はバラバラの国家群から「ひとつの地球」へシフトしなければなりません。

敗戦後、日本は憲法九条で軍備と戦争の放棄を誓いました。しかしいま、平和憲法は有名無実となり、改正が議論され、国民投票で是非が問われようとしています。これは日本人があらためて軍備と戦争の放棄を自ら決意するまたとないチャンスです。

日本が平和憲法を選んだら、それは「ひとつの地球」が実現する新しい歴史のはじまりとなるでしょう。平和憲法は平和からのみ産まれます。そして平和とは国内問題ではなく隣国との関係です。日本が平和憲法を選ぶには韓国との和解が必要です。

9 aid movement(九条を救う運動)は、とりわけ若い人々の力で成しとげられるでしょう。日本と韓国と中国の若者たちが手をつなぎ、一つになったら、国家を超える地球文化が誕生するでしょう。平和を選択するみずみずしい力がそこから湧きだすでしょう。

walk9/韓国巡礼は朝鮮半島の天と地と人への謝罪の巡礼です。若者たちが戦争の体験者を訪ねて歴史を学ぶ平和の巡礼です。私たちの足跡に平和の緑が芽吹いてゆきますように。美につつまれ、歓びにみちて歩くことができますように。

**********

韓国巡礼は9月9日から100日間です。
農園に帰るのは冬至になるでしょう。
それまでブログはオヤスミです。

かわりにwalk9のホームページに記事を書きます。
http://www.walk9.net
をチェックしてください。

それでは大杉さん
いってきまーす!

更新日: 2009年9月 2日 15:15 正木高志




 

8月25日

8月25日

関東・関西で『蝶文明』出版記念トークを行い、昨日熊本へ帰りました。
夕空は澄みわたり、細い月がかかり、鈴虫も鳴いて、農園にはすっかり秋の気配がただよっていました。

今年は秋の到来が早いですね。というより、ほんとうに夏らしい日は、一週間くらいしかなかったような気がします。

新刊の『蝶文明』はとても好評で、ひらひらひらひら、蝶のように飛びたってゆきます。多くの若者たちの胸にメッセージを届けてくれるでしょう。

韓国巡礼への関心も日増しに強くなり、大勢の人たちが参加を申し出てくれました。今はむしろ参加者の増え過ぎを心配しているくらいです。あまり多くなると、宿泊や食事の手配がとても困難になります。適度な人数を超えると人の世話に追われて、歩くどころか、私たちは旅行会社の添乗員みたいな仕事をしなければならなくなりますからね。なるべく若者たちの参加を優先したいので、年配の方々にはご遠慮願っているところです。
(これは長期参加者の場合です。短期間ならいつでも参加OKですよ)

今日は北海道から沖縄へ向かって木を植えながら歩いている中渓宏一さん一行が農園を訪ねてきました。ゲンキのいい若者たち。一歳半になる中渓君の子供も一緒です。木を植えること、歩くことが、若者たちの新しい文化になりつつあるようです。山の神さまにごあいさつして、みんなでいっぱい歌を歌いました。

田んぼでは稲の穂が出てきました。イノシシにとっては、いまがいちばんお米のおいしい季節。明日は田んぼの周りに電柵を張らなくてはなりません。
そのあと秋野菜の植え付けの段取りをし、それから韓国巡礼へ出発の準備です。

秋風にさそわれて、心も、雲のように漂いはじめました。
もう、座っている暇はありません。

やれやれ。

更新日: 2009年8月26日 09:30 正木高志




 

8月12日


富士山に台風と地震がいっしょに押し寄せるなんて、変てこな夏ですね。
異常気象お見舞い申しあげます。

阿蘇の農園も、やっと夏が来たかと思えば、この数日はまた雨がふり、
稲の実りが心配です。

風と雲が急をつげる中、まもなく私たちは韓国一周の巡礼に出かけます。
それを前に、この冬から春にかけて書いた、『蝶文明』が出版されました。

この本のパート1には、前のwalk9(2007年に出雲から青森県六ヶ所村
まで歩いた)のキーワードになったグラウンディングの思想について。
パート2には、今回のwalk9を行なうことになった経緯と、
日韓の歴史問題について書いています。

前著『空とぶブッダ』では、天武天皇によってつくられた伊勢神宮
について論じましたが、図らずもこの『蝶文明』においても、
天武天皇によって編纂が命じられた「日本書紀」を論じることになりました。
今日の文明史の転換は、7世紀末の日本建国以来の大変化なのでしょう。

内容は硬そうだけど、とてもやさしく、きれいな装丁の本に仕上がりました。
帯にはUAがコメントを寄せてくれ、そばにあるだけでうれしく、うきうきする
ような本ですよ。ちょっと恥ずかしいくらいカワイーイ!ぜひ読んでください。

本の注文は《森の声》にどうぞ。
収益の一部を森づくりのために使わせていただきます。

蝶文明  (さんこう社) 定価1000円(税別)
送料 4冊まで200円。5冊以上は無料。
卸価 10冊以上 800円(税別、送料込)
        20冊以上 750円(税別、送料込)

森の声 〒861-1441 熊本県菊池市木護
    電話 0968-27-0212 ファクシミリ 0968-27-0206
    メール:morinokoe@live.jp
    郵便振込 01710-3-63706 加入者名 森の声

韓国巡礼については下記をご覧下さい。
ホームページ  http://www.walk9.net
メールアドレス info@walk9.net

本がwalkの前にできたので、急遽、出版記念のトークライヴを
関東と関西でやることになりました。HPにスケジュールが載っています。
本の販売もしますので、ぜひ、来てくださーい!

蝶文明ができた同じ立秋(8月7日)に、walk9/韓国巡礼のフリーペーパーも
できあがりました。これがまた、なかなかの出来栄えなんです。
どこかで目にしたら、是非手にとってみてください。欲しい人は
info@walk9.net まで。

いま、このフリーペーパーと蝶文明が私の机にならんでいます。
それを窓の外から大杉さんが眺めて、ニコニコ。
ほんと、自然に顔がほころぶような二冊です。

更新日: 2009年8月12日 17:40 正木高志




 

8月4日


先週はウオークの準備のために韓国へ行ってきました。
福岡から釜山まで6時間の船旅。この6時間という距離は、今日ではとても近いようであり、大昔だったらかなり遠いようでもあり、日本と韓国の微妙な距離を感じさせるものでした。

釜山港には日本と韓国の若者たちがワゴン車で迎えに来てくれており、計画もアポも運転も通訳もすべて彼らがやってくれたので、とても安楽にスケジュールをこなすことができました。この下見準備ツアーにおける双方の若者たちの意気投合ぶりと阿吽の呼吸はみごとなもので、愛と理解と平和がすでに実現して、ウオークの核が出来あがったように思われました。

大まかな計画を述べておきますね。

ウオークは9月9日9時、ソウルの北西約60?にある江華島(カンファド)、マニ山の麓から出発します。

その週末の9月12、13日はソウル市内でスタートのイベントをやります。12日は日本からの訪問者のために歴史学習の集い。13日は日韓のミュージシャンたちによる音楽イベント。

14日からウオークが本格スタートします。
まず東へ向かいます。それから東海(日本海)沿いに南下。

10月24、25日は釜山でイベントを行ないます。大阪、下関、福岡から船も出ているので、日本からの多くの参加者を募ります。
24日は植林をします。25日はアーティストたちの参加によるフェスティバル。26日には歴史遺跡をめぐるバスツアーも計画しています。

10月27日から南海岸を西へ。済州島へも行きたいと思っています。さらに西海岸を北上して、三ヵ月後にソウルへもどります。そこから南北境界のイムジン川へ。

このように韓国をぐるりと時計回りに一周して、100日間でウオークを終了します。

計画の詳細は以下に問い合わせてください。
Email:info@walk9.net
藤井 芳広(ふじいよしひろ) 090-5543-9149
姜 咲知子(かん さちこ)  090-5526-7356
櫛田 寒平(くしだかんぺい) 090-3069-2149

まもなくホームページが開かれる予定です。
またウオーク9について詳細に記したフリーペーパーも出ます。

来週には私の新刊、『蝶文明』が出版されます。韓国巡礼をすることになった経緯や意味などを書いています。ぜひ読んでください。本の注文は下記へどうぞ。

Email : morinokoe@live.jp
〒861-1441 熊本県菊池市木護(きご)
(森林ボランティアグループ) 森の声

更新日: 2009年8月 4日 11:38 正木高志




 

7月23日

昨日は日食。
家からよく見えましたよー。
ちょうど良い具合に雲がかかって、肉眼でも見ることができました。
95%の日食で、ほっそりした太陽が、月影に少しだけ顔を覗かせていました。

朝まではどしゃぶりの雨だったのです。
その雨は、山口県にも降って、あれほどの災害を引き起こしたのですが、実は私たちは前日、あの雨の中を、山口から帰ってきたのでした。
怖いくらいでしたよ。山の中の道路を雨水が川のように流れて、横を流れる渓流は水位が上がって溢れそうになり、濁流の水しぶきが道路に跳ね上がっていました。

山口県と広島県と島根県の県境にある羅漢山で《風のまつり》が開かれ、18,19,20日の3日間、参加してきたのです。
初日は、雨は降っておらず、風の祭というだけあって、なんとなく怪しげな風が、何か物語るかのように、山を、森を、会場を、テントサイトを吹きぬけていました。

その夜メーンステージのライブが終了し、静かになった会場をバンガローへ戻ろうとしていたら、あるティピの前に古い友人のイサムが座っていました。おや、と足を止めると、ボブもいるし、ジミーさんもいるし、いにしえのビートニクやヒッピーの古強者たちが勢ぞろいしているではないですか。ティピに入ってくつろぐと、そこはなんだか60年代の、いにしえの若者たちの同窓会のよう。ヒュー ヒューと心地よい風が吹き、暗がりにポッ ポッ・・とランプの灯がともり、大昔のカトマンドゥの夜の茶店にたむろしてお茶をすすっているような、そんな錯覚に陥りそうになりました。闇空につむじ風が舞い踊っていました。

2日目の昼、私のトークライブが終わったころから雨が降りだして、雰囲気がガラリと変わりました。雨はそのまま降りやまず、夜半からさらに激しくなって、災害を引き起こすほどにまでなったのです。それでも若者たちは至極ゲンキ。テントの中に水が流れこみ、びしょ濡れになっても、「ウオーターベッドに寝てるみたいでした」なんて笑っていました。

私たちは早く帰りましたが、最終日までいた人たちはだいじょうぶだったでしょうか?無事に帰れたでしょうか?山口の人たちは被害に遭われなかったでしょうか?後片付けは大変だったでしょうね。ごくろうさま。

いまは60年代のムーヴメントと、これからはじまる2010年代のムーヴメントのターニングポイント・・・・潮の目の変わり時です。自然への回帰と平和創造のスピリットは受け継がれなければなりませんが、まつりの形は古い時代のそれから新しい時代のあり方へとシフトするでしょう。そうやって、新しい時代の、新しいウエーヴが、新しい若者たちから、新しく湧き起こるはずです。

古い時代の若者(オールドヒッピー)たちは、風と雨に祓い清められ、羅漢さまになって、山のように黙して、静かに新しい時代の台頭を見守ることにいたしませう。

更新日: 2009年7月23日 15:26 正木高志




 

7月6日

雨をたっぷり吸ったみずみずしい木や草たち、水をいっぱい含んだ大地と大気に囲まれていると、水底の生き物になったみたいな気分です。机の前の大杉さんも水太りでぷりぷり。葉先についた無数の滴もゆれています。

昨日と一昨日の2日間、2005年に植林した山の下草刈りをしました。
九州のあちこちから、遠くからは東京、北海道からも旅の途中に寄ってくれた人がありました。そんな若者たち30名あまりが、元気いっぱい、愉しさいっぱい、山で働いてくれました。

森に入らないとわからなかったけど、この一年間で、木たちは驚くほど成長していました。ブナやケヤキ以外の、ヤマザクラやクヌギやカエデたちは見上げるほどの高さになっています。そんな木たちの下には木陰ができて、草は少なくなっていました。小さな木のまわりだけは草を刈ってあげなければなりません。それでも去年に較べれば、楽々余裕の草刈りでした。

で、時間にも体力にもユトリがあったので、作業を早めに切りあげて、若者たちは谷川で汗を流し、近所の温泉へいって、夕食前にチコとマイサ(妻と私)のライブを、夕食後には私のトークをたっぷり楽しんでもらいました。大分県から大学生たちがwalk9/韓国巡礼の話を聞くために、草刈に参加してくれていたのです。

夜はいつも8時過ぎると眠くなるのだけど、話しているうちにだんだん目が冴えてきて、最後はすっかりノリノリのグルービートーク。ちょっと催眠商法みたいでもありましたが、トークを聞いた若者たち、年配の人もですが、大半がウオークへの参加を希望してくれました。森の力が働いたのでしょうか。楽しみです。

私は結局2日間、草刈りはそっちのけで、グラウンディング、就職しないで生きるには? 憲法9条、ウオーク9、朝鮮半島と日本の歴史、環境問題、リッコーホ、インド哲学、鏡の裏の磨き方・・・などなど、若者たちとさまざまな話題にわたって、いやあ、よく話したなあ・・・

夕方、ぱらぱらと人が帰り、チコと二人きりになって静けさが戻ったら、私はぐったり、意識はモーローとなって、早々とベッドにもぐりこみました。
で、ゆっくり休んだ朝にこれを書いているのですが・・・

ところで大杉さん!
冬の間に書いた新しい本、『蝶文明』が
8月上旬に出版されることになりましたよー。
それで8月半ばにホヤホヤの新刊書をもって関東・関西へゆきます。
スケジュールはのちほどアップしますね。
お愉しみに。

更新日: 2009年7月 6日 18:27 正木高志




 

6月29日


リッコーホの3人の共同代表(マエキタミヤコ、きくちゆみ、正木)ほか数名がサステナの事務所にあつまって、ひさしぶりに会議しました。
リッコーホは、2011年春におこなわれる全国統一地方議会選挙に千人の「みどりの子どもたち」が立候補するプロジェクトです。(内容については4月15日のブログを読んでください。)

毎日いくつもの会議をハシゴしている超多忙な女性たち。時間のやりくりをして、過密スケジュールをこじ開けて、やっと3人そろっても、会うとなんだかホッとして気が抜けるみたいで、いつも貴重な時間の半分を雑談ですごし、残りの半分を食事についやし、さいごばたばたと話し合って、それからみなさん次の会議へ走って行ってしまいます。

その日も、梅雨空晴れわたり涼しい風吹く代々木公園に近いマンションの屋上に、寝転がってだらだらと雑談がつづきました。日が落ちて、空にほっそり白い月がかかっていました。
きくちゆみさんは前日まで自宅の農場で、アメリカから「非暴力コミュニケーション」の講師を招いてセミナーをやっていたそうで、雑談はその話。

人間関係や社会関係に問題があるときには、自分の立場から相手をジャッジすることなく、相手の立場にたって考えなければなりません、というのは一般的によく言われることです。このときsympathyよりempathyが大切だというのです。sympathyは自分の立場から相手を思いやり、同情すること。一方empathyは相手の身になりきって考えるということでしょう。そのとき使われた英語のいいまわし、「相手の靴をはいて」、という言葉に私は興味と共感をおぼえました。

靴と相手の立つ地面を、ふつう私たちはほとんど意識しません。相手の目線でとか、相手の身になってというのならなんとかわかりますが、相手の足がはいている靴、それが踏んでいる大地は、どちらかというと無意識の領域です。ということは顕在意識の領域で相手の身になることから一歩すすんで、相手の潜在意識に思いを致してみるということなのでしょう。

私は個人的なことである問題をかかえていました。そのもつれがなかなかほどけずに困惑していました。相手が問題の原因だと思っていたのです。論理的に考えると、どうしてもそう見えるのです。だけどきっと相手にもそう見えているのでしょうね。双方とも間違っていない。お互い正しい。それでも問題が立ちふさがっている。そんな問題もあるのですね。

帰ってからその問題を、「相手の靴をはいて」考えてみました。するとほどけたのですよ、固く凍りついてどうしても解けなかった問題が。するすると解けて、ああそうか、こういうことだったんだ。だれも悪くなく、お互いにより高い、新しいステージへ飛躍するためにこの問題が与えられた。この問題を恵みとして受け入れ、誠実に自分が脱皮することで、芋虫から蝶にアセンションできる。これはすばらしいチャンスなのだ、ということが深く納得できました。頭では理解していたけれど、相手の靴をはいてみるまで、心が納得していなかったのです。それで潜在意識の領域での反発がつづいていたのですね。

今年の9月9日から100日間かけて、私たちは韓国一周の巡礼をおこないます。(詳細は4月18日のブログ) 
日本と韓国との間には長く深い対立の歴史があります。その和解を祈って謝罪の巡礼をするのですが、「相手の靴をはいて」歩くということがいかに大切か、ということに気づかされました。
でも、韓国製の靴をはいて歩けばいいということじゃないよね。(笑)
これはどうやらwalk9/韓国巡礼の公案のようです。

明日は熊本へ帰ります。
帰ったらすぐに植林をした山の下草刈りが待っています。

更新日: 2009年6月29日 19:09 正木高志




 

6月22日

お茶摘みから田植えまでつづく農繁期のピークを終えて、19日に熊本を発ち、東京へ来ました。今回は30日まで滞在し、その後また農場へ帰ります。7月の4日と5日は植林した花鳥山の下草刈りです。

夏至のきのうは三鷹の沙羅舎で、パート1、パート2合わせて4時間のトークライヴをやりました。熊本にいるときは夏至にはいつも阿蘇の押戸石という磐座へゆくのですが、きのうは井の頭公園の弁天さまに奉納するつもりで、文明の自然回帰と東アジアの平和ムーヴメントについて語りました。

この秋は、9月9日から100日間かけて、walk9/韓国巡礼をおこないます。最近はその内容について話すことが多いのですが、きのうも大勢の人があとでウオークへの参加を申し込んでくれました。韓国巡礼は冬至におわるので、これから半年間は、活動をウオークに集中するつもりです。

会場に、千葉から来たという私と同年輩の男性がいらしてました。表紙の縁がふわふわになった『木を植えましょう』を手に、「私はこの本に出会ってから30回読みました」とおっしゃいました。エエッ!と頭の下がる思いでした。「イベントのことはホームページで知りました。いつもブログを読んでいます」と言われたので、「あの、すみません、最近長いこと更新してなくて」と答えると、「いえいえ、2週間に1回でも、楽しみにしていますから」とやさしくなぐさめてくださいました。

私は、山の中で独りで暮らしてきた年月が長くて、人の気持ちを思いやるということがあまりできません。どうも自分勝手、わがままになりがちです。こうして多くの人と出会うことで、遅ればせながら人格を向上させ、成熟していかなくてはと、きのうは身が引き締まる思いでした。

というわけで、久しぶりにブログを書きはじめましたが、あらあらお昼になりました。もう出かけなくてはなりません。今日は池袋の「たまには月でも眺めましょ」という変わった名前のお店で話をします。ではいってまいります。

更新日: 2009年6月22日 11:48 正木高志




 

6月5日

花の理

花が咲き、花が散りました。
桜の花の季節が、夢のようです。
いまは緑が萌えさかり、
あの冬枯れの山が、こんなに緑になるなんて、
なんという生命力だろう。

大杉さんに向き合っている西向きの窓の左側、
つまり南向きのベランダの外に荒れ放題の庭があって、
例年だとワラビが伸びた大きなシダに被われるのですが、
今年はなぜか紫のアザミのお花畑になって、
大小さまざまな蝶々がやってきます。

緑の蝶もやってきました。
大きなアゲハ蝶で、黒い縁取りのなかは、
沖縄の海の、明るいエメラルドグリーンでした。
ひらひらヒラヒラ、花の色と蜜の香りに酔って
せわしなく羽ばたきながら、花から花へ、
木から花へ、飛びまわっていました。

そのアザミの花も盛りをすぎて、しぼみはじめました。
すると今日は小鳥がやってきて、しぼんだ花をついばむのです。
驚いたことに、もう、ちゃんと種がついているのですね、
花が咲き、散った、その場所に。

アザミにとって大切なのは、花よりも種。
実をつけるために、花は咲く。
それなら花は、散るために咲くのだろうか。
花にとらわれ散るのを惜しんではならない。
それが花の理(ことわり)。

いま、庭のアザミ野には、蜜を吸う蝶と、
種をついばむ小鳥の、両方がいます。
蜜を吸う蝶が、花の受粉を助け、
種を、小鳥がまき散らすのです。
自然の、なんという、奇跡。

花にとらわれたらマーヤー、
生命の奇蹟はリーラーです。

さらさらと季節は流れてゆきます。

更新日: 2009年6月 5日 12:10 正木高志




 

5月21日

虹の味

18、19の2日間、お茶つみをしました。
お天気よくて、空は青く澄みわたり、風はひんやり心地よく、円盤型の雲が並んだり竜雲がたなびいたり、東の阿蘇の山の上にも西の長崎の海の上にも、いろんな形の雲がフワフワ、ヒュンヒュンって飛んで、刻一刻変化するのです。それがほんとうにきれいでね、それに、なんと2日間とも彩雲や虹がでたのですよ。

1日目は蝶々のような雲が一片ひらひらと飛んできて、それが1分間くらいだったかな、短い間だったけれど、虹色に染まって、まるで広い広い青空に、虹の花が一輪パッと咲いたみたいでした。
2日目の彩雲はもっと念が入ってて、いろんな形の雲がさまざまな色に染まって、太陽の周りには虹の日輪までかかってね、すごかったのは、ひとつの雲がコバルトブルーに輝いたときでした。その雲はまるで本物の青い光の竜が踊っているようでした。

お茶つみには若者たちが10人くらい手伝いにきてくれて、みんな口をポカンとあけて虹の空を眺めたり、新緑の山を眺めたりしながら、愉しみ、よく働いて、2日間のお茶つみは、夢のように終わりました。

ある若者が、「せっかく伸びた新芽を摘まれるお茶の木って、どんな気持ちかな」って言いました。
私もよく思うのです、気の毒だなあって。さぞ、つらかろうなあって。去年まで、そう思っていました。
でも、虹や彩雲を見ながら、今年はちがうことを考えました。

お茶の木が自分を「一本のお茶の木」と考えているなら、それはたしかにつらいと思う。だって、せっかく伸びた新芽が摘み取られてしまうのだから、そりゃあ苦しいでしょう。
だけど、その新芽がお茶になって人にのまれ、人のからだをめぐって、人の疲れをいやしたりストレスをほぐしたりして、人の元気と歓びになるんだよね。そうしてそれが人の良い働きになって、さらに良いものを生むのです。
お茶の木は芽を摘まれることによって、人のからだになり、人の働きになり、さらに働きの対象物になる。そうやって、一本のお茶の木が、大いなる生態系の、生命の循環そのものになってゆく...いわば、神になるのです。

そう考えるなら、お茶の木にとって新芽を摘まれることは、苦しみではなくて、歓びではないでしょうか。
もちろん痛くて苦しいだろうけれど、それ以上に大いなるものと一つになる歓びがあるはず。
自分の身を削って他者に捧げることは愛以外の何ものでもありません。
一人ぼっちで、わが身を護り、誰からも摘まれずに伸びてゆくよりも、生態系のために働ける生きがいがある。愛のよろこびがある。
摘まれてはじめて、お茶はその歓びを知るのです。

奉仕や苦行というものには、そのような歓びがあるのでしょう。
それだから大昔から、霊性の人々は、修行や苦行を行なってきたのでしょう。
ただ自分を苦しめるだけじゃなくて、他者に身を捧げて、大いなる存在の働きの一部に帰る歓びがあります。
自我を超えて無私の働きをすることによって、自分自身もエコシステムの愛に抱かれ、その一部になれるのではないだろうか......そんなことを考えながらお茶を摘みました。

摘んだお茶はこれから工場で仕上げをしてもらい、それから袋詰めして発送するのですが、昨日、でき上がってきた荒茶(仕上げ前のお茶)を飲んでみたら、虹の味がしましたよ。

更新日: 2009年5月21日 17:16 正木高志




 

5月12日


ベテランのウグイスよりも高らかに


紫のアザミの花に
アゲハ蝶がとまって
蜜を吸っています

風にゆられて
光のなかで
愛に酔って

5月の陽光が、森の丸太小屋の庭に、あふれています。


5月10日に佐賀市でおこなわれた、玄海原発のプルサーマル中止を求める集会に行ってきました。前々から誘われていたのですが、今は農園の茶摘みの時期でもあるので、留保していたのです。だけど茶摘みが遅れたので参加することができました。

ひどく暑い日で、ニュースでは7月上旬並みの暑さといっていました。そんな中での片道3時間の運転は身体にこたえました。少し無理していったので、帰ってから熱を出して昨日一日寝こみましたが、でも、行けてよかったな、みんなに会えて。

リレートークは豪華ゲスト陣で、藤田ゆうこうさん、ユージン・スミスさん、鎌仲ひとみ監督、田中優さんの面々。みなさん、さすがですねえ、じつに面白く、厳しく、わかりやすく、プルサーマルの危険と電力会社の暴挙について語ってくれました。

圧巻は1500人の参加者でつくったNOMOXの人文字でした。主催者がチャーターしたセスナ機の他にも新聞社のヘリコプターが4機飛び交い、グルグルと旋回して写真を撮影しました。かなり長い間、みなさん暑い中に立っておられたのですが、その間、平和な波動が写真に映るようにと願いながら、妻と娘と私の三人で心をこめて「木を植えましょう」などを歌いました。

佐賀のみなさーん、ごくろーさーん、ありがとー。

天気予報によれば、明日は雨。その雨が上がったら茶摘みです。さあ、いよいよ肉体労働だ! 


更新日: 2009年5月12日 12:56 正木高志




 

5月7日


山笑う きみのひとみに かかる虹

お早うございます、大杉みどりさん。
ほう、、、やっと静かな朝をむかえました。

茶畑の新芽がやわらかく伸び、野山も新緑の無限のグラデーション。農園はいまがもっとも緑の美しい季節です。
日記を開いたら、前のページの日付は3月26日になっていました。今日は5月7日だから、1ヶ月と10日間ぶりです。
今は阿蘇の森のなか。関西も東京も夢のようです。

3月26日の日記に、桜の花が4分咲きと書いてあります。
クヌギ林もまだ枯木でした。
それがいまや萌え盛る緑の炎。
季節の変化の大きさに驚いています。

そして思ったのですが、この緑はすべて太陽の光です。
うまくやれば、地球の温暖化を、地球緑化に」利用できるのではないでしょうか?
温暖化による過度の太陽光線を植物の緑に変えるのです。

そのためには、何をすればよいか?
それは植林でしょう。そして間伐などの森づくり。
砂漠化という悪循環によって温暖化してきた地球環境を、正循環に変えることのできるような森をつくるのです。
たとえば明治神宮の森はそのよいモデルです。そこでは森が正循環し、自己組織化して、自己増殖をはじめています。人工の森ではありますが、自然の森がよみがえりはじめているのです。

以前、インドにあるパーマカルチャー農園の映像を見たことがあります。そこでは砂漠化しだしたデカン高原の畑が、わずか5年間で、みごとな緑の森によみがえりはじめていました。このような真の緑化は小さな場所でも起きるもので、心ある庭師がつくる庭園にも自己組織化しはじめた緑の宇宙を見ることがあります。

自然農やパーマカルチャーや、明治神宮の森をつくるような能力を、人類は十分持っています。それに自然がよみがえるために「人は何をなすべきで、何をしてはならないか」という知識については、フィンドホーンのように、私たちが深く耳を澄ませたら、自然が教えてくれるはず。

そのようにして緑化をつづけていったら、温暖化した過剰な光と熱を受けて森はどんどん成長し、成熟してゆくでしょう。
悪循環が正循環に変わり、自然が自己組織化するようになれば、人間は何もしなくてよいようになるでしょう。何をなすべきかより、緑化の邪魔をしないためには何をしてはいけないのかを理解し、心がけさえすればいいのです。
何もしなくていいのです。難しいのはむしろ、何かしたがる心を制御すること。それが知恵であり、そのような精神力をそなえた文化を創造し、育てる必要があります。

そして結果的に森が地上に広がってしまったら、森が陽光を吸収して、地球温暖化は徐々に終息に向かうでしょう。そうしてついにはバランスをとりもどし、人と自然が調和して、自然は安定するでしょう。

農園に帰り、久しぶりに野山の緑の力強さを目の当たりにして、そんな希望を夢見ました。

*********

5月3日に熊本へ、4日に大分県の湯布院でライブをやり、5日に農園に戻る途中のこと。その日は毎年ゴールデンウイークに阿蘇山で開かれている「虹の岬まつり」の最終日でした。

久住の山を越えるころから雨が降り出し、阿蘇の高原ではあられも降って、雷鳴がとどろきはじめました。あやしげな雲行きにためらいつつも、「虹の岬まつり」へ向かいました。
会場は、阿蘇の東側の外輪山のてっぺん。標高1000メートルに近い、ワイルドな大草原です。農園からは近くて、私たちはいつもその山を眺めながら、ベランダで歌を歌っています。

車からおりると、遥か遠くにメーンステージが見え、鯉のぼりと虹色の旗が威勢よくはためいていました。まわりにはたくさんのティピやテントがならんでいます。道ぞいには出店がならび、歩いてゆくと知り合いだらけ。やあやあやあ、と次からつぎに人と出会います。

友達のティピに入ってお茶を一服いただいていたら、「虹だよー、虹がでたよー」の声。
飛び出してみると、雨があがって洗われた青空に、あざやかに虹がかかっていました。
すごいすごい!
西の空の夕陽はあかあか、透きとおった風はひんやり。
みんなの顔は、眸に虹を映して、にこにこ にこにこ。
おめでとう、おめでとう。
5月5日のこどもの日。それは阿蘇のお母さんからの、何てすてきなプレゼントだったことでしょう。

最後にもう一つ、昨日のこと。
昼ごろにベランダで歌を歌っていたら、上空に鷹があらわれて、ツバサを広げ、ゆっくりと舞いはじめました。
挨拶をしようと笛を吹きはじめたら、鷹はゆっくりと、ぐるぐるぐるぐる回りながら、高く高く上昇をつづけ、とうとう空にとけて、消えてしまいました。

なんだか、阿蘇のお母さん、とてもハイなご様子。

更新日: 2009年5月 7日 13:23 正木高志




 

5月2日


今回の東京滞在はちょうど一ヶ月でした。
永かったようで、短いようで、咲き初めの桜の頃が、今は夢のよう。
アースデイもずいぶん遠い昔のことのような気がします。

一昨日も昨日も、江ノ島へお参りに行ってきました。
なぜか今回は一ヶ月間に3回も。竜宮城の乙姫さまに呼ばれたのかなあ?(笑)昨日は戸塚の明治学院大学で話をしたので、その帰りでした。

はじめて知ったのだけど、江ノ島神社は江戸時代までは江ノ島寺だったのですね。おそらく明治時代の神仏分離、廃仏毀釈運動で、お寺が破壊されてしまったのでしょう。そういえば、あんなにぎゅうぎゅう詰めに家がたち並んでいるのに、島の頂上だけガラガラのスペースがあるのは不自然に感じていました。タワーが建っているあたりにも、以前はお寺がたくさんあったのでしょう。

それにしても全国あちこちで目にするのですが、たとえば九州の鵜戸神宮も、宇佐神宮にも、壮大な伽藍の跡がたくさんあるのです。そして当時の寺院破壊のすさまじさについても聞きました。歴史から抹殺されてしまっていますが、あれだけの破壊があったのですから、お寺を護ろうとした多くの僧侶や信者たちが殺されたりもしたのでしょう。

じつは、その怨念というか、潜在意識に残された深い傷跡が、今日の神社の荒廃や日本人の自然信仰の喪失に強く影響しているのではないかと思うのです。そして、そのメンタリティが今日の日本人の自然破壊につながっているのではないか。

廃仏毀釈とは、仏教を廃止しお釈迦さまの教えを打ち壊せ、という運動のこと。あたかも中国の文化革命のように、それは日本の文化に打撃をあたえ、日本人の心に深い傷をもたらしました。破壊は甚大だったのですが、それは皇国史観にもとづく国の方針による運動だったので、罪は問われず、公の歴史にはほとんど語られていません。しかしほんとうは極めて重大な歴史的事件であったと思います。

仏教側には怒りと恨みと、神道や神社への不信や怨念が残ったことでしょう。お寺や仏像を命がけで護ろうとして殺された人々の怨霊は、いまだじゅうぶんにいやされていないのではないでしょうか。そうして、神道と仏教が習合し共存した美しい日本の霊性がすたれてしまいました。江ノ島へゆくと、いつもそんなことを感じてしまいます。

神道には大きく二つのカテゴリーがあります。
ひとつは自然神道です。日本人は大昔から、自然を神とみて尊び、敬ってきました。太陽に手を合わせ、山に入るときは山の神さまのゆるしをもとめ、あるいは水の流れにも神々の愛を感じました。海も、月も、季節の流れも神と呼びました。それは縄文の昔からつづく自然信仰です。

もうひとつは国家神道です。これは国家が誕生したときに、国民に大王を神と見て従わせるようにつくられた人間神です。天皇家の先祖を神として敬う宗教ができたのは天武天皇の時代、いまから1300年ほど前のこと。そして明治時代になって神格化された天皇を敬い従うことが、国民に広くもとめられました。それが国家神道です。その宗教を徹底するために廃仏毀釈が行われたのです。

たしかに先祖を尊び敬うのは大切な徳であるでしょう。だけど、自然信仰と人間信仰を比較することはできません。自然神道と国家神道はカテゴリーが違うのです。たとえば海のヒラメはヒラメの先祖を神と見て敬うことも必要でしょう。でも、だからといってヒラメの先祖を海という神に較べることなんかできません。そのように人間神と自然神を比較したり、まして人間神を自然神の上位に置くことなんかできません。それはヒラメの先祖は海より偉いというようなもので、自然神に対する人間の冒涜です。

廃仏毀釈運動をした神道は、この人間神を掲げる国家神道であって、自然信仰ではありません。だけど、恨みを忘れることのできない仏教徒は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」で、国家神道が憎いのに、そのとばっちりが自然神にまで及んでいるような気がします。ここをよく見分けて考える必要があります。なぜなら、環境問題を抱えた今日の文明は、自然の神々との関係を結びなおす必要があるからです。

たとえば、首を斬られようとした日蓮聖人を救ったのは、竜の口の龍神すなわち自然の神さまでした。そしてお釈迦さまのもっとも大切な教えは「すべての生き物たち、幸せであれ、幸せであれ」と願う慈しみの心でした。
そのように仏教と自然信仰は手を携えていたのです。分離されてしまった神道と仏道がもういちど調和しなくてはなりません。そうしてはじめて環境に対する私たち日本人の姿勢がバランスを取り戻すでしょう。

明日は九州へ帰ります。農園ではまもなくお茶摘み、それから田植えと、農繁期に入ります。

更新日: 2009年5月 2日 14:47 正木高志




 

4月26日

伊勢が浜への白い道

妻が誕生日に娘からもらったというCDを送ってくれました。ハワイのHAPAのNAMAHANAというアルバムで、とくに一曲目の悲哀をおびた明るく軽快な曲が大好きになりました。聴くと、なんど聴いても、なぜか伊勢が浜への白い道がまぶたに浮かぶのです。

それは10歳のときのことでした。私は熊本市のはずれに住んでおり、東には阿蘇山のやわらかく母性的な山なみが連なっていました。その山をながめては、いつもいつも、あの山のむこうには何があるのだろう、とあこがれに似た気持ちで未知の世界を想っていたものです。「遠い山の向こうの知らない町よ いつか馬車に乗って行きたい町よ 」という歌を習ったころのことでした。

その夏休みに、学校の教師をしていた叔父が、宮崎県の日向への家族旅行に誘ってくれました。それは私にとって初めての遠出の旅行でした。バスが阿蘇山を越えると、その先には高千穂の険しい峰々が延々とつづいていました。バスは(昔のガタガタのバスですよ)断崖絶壁の山道をあえぐように走りつづけ、とうとう延岡の街に着きました。家からながめていた山の向こうには、大きな町があり、その先は太平洋だったのです。10歳の少年にとって大きな驚きでした。

ある日、叔父がいとこ達と一緒に、海水浴につれていってくれました。細島でバスを下りると、真っ青な空の下に、白い真っすぐな道が伊勢が浜へとつづいていました。私たちは8月の強い陽光に照らされて、その白く輝くまぶしい道をたどりました。そこは碁石の産地で、白石を削り取った貝殻のくずが道に敷きつめられていたのでした。

いまHAPAのその曲を聴くときに、なぜか子供のころに歩いたその白い道がなつかしく思い浮かぶのです。

先日、「アースデイ湘南」に参加しました。2年前にハワイからやってきた双胴カヌー「ホクレア号」をメーンテーマに、ポリネシアの島々のスライドショーや、伊豆大島から葉山までの60キロメートルをスタンディングパドルで漕ぎ渡った若者の勇ましい話など、すっかり海とハワイのアースデイでした。
江ノ島に渡る大橋のたもとのビルのなか。来ていた人たちもサーファーやカヌーイストやフラダンサーなど、おしゃれですてきで、それでいて男たちは筋肉もりもり、色まっ黒のマッチョが多く、他のアースデイとは一風違ってやっぱり湘南風。
そこで語られたのは、自分たちのルーツが、ポリネシアやミクロネシアなど、太平洋全域に散らばっていった海洋民族とおなじであるという、海人の自覚とプライドでした。

想えば、宮崎の海は縄文の昔、黒潮に乗って南からやってきた海洋民が住みついたところです。古事記の日向神話にでてくるコノハナサクヤヒメとイワナガヒメはともにインドネシアの神話にも登場する姉妹神です。その縄文人の娘コノハナサクヤと、当時の文明先進国であった朝鮮半島から渡来したニニギが出逢って結ばれたのが日向です。その海洋民たちはフィリピンから沖縄、奄美、九州、そして富士山の見える駿河湾、相模湾から東京湾あたりまで拡散して暮していたと思われます。

ハワイの音楽を聴くときに、伊勢が浜の白い道が思い浮かぶのは、縄文のむかし、私が海洋民であったころ、あの辺りに住んでいたからかもしれません。

ああ、ここまで書いてきたところで、強い風に雲が吹き払われて富士山がくっきり姿をあらわしました。富士山の女神もコノハナサクヤヒメ。
そうです、ここ東京にもハワイにつながる太平洋の海洋民が暮していたのです。その遺跡がこの初台や渋谷あたりにもたくさんあります。

大島から葉山までスタンディングパドルで漕ぎ渡った若者は、どうしてそんなことをやろうと思ったのかという質問に対して、自分たちが海洋民であることを、そしてその誇りとスピリットを証明したかったのだと語りました。

更新日: 2009年4月26日 11:54 正木高志




 

4月18日アースデイ


今日は地球の日。
代々木の「アースデイ東京」と、明治神宮の森でおこなわれた「いのちの森」に参加してきました。
明治神宮のうつくしい森と、代々木の大勢の人々の両方に歌を奉納し、「walk9/韓国巡礼」と「リッコーホ」の、二つのプロジェクトの誕生を報告をしました。

前の記事と重なる部分もあると思いますが、今日は韓国巡礼についての記事を載せておきます。

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オリエンタル ルネサンス

昨年の夏に、初めて韓国を訪れました。
わずか一週間の韓国旅行は私に大変化をもたらしました。
アイデンティティが揺らいだ、というより、たぶんひっくり返ったでしょう。
日本人意識が嫌で地球人意識をもっていたつもりだったのが、隠れていた日本人意識が韓国でグラリと揺らぎ、でんぐり返って東洋人になった...みたいな、そんなアイデンティティ・シフトが起きました。

新鮮なおどろきでした。
同時にそれはとても居心地のよいものでした。
日本人を超えて一気に地球人というのも、リアリティに欠けている気がしないではありません。それが、東洋という大陸・半島・列島をくくる広い視野に目覚めてはじめて、「ああこれだ、ここに道がある」と思ったのです。
海で結ばれたオリエント意識には懐かしく納得するものがありました。

平和とは一国内のことではなく、国と国の関係です。近隣諸国との関係です。
だから平和憲法は韓国との関係に最も大きな意味をもちます。
日本が憲法9条を選び直すためには韓国との和解が必要です。
わだかまりを残したまま、平和憲法を選ぶことはできません。

日本は、国民投票で平和憲法を選び直してはじめて、前の戦争の清算ができるでしょう。

そのために、「自分に何ができるだろう?」と考えました。
「謝罪することならできる」と思いました。
「歩くことならできる」とも思いました。
そうしてwalk9/韓国巡礼を行うことにしました。

まず種蒔きに、江華島からソウルまで3日間歩いてみることにしました。
Walkのはじめに、ソウルの北西にある江華島の聖地・摩仁山に登り、韓国の古い自然の神さまにごあいさつをしました。以下はそのときの宣詞です。


韓国ではながい苦しみの歴史が今もつづいています。日本による強制支配、独立後の朝鮮戦争、そして南北分断の悲劇。その痛みは私には本当にわからないかもしれませんが、日本の侵略からはじまった韓国の人々の苦難に深く謝罪し、心からお詫び申しあげます。
世界は戦争と環境問題という西洋文明の負の遺産に暗く覆われています。この問題を解決しなければ生きとし生けるものがみな永劫の苦しみを受けることになってしまいます。世界はいつか「バラバラ」の国家の集合から「ひとつ」の地球へとシフトするでしょう。しかし問題を生じた同じ西洋の思考方法によって問題は解決されません。解決は先住民の文化や東アジア文明など、非西洋からもたらされるでしょう。
いま日本では憲法9条の改正が論議され、平和憲法の是非が国民投票で問われようとしています。これは日本があらためて軍備と戦争の放棄を自ら決意するまたとない機会です。日本がここで改めて戦争責任を懺悔し平和の道を選んだなら、それは戦争からの出口が見えない世界に一筋の光をもたらすことになるでしょう。
9 aid movement(九条を救う運動)は、とりわけ若い人たちの力でなしとげられるでしょう。なぜなら今日の若者たちは、もともと地球人としてこの時代に生まれてきているからです。日本と韓国の若者たちが手をつないだら、国家を超える新しい地球文化が誕生するでしょう。そして平和憲法を選ぶみずみずしい力がそこから湧きだすでしょう。
これからwalk9/韓国巡礼を出発いたします。これは謝罪のための巡礼です。私たちの足跡に平和の緑が芽吹いてゆきますように。美のなかを歓びにみちて歩くことができますように。どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

翌朝、摩仁山の麓を出発するとき、一緒に歩いた日本人・韓国人3名ずつの若者たちと記念撮影のために並んだら、カメラの背後に昇った朝日のまわりに、きれいな虹の輪がかかっていました。それは韓国の神さまが出してくださったGOサインのように思えました。
その日、もうひとつフシギな出来事がありました。私たちの行進の世話をしてくださった方が前日ソウルで古い友達に出会ったそうです。その人はちょうど平和行進を5年間つづけている道法さんという仏教のお坊さんと一緒に歩いているところだったのです。そこで二人は盛り上がり、平和行進にきた日本人とそのお坊さんを会わせようということになって、「それで今夜ソウルへゆきませんか」とお誘いを受けたのでした。

そうやって韓国を歩きはじめたその初日に、平和行進を5年間つづけてこられたお坊さんと会うことになりました。ちょうどソウル市内を歩いておられたところだったので、あとの二日間を一緒に歩かせていただきました。
道法さん一行はそのとき30名ほどで、さすがに5年間つづけてこられただけあって、平和で、静かで、真剣で、動く道場のような美しい巡礼でした。とくに行進のはじめと終りにおこなう礼拝に感動しました。地域の人たちとの誠実で親密な信頼関係もありました。

この出会いによって、韓国を一周するwalk9/韓国巡礼をおこなう決心がつきました。背中をどんと押してもらったような気がします。一緒に歩いた若者たちも大賛成で、2009年秋に100日間かけて韓国を歩くことになったのです。

walk9/韓国巡礼は謝罪の巡礼です。戦争のときにあったことを私たちは知りません。だから歩いて、人々に出会い、海に出会い、山河に出会い、木や石や、小鳥や魚たちや、虫やけものたちに出会って、あいさつし、謝罪し、話に耳をかたむけてこようと思っています。

韓国から帰ってから夢を見ました。
朝鮮半島から道がつづく遥かなヒマラヤに虹のかかったような夢でした。

日本人が憲法9条を選んだら・・・
その力は十倍になって、朝鮮半島の統一が実現するでしょう。
その力はさらに十倍になって、中国がインドと和解するでしょう。
するとチベットは軍事的な必要を失い、チベット人は故郷に帰れるようになるでしょう。
そうしてダライラマがチベットへ帰るとき、東アジアに産まれた平和の波は地球の裏側へおよび、世界に平和がよみがえるでしょう。

この夢は十分に実現の可能性をもっています。
社会を持続可能にするには戦争をやめるしかありません。
戦争をやめるには、この道しかないと思います。

日本からはじまる軍備と戦争の放棄。
国民投票で日本人が軍備と戦争の放棄を選択する可能性は50%です。
だからできます。できたら、big waveが起きる。
日本だけじゃなく、新しい時代の波はすでにハワイからおしよせています。
それに東アジアの台風のうねりが重なって朝鮮半島へおしよせるでしょう。
よみがえる生命の波が大陸をあらい、日本・韓国・中国の若者たちがひとつになったら、新しい文化圏が生まれるでしょう。それは文明崩壊の原因となった問題に解答をもたらすオリエント文明の復興です。

オリオン座のイメージをもっています。外の四角い枠が東アジアで、中のトライスターが北京・ソウル・東京です。
グーグル・マップみたいに枠組みをもうすこし拡げると、インドからハワイまではいるオリエントになります。
私は、このあたりがいま地球で一番ホットなスポットだと思います。

そのとき9条は蝶になって世界へ羽ばたくでしょう。
グリーンでシャンティな波動は波紋のようにひろがって、火の洪水におおわれた地球をいやすでしょう。

更新日: 2009年4月18日 19:59 正木高志




 

4月15日


雨があがって、空が晴れ渡り、富士山が白く輝いています。
朝日に染まるコノハナサクヤヒメがほんとうにきれいでした。
半月がうっすらと西の空にかかっています。

このところ、walk9/韓国巡礼の打ち合わせや、リッコーホ プロジェクトの立ち上げの準備などをやっていました。

明治神宮の森によく散歩にゆきますが、おもしろい鳥がいました。
ハチドリに似た鳥で、ホーホー リッコーホ! って啼くのです。
ねえねえ、あなたの名前は? って訊いたら、ミ ド リ だって。
ほんとかなあ?

アンナプルナ農園通信に「リッコーホ」のことを書いたので、今日はそれを転載しておきますね。


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 リッコーホ

2年前の今ごろは島根県の出雲から青森県の六ヶ所村まで徒歩で3ヶ月間の巡礼をしていました。歩いた日本海と太平洋の海辺はどこもかしこも埋め立てられ、護岸工事がなされ、海岸道路がつくられ、テトラポットでふさがれていました。自然のままの砂浜はほとんど見当たりません。

その海岸を、亀の目から見たら、どんなにつらく悲しいことでしょう。産卵の時期をむかえた亀のお母さんはいったいどこで卵を産めばいいのでしょうか。海の生き物たちのほとんどは津々浦々、つまり森の栄養を含んだ淡水が海水に流れこむあたりに住んでいます。海辺がコンクリートでさえぎられてしまうと、養分の補給路を断たれて、生きてゆきにくくなってしまいます。だから海辺の生き物たちが貧しくなってしまったのです。魚を捕りすぎたからだけではありません。

かつての美しかった竜宮城が今は荒れ果て、生きものたちはひどく苦しみ、瀕死の状態にあります。私たちはこれ以上の自然破壊をなんとしてもやめなければなりません。自然をよみがえらせなければなりません。そして自然を神として敬う美しい文化を育ててきた先人たちに顔向けできるようにしなければなりません。

でも、ゼネコンや土建会社にどんなにお願いしたところで、破壊工事は決してやまないでしょう。土建会社は山を削り、海を埋め立てることを社会の発展と信じているのですから。
これ以上の自然破壊をとめるには、森や海やそこに生きる動物や植物たちと心でつながり、悲しみを聞くことのできるグリーンな人々が立ちあがって破壊をとめるしかありません。嘆いたり、怒ったり、恨んだり、頼んだりしてもどうにもならないことは今日の状況を見ればあきらかです。

自然保護活動のほとんどはこれまで、例えば護岸工事のような計画が地方自治体の議会を可決通過したあとで知らされ、それから反対運動を立ち上げてきました。だから運動はいつも後手後手に回っていました。しかも、すでに議会で可決された計画に反対する運動は、ややもすると反社会的な非合法活動であるかのようにみなされ、白い目で見られがちでもありした。

だけど、私たちは今、なんとしても、ほんとうにこれ以上の自然破壊をとめなければなりません。そのためには計画が議会を通過する前にストップをかけなければなりません。それができるようになったら、自然保護はこれまでよりずっとやさしく楽にできるようになるでしょう。

2年前のウオークの時、私たちの行く先々で選挙がくりひろげられていました。4年に1回行われる全国統一地方議会選挙です。

この春、アースデイに、2011年の統一地方議会選挙に1000人のグリーンな若者たちが立候補しようというプロジェクト「リッコーホ」が産声をあげました。

1000人のみどりの子供たちが市町村議会議員になって、海や山のお母さんのために働くのです。
議会の中に入って、環境を破壊しそうな計画をチェックし、もしもアブナイ計画があったなら、その情報を弁護士などの専門家からなるチームに送ります。そして危険だと判断したら議案が議会を通過する前に、全国から一斉にストップをかける運動をおこすのです。署名活動もこれまでよりずっと楽にできるようになるでしょう。(オンライン署名が認められるようになったらいいですね)

リッコーホするのは、主にこれまで選挙にあまり縁のなかった20〜30代の若者たち。
しがらみのないまっすぐな自然を愛する心から、きっと新しいみどりの選挙とみどりの政治が産まれるでしょう。自然の声を聴き、自然の悲しみを胸に、自然のために働きましょう。

恥ずかしいことですが、正直にいいますと私自身、これまであまり選挙に行っていませんでした。そのために環境がここまでひどく悪化してしまったのだと、今は反省しています。関心ないことはなかったのですが、政治にまつわるゴタゴタや汚さに交わるのが嫌だったのです。(まじめな政治家の方たち、ごめんなさい)選挙に行ったって変わらないだろう、などと考えていました。

でも、それは間違っていました。日本列島を歩き、破壊のひどさを知り、生きとし生けるものたちの苦しみや海山のお母さんの悲しみを知って、どうしてもこれ以上の破壊をとめ、自然をよみがえらせなければならないと強く深く思いました。破壊をとめるには政治に関わらざるを得ません。なぜなら開発(=自然破壊)は政治によってなされているからです。それなら政治を新しくするしかないではないですか。

2年後の2011年春の全国統一地方議会選挙に「1000人のみどりの子供たち」がリッコーホします。そしてサポートネットワーク「みどりのお母さん」(仮名)が「子供たち」を応援します。
1000人の若者たちが一斉に立候補したら、きっと選挙の話題をさらうことになるでしょう。
選挙運動は全国の「みどりのお母さんと1000人の子供たち」で一斉に植林をしましょう。海岸の清掃もしましょう。リッコーホ キャンペーンには多くのアーティストたちの自発的な参加が予想されます。選挙運動は楽しいみどりのまつりになるでしょう。

ハチドリたちの一票で全員の当選を目指します。
自然の神々、ガイア、海や山のお母さん、精霊や妖精、そしてポニョたちも大喜びするような運動になったらいいなと思っています。もののけ姫もあらわれて、いっしょに走り回ったりして。

もっと大きな夢もあります。
2011年は1000人のリッコーホを目指しますが、じつはこれはきわめて控えめな目標です。その次の選挙では5000人のリッコーホを目標にします。そうして全国津々浦々の地方議会に「みどりの子供たち」が2〜3人入るようになったら、自然破壊がとまりはじめるでしょう。
さらに10年後の統一地方議会選挙には、5万人くらいリッコーホして、みどりが社会の多数派になれば、破壊をとめるだけでなく、自然の復活へのポジティヴな取り組みが社会的になされるようになるでしょう。

これからは就職難がつづくから、若者たちにとってこれはとてもよい就職先でもあります。サラリーは悪くないし、議員になって働いているあいだにお金を貯めて、任期がすぎたら過疎地に移り住んで、田舎暮らしをしたらいい。
一石三鳥のミドリです。

更新日: 2009年4月15日 07:32 正木高志




 

4月5日


おはようございます。
神戸、大阪、京都でのトークライヴをおえて、東京へ戻ってきました。

秋のおわりに阿蘇の農園へ帰ってから4ヶ月。
明治神宮へ散歩に行ったら、木々が芽吹き桜は4分咲き、何事もなかったかのように季節が巡っていました。でも、それぞれの草木にもそれぞれの冬の物語があったのでしょうね。私の冬が永かったように。

農園の丸太小屋ではいつも窓の外の大杉さんと対面していましたが、新宿に近いこのマンションの机から正面に富士山が見えます。帰ってきた日、富士山のコノハナサクヤヒメさまはとてもご機嫌でした。夕日にはピンクに染まり、朝日には茜色に染まって歓迎してくれました。

関西でのトークでは、書き上げたばかりの本の内容を語りました。
みんなとてもよろこんで受け入れてくれました。
今日はエピローグの最後の部分を載せておきます。


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韓国で私は夢を見ました。
朝鮮半島から道がつづく遥かなヒマラヤに虹のかかったような夢でした。

日本人が憲法9条を選んだら・・・
その力は十倍になって、朝鮮半島の統一が実現するでしょう。
その力はさらに十倍になって、中国はインドと和解するでしょう。
すると、チベットは軍事的な必要を失い、チベット人は故郷に帰れるようになるでしょう。
そうしてダライラマがチベットへ帰るとき、東アジアに産まれた平和の波は地球の裏側へおよぶでしょう。

この夢は十分実現の可能性をもっていると思います。
社会を持続可能にするには、戦争をやめるしかありません。
戦争をやめるには、この道しかないと思います。
日本からはじまる軍備と戦争の放棄。
国民投票で日本人が軍備と戦争の放棄を選択する可能性は50%です。
だからできます。
できたら、big waveが起きる。

日本だけじゃない。波はすでにハワイからおしよせています。
それに台風のうねりが重なって朝鮮半島へおしよせるでしょう。
よみがえる生命の波が大陸をあらい、日本・韓国・中国の若者たちがひとつになったら、新しい文化圏が生まれるでしょう。それは文明崩壊の原因となった問題に解答をもたらすでしょう。闇に光が射すでしょう。

私はオリオン座のようなイメージをもっています。外の四角い枠が東アジアで、トライスターは北京・ソウル・東京です。
グーグル・マップみたいに枠組みをもうすこし拡げると、インドからハワイまではいるオリエントになります。
私は、このあたりがいま地球で一番ホットなスポットだと思います。
シャンティでグリーンなオリエントは新しい文明のモデルです。
そのとき9条は蝶になって世界へ羽ばたきます。

グリーンでシャンティな波動は波紋のようにひろがって、火の洪水におおわれた地球をいやすでしょう。

更新日: 2009年4月 5日 12:58 正木高志




 

3月26日


ホ〜 ホケキョ ♪

うぐいすの歌が、とても上手になりました。
ほんの半月前までは、たどたどしかったのですけどね。
うれしそうに、青空にむかって、歌っています。
目が回るくらい、時が渦を巻いて、すばやく過ぎてゆきます。

大杉さんもすっかり目ざめて、これから夏を迎える態勢。
今年はどんな夏になることやら。
きっと暑いでしょうね。

藪になってしまった庭は今、花ざかりです。
梅の花はもう過ぎたけど、モモもスモモも、アンズにコブシ、
そして桜は、4分咲きです。

この冬かけて書いた原稿が、春分の日にやっと出来あがりました。
なかなかの難産でした。でも、予定日出産でした。
タイトルは「蝶文明」。これから、どんなふうに飛んでゆくのでしょう?

植林がおわり、昨日は苗代づくりの準備。
今日はこれから、大阪へ向かいます。
大阪、京都、神戸でトークライヴをやり、東京へ。

東京には5月はじめまでいます。
その後、茶摘みのために、熊本へ戻ります。
春の動きの、ハジマリ、ハジマリ。

いってきま〜す & ただいま〜

更新日: 2009年3月26日 09:34 正木高志




 

3月15日


昨日、本の原稿を書きおえて、今日はいきなり植林でした。

この冬は温かかったでしょう。桜の開花予想なんかも熊本がいちばんで、このまま春かと思いきや、、夜明け、下弦の月で明るいのかなとカーテンを引いたら、なんと外は一面の銀世界でした。
ひと冬かけてこの丸太小屋で書いてきた本がやっと書きあがったので、冬のお母さんがご祝儀に雪を降らしてくれたのかな、と思うようなサプライズでした。それに、これで冬とはお別れです。
そして今日は、すっかり晴れ渡ってすご〜い青空。ポカポカと温かく、土はしっとり濡れて、最高の植林日和。木を植える子供たちの顔にみるみる生気がよみがえって、輝いて笑いはじめます。ほんとうにうれしそうに。
これも森の母さんがよろこんでご祝儀をくださったようなお天気でした。

冬眠の穴から出てきてすぐに木を植える、鮮烈なコントラストの昨日・今日でした。
明日からは茶園の剪定作業です。いよいよ農作業のはじまりです。

                    

更新日: 2009年3月15日 19:06 正木高志




 

3月3日

3月になりました。
今日はお雛さまの節句です。
相変わらず原稿をかいているところで、今日もその一部を転載します。
これは「木を植えましょう」にも書いていた話です。
外は雨。梅の花が匂うように咲いています。

昔のことですが、興味深い夢を見たことがあります。
道を歩いていると、振袖すがたの姉妹があらわれました。
案内されてゆくと、そこは神社の社務所のようなシンプルで高雅なたたずまいの日本家屋でした。
広い玄関に入ると、8畳ほどの入口の間の奥に、広々とした座敷があり、障子を開け放った廊下の先の庭には、枝ぶりのよい松の木が見えました。
座敷には大きな座卓がおかれ、和服を召したお母さんがまっすぐに正座しておられました。部屋は澄んだ明るさと、すがすがしさに満ちており、なんともいえぬ心地よさに、「ここはどこですか?」と尋ねると、お母さんは机の上の半紙にさらさらと「花鳥神社」と書いて、「やすくに神社です」といわれました。
その夢が印象に強く刻まれたのは、永いこと外国で暮していたときに見た純和風の夢だったこともありますが、「花鳥」と書いて「やすくに」と読んだ、そのことに心が惹かれたからでした。

「やすくに神社」といえばだれもが戦争で国のために死んだ兵士の霊を祀る「靖国神社」を思い浮かべるでしょう。だけどそのお母さんは「花鳥」と書いて「やすくに」と読んだのです。
「やすくに」とは「平和な国」という意味です。
クニという言葉には二つの意味があります。ひとつは故郷をさして、たとえばおクニ自慢とか、おクニ訛りなどというクニで、英語でいえばcountry。もうひとつはいうまでもなく国家のことで、英語ではnationです。
クニの平和とはどのような状態をいうのでしょうか。
軍隊に守られて戦争が抑止されている状態でしょうか、それとも豊かな自然環境に囲まれて生活することでしょうか。
クニの平和とは何によってもたらされるものでしょう?
軍隊でしょうか?
花や鳥でしょうか?
軍隊に守られる平和がほんとうの平和といえるでしょうか?
と、こんなふうに考えてみれば、「平和とは自然が豊かなこと」という定義のすばらしさがよくわかります。

いま日本が軍隊を持とうとすれば戦争が起きる危険があります。ひとたび戦争が起きたら、花や鳥たちは死んでしまうでしょう。それも数千年、数万年にわたって自然環境が荒廃してしまうかもしれません。
もはや軍隊や戦争で平和が保たれる時代ではないのです。それよりもどうやって暴力の連鎖から抜け出すかを求めなければなりません。
いまこそ憲法9条がほんとうに必要とされる時代です。「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」しなければならない時になったのです。
日本人がいま改めて軍隊と戦争を放棄することは、そんな新しい地球社会をひらくことになるでしょう。

更新日: 2009年3月 4日 13:37 正木高志




 

2月24日

お早うございます。
いやあ、暖かいですね。
庭の梅が咲き、うぐいすの声も聞こえはじめました。

相変わらず毎日書きつづけています。
たったいま書いたところを転載しますね。
頭が疲れたので阿蘇の温泉でもゆこうかな。


つまるところ国民投票で日本人は、「日本人として生きるか、地球人として生きるか」を選択することになるのではないでしょうか。
日本人なら武器を持って安全を守るでしょう。
地球人なら武器を捨てて平和を創るでしょう。
それはこれから50年、100年後の世界の動向を決める重大な選択です。
だからこそ国民投票は若者たちに関わりがあるのです。
地球の未来を老人たちの選択にゆだねてはいけません。
若者が自分で決めなければなりません。自分の将来だからね。
それに軍隊ができて戦場へゆくことになるのは若者たちですからね。
カーペットの世界で生きてきた老人たちの世界観が地球意識に変わるのはとても大変です。古い観念を洗い流さなければならないから手間がかかる。
だけど若者たちは子供のときから宇宙から見た地球の映像を見て育ち、インターネットで世界中とリアルタイムにつながっています。もともと地球人として生まれてきているのだから、自覚するだけで地球人になれます。

歴史の大枠はひとつの地球へ向かっています。
アメリカは9・11の後、怒りと恐怖に駆られてカーペットにしがみつきました。
つぎは国民投票で日本人がカーペットから脱皮できるかどうかです。その選択は地球社会の未来を大きく左右することになるでしょう。
西洋文明がもたらした戦争という負の遺産、それを解決するのが西洋ではないとすれば解決するのはいったい誰でしょうか。
地球人としての自覚をもてば、答えはそこにあります。
憲法9条は日本のという以上に世界の宝なのです。
日本人は地球人になる方を選ばざるをえないでしょう。
そこから新しい地球の時代がはじまります。
これは岐路というより転換点(ターニングポイント)です。
選択ともいえないかもしれません。正しくいうなら、私たちは前進するしかないのですから。
選択の余地はありません。これはあらかじめプログラムされている歴史の進化プロセスです。
それを実現するのが、日本の使命でしょう。
いいえ、日本の使命とはいえないでしょう。
これは東洋の使命です。なぜなら平和とは一国だけのものではなく近隣諸国との関係だから。
国民投票は、文明が古い国家主義の殻を破ってひとつの地球になってゆく、そのはじまりの一歩になるでしょう。

更新日: 2009年2月24日 11:21 正木高志




 

2月21日

今日は土曜日です。でも・・
なんだか一昨日も土曜日だったような気がするのだけど、そんなことないよね。
このごろ3日おきに土曜日がやって来るように感じます。
時間の歯車の回転がうんと速くなっているのでしょうね。
さて、前の日記からはやくも一週間がすぎたので、今日はいま書いている本の原稿から少し転載します。
こんなカンジの文章を毎日書きつづっています。

この冬は異常に暖かかったですね。温暖化が目に見えて深刻さをましてきたために、いまではテレビも新聞も、雑誌も広告もエコだらけです。こんなにエコが叫ばれるなら環境がよくなるかといえば、どんどん悪くなってゆきます。エコとは口ばかりで、現代文明の本心はやっぱりマネーを求めています。というよりマネーに縛られ、マネーの奴隷になっているのです。だから温暖化防止のために原発を建設しようなんていいだすのです。
エコとは何でしょう?
CO2を減らすこと?
電気消すこと?
ゴミを出さないこと?
もちろんそのようなアプローチは必要です。
だけどそれだけで解決するでしょうか?
環境危機から脱出できますか?
持続可能になりますか?
いいえ、現代文明はまだ破滅へ向かってまっしぐらに突き進んでいます。

ハワイ人はエコエコと叫びません。
タロ芋を植え、波乗りをたのしみ、歌をうたい、花輪を編んで踊るだけです。亀もイルカも鳥も蝶もエコとはいいません。ただエコであるだけです。
エコはどこへゆくのでしょうか?
私は、エコはハワイへゆくと考えます。そしてハワイになる。
ハワイになって虹をめで、風とあそび、森を畏れ、滝を敬い、火を大切にし、波と友だちになる。
そんなふうに自然に抱かれ、自然を敬い、自然に愛され、自然を愛するようになったら、環境問題なんか起きようがありません。
そしてそのような文化にはほんとうの歓びと満足があります。
人が自然に満たされれば満たされるほど、人の営みの自然への打撃は小さくなってゼロに近づいてゆくでしょう。そうすれば自然は自然に回復するはずです。
そんな自然文化の欲望や快楽であれば、捨てることも我慢することもありません。
大自然の生きものたちのように満ち足りて暮らすことができます。
日本文化にも自然神秘を至上の価値とするそのような美学がありました。

更新日: 2009年2月21日 16:51 正木高志




 

2月14日

暖かい朝です。
昨夜は春一番が吹き荒れて、雨が窓を叩いていましたが、明け方にはあがって、靄のかかった空に、オレンジ色の半月がぼんやりと浮かんでいました。(もやは靄と書くのですね。知らなかったけど、変換したら出てきました。)

今は陽がさして、大杉さんの葉先についた無数の水滴が、キラキラキラキラと輝いています。
大杉さん(窓の外の杉)は強い風に揺さぶられて冬眠から醒めたようで、雨を吸ったからか、今朝はなんだかひとまわりふくらんで、枝が窓に近づいているような気がします。ほら、朝起きて、大あくびしながら手足をフワーと伸ばしてるみたいにね。

しばらく日記をなまけていました。
書いている本に集中していたのです。原稿は蝶が飛ぶみたいにはいかず、いも虫が這うようにノロノロと進んでいます。
ブログ日記と本の原稿を同時に書くのは大変だろうと考えて、原稿をブログに載せてみましたが、あまりうまくいかないことがわかりました。ブログだと、毎日書き足してゆく文章が本とは逆順に並ぶのですね。ABCの順に書いたものが、CBAと並んでしまう。それで文章の構成が難しいのです。

ということで原稿の掲載はやめることにしました。
これからも原稿の一部などをまじえながら、できるだけ書いてゆきます。せっかく自分でできるようになったのですから。
それにしてもこのごろは大杉さんの話題しかありませんね。なにしろいまは夜明け前から日が暮れてしまうまで、ほとんどの時間を机に向かって過ごしており、その机の正面に大杉さんが立っているものだから・・・。

更新日: 2009年2月14日 15:09 正木高志




 

0−2  蝶 文 明


IMG_2982.JPG
寒さはいまがピークのはずですが、昨日も今日も春のような暖かさ。ゆっくり冬眠もしていられなくなりました。
さて、これは、これからはじまる物語の、前口上の前口上。

写真はいま私が暮らしている丸太小屋です。
アンナプルナ農園の母屋は花鳥山の裾にありますが、この小屋は200メートルほど離れた谷側の森のなか。20年ほどまえに、3年くらいかけて建てました。森の外から見えないので、イノシシやウサギやキジたちはよくやってきますが、ヒトはあまり近づきません。
右奥の大きな杉が書斎の窓の外に立っている大杉みどりさんで、その前の机でいつもブログを書いています。

大杉さんと私はここで20年あまり向きあって暮らしてきました。話をするようになったのは2年ほど前からです。それまで私から話しかけたことはなかったけど、大杉さんはいつも黙って見ていたのだろうなあと思います。

2007年のwalk9のあとで、久しぶりに農園に帰っていちばんホッとしたのは、椅子に座って外の杉の木に、「ただいま」とあいさつしたときでした。あまりうれしくて外に出て、ハグして、もう一度「ただいま、やっと帰りました」といいました。すると木もうれしそうに、「おお」とこたえてくれました。
そのとき気づいたのです。こうして20年も向きあって暮してきたのに、これまで話ひとつしなかったな、って。もともと大杉さんたちの森だったところに住まわせてもらったのに、あいさつひとつしなかったな、って。
それから話をするようになりました。話しかけやすいように名前もつけさせてもらいました。
大杉みどりさん。

そのころボブ・サムというアラスカ先住民のストーリーテラーがやってきました。初対面のとき会うなり、たぶん百秒間くらい、遠い記憶をさぐるようにじっと互いを見つめ合っていました。そんな深い出会いでした。黙ってそばにいるだけで、静かな森にいるような、満ちたりた気持になれる人でした。

ボブは私に、
「もっと、木に話しかけて」
といいました。

それから私は大杉さんと、あいさつだけじゃなく、こみいった話や難しい哲学的な話題などまでするようになりました。
たぶん大杉さんはアンテナのような役割で、大杉さんを通して森や風や川の神さまとか、海や山のお母さんと話ができるのではないかと、勝手に思っています。

ところで先日の、アメリカ大統領の就任式の日のこと。
大杉さんに、「世界中でこんなに大勢の人たちが喜んでいますよ。何か変わるのかなあ?」と話しかけたら、冬眠中の大杉さんは寝ぼけていたのか、ぜんぜん違う返事をしました。

いま音を立てて崩れてゆくものは何ですか?
アメリカですか? 文明ですか?

人間は私たちを道づれに、
どこへ行こうとしているのですか?

森はどうなるのですか?
鳥や獣や魚たちはどうなるのですか?

ああ、これほど息苦しくなってきて・・
人も、よほど息苦しいだろうに・・

大杉さんの夢の心配は森の声であり、それは私がこれから書こうとしている本のテーマにとても近いものでした。

大杉さん、
これから物語を始めます。
タイトルは  『蝶 文 明』。

お母さん
あなたの問題が解決しなければ人間の問題は解決しません。
あなたが幸せになってはじめて人間も幸せになるのですから。

さあ、
飛びたて
蝶文明 !


更新日: 2009年1月30日 19:00 正木高志




 

0−1

蝶になったマナ

一本の木がありました。春になって、イモ虫の赤ちゃんがいっせいに生まれました。お日さまの光をいっぱい浴びたやわらかな木の葉を食べて、マナもすくすく育ちました。

暖かくなるにつれて木のあちこちで卵がかえり、イモ虫がふえ、大きくなって、食べる量もふえました。みるみる葉を食べつくして、ほかのグループと競い合い、争いながら、枝から枝へ移動してゆきます。

あるときマナは、「このままみんなが木の葉を食べてゆけば、きっと木は死んでしまうわ」と心配になりました。「葉っぱが食べられてしまったら、木が枯れて、だれも生きてゆけなくなるのではないかしら?」

初夏になると、太ったイモ虫たちの食べる量はますますふえて、葉は虫食いだらけになりました。木はやせ細り、すっかり弱ってしまいました。病んだ葉っぱを食べたイモ虫たちも病気になりました。

マナは、木が燃えてみんな死んでしまう夢を見て、泣きました。この木はみんなのお母さんよ。私にいったいなにができるでしょう? マナは木のために祈りました、「ごめんなさい、ゆるしてね」。

そのすべてを木はしずかに見ていました。マナはサナギになりました。木のお母さんがいいました、「だいじょうぶ、心配しなくてもいいのよ。あなたは愛にめざめたから、それでいいの」。

「もうじきあなたは蝶になる。蝶になったらだれも葉っぱを食べないわ。花の蜜をもとめるの。そして蜜の甘さに、酔って踊りまわる。すると花粉が交わって、花に実がなるのよ。」

夏になりました。木には赤い花が咲いて甘い蜜の香がただよっています。蝶になったマナが透きとおった大きな羽を広げて花と遊んでいます。木にはすっかり緑がよみがえり、花にはふっくら実がつきました。

更新日: 2009年1月26日 19:26 正木高志




 

1月21日

IMG_2994.JPG今日はとてもいい朝。
窓の外で冬眠中の大杉みどりさんも、薄目を開けてにっこり。
アメリカの大統領にオバマ氏が就任し、世界中から祝福されています。
よろこびにわく群衆の笑顔と涙に感動しました。こんなこと、久しくなかったことですよね。
夜が最も長い冬至のように、これですぐに暖かくなるわけではなく、寒さはこれから本番を迎えるでしょうが、寒さは春が近いことのあかしです。

彼は、選挙運動中CHANGEを訴え、当選後はWE ARE ONEと呼びかけました。

CHANGEそして ONE。それはいま世界中が求めていること。アメリカだけじゃなく世界が「変化し、一つになる」とき・・・・日本と韓国も、韓国と北朝鮮も、中国とインドも。

彼は、「私たちの一人ひとりが責任をもって・・」といいました。
そう、確かに。
春の山野が緑に変わるのは、よみがえる1本1本の草、一枚一枚の葉の緑ですものね。そして季節の輪をめぐらすのは大いなる存在・・・宇宙。

私も、「自分の目に映る問題は自分の責任と思って、できることをはじめよう」と思いたちました。
今日は、この冬に書こうと準備してきた、新しい本を書きはじめるのにいい日です。

テーマは去年の夏にブログに書きかけていた『グラウンディング・ストーリーズ』と同じですが、すっかり書き直すつもりです。また前に読んでくださった方にも新鮮なようにPART2からはじめることにします。

新しいタイトルを、いまは仮に『もりのこえ』としておきましょう。

十代の若者に読んでもらえるよう、わかりやすい語り口にしようと思っているのですが、さあどうなることでしょう。
なお、本のプロットにしたがって語り進めてゆきますが、ブログ上には日記のような形で流すことになるでしょう。

写真は私の机と窓の外の大杉みどりさんです。
今日はここまで。


更新日: 2009年1月21日 17:48 正木高志




 

1月19日

おはようございます。暖かい朝。枯木の芽が一気にふくらみそう。
昨夜、短時間でしたが、とつぜん風が吹きだし、雨も激しく降って、嵐になりました。春一番にはまだ早いと思ったけど、今朝の陽気を見るとなんだか春が近そうです。うかうか冬眠してられないな。
去年の秋に一緒にソウルへいった若者たちが、今年の秋の韓国巡礼へ向けて準備会を立ち上げました。今回のwalkは外国だし、繊細な問題もあるので、じっくりと準備しようということになったのです。学習会などで学ぶことも多いと思います。そのメルマガのために書いた文章です。
  
                             

去年の秋(2008年9月)にソウル市内と近郊を3日間歩いて、walk9/韓国巡礼の種まきをしました。
以下はその出発の時に、南北の国境に面した江華島のマニ山という聖地で、朝鮮半島の古い自然神にささげた宣詞です。

                                                        ☆        ☆        ☆

韓国では長い苦しみの歴史が今だにつづいています。日本による植民地支配、独立した後の朝鮮戦争、そして南北分断の悲劇。その痛みは私などには本当にわからないかもしれませんが、日本の侵略からはじまった韓国の人々の苦難に深く謝罪し、心からお詫び申しあげます。

世界は戦争と環境問題という現代文明の負の遺産に暗く覆われています。この問題を解決しなければ、生きとし生けるものがみな永劫の苦しみを受けることになってしまいます。「バラバラ」の国家の集合から「ひとつ」の地球へ世界はシフトするでしょう。しかし問題を生じた同じ現代文明の思考方法によって問題は解決されません。解決は先住民の文化や東アジア文明など、非西洋からもたらされるでしょう。

いま日本では、憲法九条の改正が論議され、平和憲法の是非が国民投票で問われようとしています。これは日本があらためて軍備と戦争の放棄を自ら決意するまたとないチャンスです。
日本人が平和を選んだら、それは戦争からの出口が見えない世界に一筋の光明をもたらすことになるでしょう。「ひとつの地球」が実現する、新しい歴史のはじまりになるでしょう。

平和憲法は平和からのみ産まれます。そして平和とは国内問題ではなく、隣国との関係です。日本が平和憲法を選ぶには韓国との和解が必要です。近隣諸国との共同作業によってはじめてそれは可能になるでしょう。
9 aid movement(九条を救う運動)は、とりわけ若い人たちの力でなしとげられるでしょう。なぜなら若者たちは、もともと地球人として、この時代に生まれてきたからです。

日本と韓国と中国の若者たちが手をつないだら、国家を超える、新しい地球文化が誕生するでしょう。そして平和を選ぶみずみずしい力がそこから湧きだすでしょう。
これからwalk9/韓国巡礼を出発いたします。私たちの足跡に平和の緑が芽吹いてゆきますように。美のなかを歓びにみちて歩くことができますように。ありがとうございました。

                                                         ☆        ☆        ☆

翌朝マニ山の麓を出発するとき、朝陽のまわりに虹の輪がかかりました。それは神さまからの返事をいただいたようで、そのときに韓国一周の巡礼をやろうと決心をしました。種まきwalkは3日間でしたが、平和を祈って5年間巡礼を続けてきたwalkの神様みたいなお坊さんに会ったり、韓国の平和を願う人々の共感と熱い思いを強く感じる、すばらしい経験でした。

私は夢を見ています...
東アジアの若者たちの力で日本が九条を選んだら、
その力は十倍になって朝鮮半島の南北統一が実現し、
さらにその力が十倍にふくらんで中国がインドと和解し、
するとチベットはもはや軍事的な重要性を失って、
チベット人が故郷に帰れるようになるでしょう。
そしてダライラマがチベットへ帰るとき、
東アジアに生まれた平和のうねりはbig waveとなって
地球の裏側にまで押し寄せるでしょう。
そのようにしてイモ虫だった九条が
蝶になって世界へ羽ばたくでしょう。

私は何度もインドへ旅をしてきましたが、いつも海の上を飛んで行きました。去年韓国へ行ってはじめて、平和への道が日本から韓国へ、韓国から中国へ、そしてインドへと続いていることを知りました。
待っていても平和はやってきません。それなら立ち上がって、自分から平和へ向かって歩きだしましょう。夜明けの光に照らされる東アジアピースロード。

更新日: 2009年1月19日 15:55 正木高志




 

1月9日

先日の話(1月5日)、長くなりすぎたので書かなかったけど、実はもう少しあるのです。

おなじ秋、ヤマユリが咲いていた谷の近くの草原の、高く茂った草が両側から覆いかぶさってくるような細道を妻と車で走っていたときのこと。

目の前に一匹のキツネが現われて、左から右へ、道路を横切ってゆきました。
警戒している様子はなく、ゆっくりと落ち着いて・・
そっと車を止めて右手の草むらを見ると、キツネはすぐそばに座って、何かを訴えるかのように、じっとこちらを見ています。
「あれ、何してるんだろう?」
「何か言ってるみたいね」
「うん、言ってる・・・何て?」
「何とかしてくれ! って」

そんなふうに野生のキツネとじっと目を合わせるなんて初めての経験。
でも、なぜあんなふうに私たちを見つめていたのでしょう。
目には、怒りでなく、悲しみをたたえていました。
何かを訴えるために出てきたに違いありません。

キツネだけじゃなく森の生きものたちみんな、それに妖精や精霊や神々たちの住処(すみか)はもちろん自然の森。
それがどんどん壊されて、住民たちは森を追われつづけてきました。
福岡と大分と熊本の県境に近いこの辺りは阿蘇山の中でも自然の森が残されている数少ない場所のひとつです。だけど十年ほど前に大分県側にサーキット場が作られて、広大な森が破壊され、コンクリートで被われてしまいました。
キツネはそこを追われて来ていたのかもしれません。
そして道路建設のために再び追われようとしていた。


人間の欲が深すぎるのです。
昔話の欲張り爺さんや婆さんのまま、成長していません。
それに自己中心すぎる。
人間にとって、自然はお母さんなのに、感謝を知りません。
お金のために無用の道路を作り、平気で森の住民たちを追い出してしまう。
力を持ったぶん、昔より悪くなった。

アメリカの金融破綻に端を発した今日の世界経済危機。
原因はどん欲です。
破綻をまねいた詐欺まがいの金融商品は世界最高の経済学者たちによって作られたものでした。
現代の錬金術に世界中が飛びつき、そして騙されました。
日本でもバブルのころに「土地ころがし」がありました。土地が投機の対象になりました。
それにしてもなんてひどい言葉でしょうね、土地ころがしだって。
現代文明人は欲が深すぎるのです。

自分を見てても思うそうものね、欲張りだなって・・・。
でも、だからといって無欲にならなければならないというわけではありません。
自分で自分の首を絞めるほどオーバーヒートしてしまった過剰な欲望を、エコロジカルに調和のとれるレベルまで、クールダウンする必要があるのです。
そうしないと死んでしまう。世界は持続できない。
簡単じゃないけど、これが地球人に課せられた宿題です。

人間は科学技術や経済産業の発達によって飛躍的に巨大なパワーを手にしました。だけど手にした力に見合うほどにはスピリチュアルに成熟していません。
車が、ダンプカーのパワーを持ちながら軽トラ並みの制御装置しか備えていなかったら、どうなるでしょう?
危険極まりないですね。
ライフルを手にしていたカウボーイがそのまま戦争をはじめたらどういうことになるか?
それをアメリカの大統領は見せてくれました。
いま文明は手にしたパワーに見合うだけの強い制御装置を必要としているのです。もし100倍の力を手にしたなら、100倍の自制心と謙虚さと他者への思いやりを持たなければなりません。そうしなければ他者を傷つけ、ひいては自分の首を絞めてしまいます。
もちろん個々においてもその必要がありますが、いま私たちが創らなければならないのは戦争や経済暴走や環境破壊を防ぐ社会的な装置です。
そうしなければもはや世界は持続できません。


もんじゅも六ヶ所村も祝島もそうだけれど、これ以上の自然破壊は止めなければなりません。
もう限界です。
日本だけじゃなく、世界中で環境破壊がストップする必要があります。
いまは変わり目。
古いシステムが崩壊し、代わってサステナブルナ文化が生まれます。
戦争や環境破壊を制御する知性と装置を備えた地球文明が誕生することになるでしょう。
たとえば憲法九条は戦争を制御できる装置といえるでしょう。それが世界中に必要です。
もちろん、まず日本で選び直してね。

ところで3年くらい前から、ということはちょうどキツネに会ったころからですが、広葉樹を植林した農園の上の花鳥山の雰囲気が変わりはじめました。2000年に植えた木が大きくなって、森らしくなったということもあるでしょうが、なんだか急に賑やかになって、もののけや妖精や精霊たちの気配を感じるようになったのです。そんなふうに森が豊かになりました。それは私ひとりじゃなく妻や娘もそういっていました。

ここの山は阿蘇の外輪山の森とつながっているので、ほんとにそうじゃないかと思うのです。
あそこにいた人たちが、道路工事で追われて、ここに引っ越してきたんじゃないかって。
あのときキツネは「これからよろしくお願いします」って言いにきたのではないかって。

更新日: 2009年1月 9日 20:32 正木高志




 

1月5日

昨日は午後から阿蘇山へお参りにゆきました。
こんな山里に暮らしながら、天気に誘われてどこかへゆこうとするときには、どうしても足がさらなる山奥へと向かってしまいます。

阿蘇山は20万年ほど前の大噴火で、千メートルくらいから上が吹き飛ばされて、巨大なカルデラができました。その後カルデラの中央に火口ができて山が形成され、噴火は今もつづいています。世界一のカルデラのなかには牛だけじゃなく人間もたくさん住んでいて、鉄道が通り、市も町もあり、もちろん温泉がたくさんあります。

いつもは北側の外輪山にある押戸石という磐座(いわくら=古代の祭祀場)から阿蘇山を遥拝するのですが、昨日は以前から一度行ってみたいなと思っていた丘にのぼりました。大海原の波のようにつづく草原の丘の上からはすばらしい眺めで、カルデラのなかの噴煙を上げている阿蘇の五岳は、人が上向いて寝ているように見えるので「釈迦の涅槃像」と呼ばれていますが、昨日は雪をかぶって横になっている巨大なお母さんのようでした。宮崎県の祖母山、大分県の久住山、長崎の雲仙岳、福岡県の山々と360°のすばらしい眺望。岩の上にのぼってほら貝を吹き鳴らし、阿蘇のお山に笛を奉納しました。

外輪山のこの千メートルあまりの丘は、熊本県を流れる菊池川と、福岡県・佐賀県を流れる筑後川の分水嶺であり、川が誕生する聖地です。この丘を東へ1?ほど下った筑後川の渓流のほとりにむかし行者が修行していたという弁天様のお堂があって、農園から遠くないので行ったり来たりではありましたが、弁天堂の隣の破れ小屋に独りで1年間ほど暮していたことがありました。その自然の美しさにすっかり魅了されてしまったのです。4?5年前のことでした。冬には川一面に氷が張って、顔を洗うのにも氷を割らなければなりませんでした。小屋の中にも雪が舞い込みました。その行者さんは大きな鉄のハンマーで厚い氷を割って、毎朝川に入ってミソギをしていたそうです。
いま私が歌っている歌の多くはそこでできたもので、私の歌のふるさとです。


川はどんなふうに生まれるのだろう?
モノはどうやって生まれるのだろう?ということを深く考えていたころ、それを知りたくて山を歩き回ったことがありました。
よく観察すると、川は頂上から下った窪地に発生するのでなく、山頂から生まれるのですね。
どんな丘にもてっぺんに凸部と凹部があります。
よく観れば凹と凸は一体です。凸があればかならず凹がある。
そして下ってゆくにつれ凸部が尾根に、凹部は谷になってゆきます。
あるところでは頂上から200メートルほど下ったあたりで凹部が湿っぽくなり、さらに100メートル下るとジメジメして潅木が生えはじめ、そのすぐ下から水滴がスタスタとしたたり落ちていました。そしてそこから100メートル下では水がチョロチョロ音を立てて流れだしていました。それくらいになると谷も深くなり、大きな木もたくさん生えています。

あるとき、そんな生まれたばかりの小さな谷川のほとりを歩いていたら、一本のヤマユリの花が咲いていました。夏の夕暮れで、空はまだ明るさを残していたけれど、谷には闇のとばりが下りていました。人里はなれた、誰もいない深い山のなか。まわりは草原だけど、谷沿いには潅木が生え、大きなミズナラの木も葉を広げていました。水の音が涼しく響き、白い大きな花が、闇が深まるとともになまめかしく浮かび上がって、それは匂うようにきれいで、私は夢中になってその花に向かって笛を吹いていました。
すると、ユリの花の後ろの闇のなかから、フーッと風が吹きました。エ!なに? と驚いたら、こんどはもっと強くサーッと涼しい風が吹きだしてきました。でもほんとうは風じゃなく「気」だったのです。
それは確かに生命と意識のある存在から放たれた気というか、気配でした。驚く間もなく、闇から吹き出した気配が周りの空を満たすほど大きく広がってワーッと私に押し寄せてきました。これには力があって、後ずさりすると、ひっくり返って腰を抜かしそうになりました。
その闇から吹き出し立ちのぼった気配というか意識に、私は強い怒りのエネルギーを感じました。だけど私は木を植えるようになって山のお母さんと親密になり、自然のなかで暮らしていたのですから、妖精や精霊や神々から怒られるようなことは身に覚えがありません。それで不審に思いながらも、その山奥に大きな道路を通す計画があることを聞いていたので、「もしかしたらほんとうに道路建設工事がはじまるのだろうか?」と考えたのでした。
だから山の神さまが怒っているのではないか?

で、昨日久しぶりにその場所に行ってみたのです。
すると道路ができて、その谷はすっかり潰されてなくなってしまっていました。
橋を架けることもせずに、擁壁を築いて埋め立て、下水溝をもうけて水脈を塞いでしまったのです。ユリの花が咲いていた場所にいま水は流れていません。谷川のあとが残っていましたが、無惨に荒らされて、昔日の面影はまったくありませんでした。
あまりにひどい破壊。
まったく違う場所になっていました。
何が消えたのだろうか?
消えたのは「美しさ」でした。
そこは自然のあまりの美しさに、泣きながら笛を吹いた場所。
その「美」が失われてしまったのです。
「美」とは生命が放つ耀きです。その生命が失われてしまったのです。
人はなんと無慈悲なことを自然に対してしてしまうのでしょう。


その変わり果てた姿を見てはじめて、あの夕方のできごとが理解できました。
あのとき、道路の建設工事はすでに決定されていたのです。そして山の人たち(何と呼んだらいいのだろう、山に住むもののけや妖精や精霊や神々たち)はまもなく住処を追われることを知って、とても怒っていたのでしょう。
そこに私がやってきて、その人たちの怒りや涙も知らないで、いい気になって笛を吹いていた。その能天気さというか私の甘さが神々の気持ちを逆撫でし、森の住人の逆鱗を買ったのだろう。
私だって、そんな人間、許せない!

驚くのは、山の神さまが、3年前のまだ工事が始まる前の計画の段階で、これからはじまる自然のジェノサイド(虐殺)を予知して怒っていたことです。
自然は感覚も感情もない物体ではありません。自然の神々は意識をそなえた知的存在なのです。何でも見ているし、何でも知っているのです。
自然を開発するとき、私たちはそんな知性と意識をそなえて生きている生身の神格を傷つけているのだということをほんとうに理解し、自覚しなければなりません。
そうすればあんな無慈悲なことはできないはずです。

こんな自然破壊を卒業しなければなりません。
環境を破壊する文明は文明の名に価しません。
あのときの神の怒りはやはり私に向けられていたのでした。
人間の野蛮な行為は、人間が自ら止めなければなりません。
私たちはそのような理性を社会に樹立しなければならないのでしょう。
木を植えることとともに、これ以上の自然破壊を止めることも大切です。
新しい文明は自然破壊を止める装置をそなえていなければなりません。
自然破壊と戦争を止める装置をそなえた美しい文化を創造しましょう。


弁天様のお堂にも久しぶりにお参りしました。
お堂のそばに小さな滝があり、その上段に淵があります。川幅は5メートルくらいで、淵の中央に平たい大きな石があり、笛吹き石とよんで、いつもその石の上で瞑想したり笛を吹いたりしていました。
そこは昔のままに水が流れていました。
挨拶をし、笛を吹き、歌を歌い、それからお祈りをしました。

あなたの美の中に生きることができますように

阿蘇のお母さんのひざで

更新日: 2009年1月 5日 20:09 正木高志




 

09/01/01

冬の森から

明けましておめでとうございます。
夜明け前から瞑想して、明るくなってきたら、外は雪でした。
森のなかの山の神様に初詣りにゆくと、花鳥山も正月は雪化粧です。
挨拶をして唄を歌うと、寒さにシーンとしていた小鳥たちも、賑やかに啼きだしました。

いよいよというか、とうとうというか、終に2009年がやってきましたね。
今年は激動の年になるでしょう。経済恐慌で世界は大混乱に陥るでしょう。
日米で政権交代があっても解決には向かわず、パニックがひどくなるだけ。
古い世界の崩壊がほんとうにはじまりましたね。

私たちは、世界は、どこから来て、どこへ行くのか?
混沌としているように見えますが、よく観ればそこにあるのは二つの動きだけ。
古いシステムの死と、
新しい時代の誕生。

古いものが新しくなるのではありません。
古い文明(西洋文明)が死に、新しい文明(地球文明)が生まれます。
自分自身が文明の死と再生を為しとげるというのでなしに、
死にゆく文明か、誕生する文明か、生き方を選択するだけ。

古い葉っぱを新しくすることはできません。
古い葉が散って、新しい葉が芽吹くのです。
だから、古いシステムの崩壊について心配する必要はありません。
自分が新しい時代として誕生し、生きることだけを考えればいい。

A・トインビーによれば、新しい文明は古い文明の崩壊の原因となった問題を解決する救世主として生まれます。
いま、現代文明は戦争と環境問題によって滅亡しようとしています。
世界の平和と自然の復活につながる生き方をはじめなければなりません。

ものはひとりでは生まれません。ひとりでは戦争も起きないし、環境破壊もありません。
新しいものが生まれるためには、出会い、響き合い、結ばれ、調和することが必要です。
私たちは自然環境や隣国の人々とつながって、和解しなければなりません。
その意味で今年は「ハーモニー」を大切にしたいと思いました。

ブログ日記、今年はしっかり書くつもりです。

更新日: 2009年1月 2日 18:23 正木高志




 

2008年12月27日

12月27日
新月

農園のネット環境を調え直して、私の新しいノートパソコンも、やっとADSL接続できるようになりました。やってみたら意外と簡単だったけど、接続に2週間もかかってしまったのはここが山奥だからで、NTTから送られてきたモデムやカードが間違っていたりすると(それが二度あった)、そろうまでに何日もかかるし、ランコードを買いに行くにも街まで遠いし、東京とは大違い。

ともあれ、インターネット社会につながりました。
すると、ネット上でナナオサカキ逝去のニュースが飛び交っていました。
森の中で、いきなり宇宙に遭遇って感じでね。

このひと月くらい、ただならぬ星の光でした。
あの緊張感ただよう冬至の澄みきった宇宙にナナオは帰っていったのですね、大築準さんに手を引かれるようにして。。

ナナオサカキは、私にとって、隣の星座に住む巨星といった存在でした。ナナオのライフスタイルと大築さんが出していた雑誌『人間家族』は、銀河系ヤポネシアのオルタナティヴ シーンで、60年代以降、彼らの影響を受けなかったものはない、と言っていいほど大きな存在でした。
ありがとうございました。
ごくろうさまでした。

あるとき農園にやってきたナナオに、「東京でそんなに元気にやってゆける秘訣は?」って訊いたら、「深く呼吸しないこと。人に合わせて歩くこと。」って応えてくれました。これって東京の人には失礼だけれど、かなり言い得て妙だよね。そのことを、このごろ新宿の地下道歩きながらよく思い出します。

ここしばらく会ってなかったけど、なぜか2006年には白山や山水人やナチュラルハイなどで4、5回ナナオと一緒のイベントに出演しました。そんなことは前にも後にもなかったのでフシギでした。
最近は長野の内田ボブやアキさんたちがお世話をしていたそうですね。
ボブ、みどりさん、アキさん、スマちゃん、みなさん、おつかれさまでした。
オーム シャンティ シャンティ シャンティ

さて、というわけで、東京でも熊本でもやっとインターネットにつながりました。これからはネットのご縁を大切に、ホームページとブログ日記とメルマガ(予定)を心して書き綴ってゆこうと思います。よろしくお願いします。
正木高志

更新日: 2008年12月27日 11:57 正木高志




 

12月10日

IMG_2998.JPG


阿蘇の農園に帰ってきました。初冬の高原の風リンと澄みきってさわやかです。空気がおいし?い! 東京のマンションとの環境のなんという違いでしょう。

森の中の丸太小屋にもどり、机の前にすわって、窓の外の大杉みどりさんに挨拶しました。
ただいま、やっと帰ってきましたよ。
大杉さんは冬眠に入りかけて、ウツラウツラしているみたいで、いくらか眠そうに「おかえりなさい」と返事して、葉先をかすかに揺らしました。(註:大杉みどりさん=机の前の窓を塞ぐように枝葉を繁らせている大きな杉の木。私たちはここで20年以上向かい合って暮してきました。私にとっていちばん親しい木で、ときどき世間話をしたり、相談を聞いてもらうこともあります。)
この曲、いいねえ。
ええ、これは誕生日のお祝いに妻からもらったハワイのハパのCDです。
とってもいい。
大杉さんは音楽が大好きで、いつもぼくの歌や、かけるCDを聴いています。

お昼すぎまで降っていた雨のしずくが、木々の葉先にいっぱいついて、夕陽に照らされ、きらきらキラキラ虹色にきらめいている。なんてきれい!
もしかして虹がかかってないかと外に出てみたら、谷から湧きあがる雲が細かくちぎれて、空に立ちのぼってゆきました。
西の空には、ここでは富士山のかわりに、雲仙の普賢岳が夕陽を浴びてそびえています。

この秋は、立山へゆき、韓国へゆき、しばらく東京で暮しました。そして、これからはじまるいくつかのプロジェクトの種まきをしました。これらはみな来春には芽を出すでしょう。いまは大地に抱かれて眠っています。このブログでは、冬眠中の種たちの夢をすこしづつ語ってゆきましょう。

これから私も3ヶ月くらい冬眠にはいります。クマみたいにね。
で、穴のなかでパタパタとワープロ叩いて、本を書くつもり。この一年あまりずっと書きたかった本。夏に書きかけていた本です。


更新日: 2008年12月10日 13:12 正木高志




 

11月28日

3年前の今ごろ、ぼくは九州の山を離れ、日本列島をあちこち動きはじめました。各地の神社に「呼ばれて」というのが実感だったのですが、最初は奈良の吉野・熊野。それから九州宮崎の高千穂や青島や鵜戸神宮。さらに伊勢神宮、天橋立の籠神社、出雲、安芸の宮島...etc。そしてウオーク9で本州を縦断し...とうとう今は富士山の麓、東京のど真ん中にいます。
動きだす前の1年間は、山深い農場からさらに人里離れた山奥に入って、独りで暮らしていました。谷川のほとりの、行者が修行していたという小さな弁天さまのお堂で、そのままずっと一生そこに住もうと本気で思っていました。冬になると川の水を汲むのに氷を割らなければならず、破れ小屋には雪が舞い込んで積もった・・。それでも山の美しさとそこにいる歓びは、かけがえのないものでした。森の草木や動物や、風や水の流れや、妖精や精霊たちが話し相手でした。ぼくがいま歌っている歌はほとんどそこで生まれたものです。
それが、ふしぎなものですねえ、いまは東京でmacbookを買ってブログやメルマガに悪戦苦闘しているのですから。。。「一寸先は闇」というけれど、ほんとうに一寸先は見えないものですね。だとしたらこんな世の中だけれど、もしかしたら「一寸先は光」なのかもしれません。夜が明けたら闇は消えて、別世界になってたりして。
ところで、ぼくはまだブログに取り組んでいる最中で、この文章も試しに書いているところ。実はこのまえに書いた11月23日の記事は23日にアップしたのですが、どうしてかホームページの画面に反映されず、翌日も一日中やってみたけど画面にでないので、とうとうあきらめてしまったら、なぜかその翌25日にアップされていました。どうしてでしょうねえ? 2日もかかったりして。
昨日はワードをインストールしました。で、これからワードで書いたこの文章をアップしてみます。うまくいけばいいけど。なんだか祈るような気分。だけど,こんなので祈ってもしかたないね。。。

更新日: 2008年11月28日 11:25 正木高志




 

2008年11月23日

こんにちは。

今ぼくの机の前には青空がひろがっており、正面に富士山がくっきりと白く輝いています。まわりに軽くてやわらかそうな雲が舞っていて、コノハナサクヤヒメの羽衣みたいです。

おだやかな晩秋の朝。
ここは東京の新宿に近いマンションの一室。背後には超高層ビル群が聳えていますが、南には高いビルがないので丹沢の山なみの向こうに富士山がよく見えます。

これから3年間くらい東京に軸足を置いて活動をしようと思い立ち、この秋から住みはじめたばかり。なんだか夢を見てるよう。だって、阿蘇の山奥の森の中から、いきなり東京都心ですからね。

なんで来たの?ってよく訊かれます。そのことはこれからおいおい書きつづってゆきます。でも妻子に追われて出て来たのではないので、どうぞご安心を。ときどき農園に帰れるからこそ東京にも住む気になれるというものです。

ところで、macbookを買いました。インターネットにつないで、なんとか自分でブログにアクセスできるようになりました。これはその,初めて書いている記事。まだよちよち歩きの幼児のようであぶなっかしいのですが、これからは自分で書き込めます。

え? じゃあこれまではどうしてたかって? 森の中のぼくの丸太小屋には電波も届かず,電話線もなかったので、母屋の娘のパソコンからアップしてもらってたのです。だからこれまで自分のホームページをほとんど見たことがありませんでした。

というわけで、これからはできるだけこのブログを大切にして、書きたいと思っています。富士山の見える都心のマンションからと、阿蘇の山奥の丸太小屋からの通信、どんなことになるか自分でも楽しみです。

ゲッ! ふんわりひろがってた雲がちぎれて、UFOみたいにまんまるくなり、富士山のまわりを6つ7つ飛んでいます。なんてきれいな空。今日はここまでにしておきましょう。うまくアップできるといいのだけれど。

正木高志

更新日: 2008年11月24日 08:05 正木高志